第4話「城ヶ崎、捕食」
家はもう家ではなかった。
黒い霧が壁を覆い、
天井を飲み込み、
残った家具がひとつ、またひとつと“静かに消えていく”。
世界が、
音を、
形を、
存在を、
順番に失っていく。
氷室は彩花を抱きしめ、
目の前の光景を呆然と見ていた。
「……なんだよ……これ……」
彩花は震え、
声は涙に濡れていた。
「お兄ちゃん……怖い……
あれ……あれの中に城ヶ崎さんが……!」
氷室の胸に恐怖と焦燥が込み上げる。
(くそ……どうすれば……
あれは影じゃない……
城ヶ崎でも押さえ込めない相手……)
そのとき。
闇の中心で、
白い閃光が一瞬、咲いた。
氷室は息を呑む。
「城ヶ崎……!」
闇の中の城ヶ崎の声が届く。
「氷室……聞こえるか……!」
消え入りそうな、しかし確かな声。
氷室は叫ぶ。
「おい、城ヶ崎! お前、どこだ!?」
「……ここだ……だが……近づくな……!」
闇が爆ぜ、
黒い触手のような“腕”が無数に伸びた。
その一本が城ヶ崎の胸を貫いた。
氷室と彩花が悲鳴を上げる。
「城ヶ崎!!」
闇に囚われた彼の身体が震える。
血は流れない。
傷口も見えない。
ただ“存在を削られるように”崩れていた。
(やばい……!
あれは物理的に殺すんじゃない……
存在そのものを喰われてる……!)
捕食者が城ヶ崎の体を包み込み、
“溶かす”ように吸い込んでいく。
城ヶ崎の声が震え始めた。
「……これが……
“向こう側の捕食者”……か……」
氷室は叫ぶ。
「バカ野郎! そんな解説してる場合か!!
早く逃げろよ!!」
「逃げられない……
こいつは、私を狙って来た……
私を“食う”ことが目的だ……」
城ヶ崎は自嘲のように笑う。
「あなたの妹さんが狙われたのは……
本当は私のせいだ……
影に触れたあなたたちが……
“餌の匂い”を纏った……」
氷室は唇を噛んだ。
(そんなの……こんなタイミングで言うなよ……
責められるわけないだろ……
お前は彩花を助けたんじゃないか……!)
捕食者の闇がさらに収縮し、
城ヶ崎を完全に飲み込もうとする。
そのとき。
城ヶ崎が氷室の方を見た。
その瞳は、
これまでと違う。
恐怖でもなく、後悔でもなく──
“決意”。
「氷室……
あなたに一つだけ、頼みがある」
「頼み……?」
「もし……私が喰われたら……
“影が暴走する”。
この世界そのものが崩れる……」
闇がさらに締め付け、
城ヶ崎の体が悲鳴を上げるように軋む。
氷室は苦悶の表情で叫ぶ。
「……ふざけんな……!
お前がいなくなったら終わりとか……
そんな世界、認められるかよ!!」
城ヶ崎は微笑んだ。
優しい笑みだった。
まるで“この瞬間のために生きていた”かのように。
「だから……氷室……
私の力を、お前に渡す。」
氷室は耳を疑った。
「……は?」
「私が消える前に……
力の核を、お前に移す……
そうすれば“影”は新しい主に従う……
暴走を止められる……」
氷室は怒鳴る。
「バカか!!
そんなもん受け取れるわけないだろ!!
俺はただの刑事だぞ!!」
「刑事じゃない」
城ヶ崎が強い目で言い放つ。
「氷室……
あなたは妹を守るためなら、
何だってできる人間だ。
その覚悟は、私より強い」
捕食者の闇が城ヶ崎の首元まで覆う。
城ヶ崎の声が揺らぐ。
「さあ……
決めてくれ……氷室……
妹を守るか……
世界を壊させるか……
どちらも嫌なら……
“私を受け継げ”……」
氷室は震えた。
彩花は泣きながら兄の腕を掴む。
「お兄ちゃん……!
助けて……
城ヶ崎さん……助けて……!」
氷室は目を閉じた。
(なんで……なんでこんな選択迫られてんだよ……
俺はただ……
妹を守って……
犯人を捕まえて……
普通に生きたかっただけだろ……!)
目を開く。
氷室は叫んだ。
「城ヶ崎!!
勝手に決めんな!!
俺は……
お前を死なせる気なんかねぇ!!!」
城ヶ崎の瞳が揺れた。
氷室は闇に向かって踏み込む。
「彩花を守りたいのは俺だけじゃねぇ!
お前もだろうが!!
勝手に消えるな!!!」
闇が氷室の腕を喰おうと伸びる。
だが氷室は叫んだ。
「渡せ!!
力なんてどうでもいい……
“お前を助ける方法”があるなら……
なんでもやる!!」
城ヶ崎の表情が驚きに染まり、
そして──笑った。
「……ありがとう」
城ヶ崎の胸に、
白い光が灯る。
「氷室……
私の“核”を受け取れ……!」
家全体が閃光に包まれた。
捕食者が初めて“音を発した”。
それは悲鳴か怒号か判別不能の、
世界の綻びの叫びだった。
氷室の身体が光に包まれる。
視界が白く染まり、
世界が反転する。
彩花の声も、
城ヶ崎の声も、
捕食者の声も、
すべてが遠のく。
氷室は最後に、
誰かの言葉を聞いた。
──氷室。
あなたは、もう“普通の人間”には戻れない。
そして、光が弾けた。




