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第3話「影を喰う者」

氷室の周囲の空気が歪む。

“それ”は音もなく揺れ、

人の形をしているようで、実際には形を持たない。


姿は薄い影。

だが、影よりも脆く、

霧よりも濃く、

“世界のひび割れ”のように見えた。


城ヶ崎の警告が、家中に響いている。


「氷室!! 絶対に触れるな!

 そいつは 影すら喰う! 」


氷室が息を呑む間もなく、

“それ”は音もなく一歩、近づいてきた。


足音がない。

空気の揺れだけが、じわりと迫る。


氷室は身構え、妹を庇うように立ちはだかる。


「こいつが……彩花を追ってきたのか……!」


彩花の体が震える。


「ちがう……

 お兄ちゃん……それ、さっきまで影を追って……

 でも……途中で……

 影を“食べた”の……」


氷室は一瞬、理解が追いつかず固まった。


(影を……“食べた”?)


その言葉の意味を問い返す暇はなかった。



“それ”の背後の空間が、

じわりと“へこんだ”。


空気が裂ける。


薄黒いノイズのようなものが舞い散る。


そして“それ”の輪郭が、

まるで二重に揺れ始める。


城ヶ崎が部屋に飛び込んできた。


「氷室、下がれ!!

 そいつは影とは別次元のものだ!

 影すら餌にする存在……

 “向こう側の捕食者”だ!!」


氷室は妹を抱えて後退する。


「捕食者……?

 お前らの世界の化け物みたいなものか?」


城ヶ崎は氷室の前に立ち、

敵を見据えながら答えた。


「違う。

 化け物と呼べるほど“存在として安定していない”。

 あれは形を持つ必要がない。

 ただ“近いもの”から順に喰らうだけの存在……」


“捕食者”の影がブルリと震えた。


城ヶ崎の声が低く鋭くなる。


「まずは影、

 次に影と関わるもの──

 つまり、氷室と彩花さんだ」


氷室の背筋を冷気が這い上がる。


(彩花は……狙われていた……

 影じゃなくて、“こいつ”に……?)


捕食者が揺れる。


空間のひび割れが“口”のように開き、

無音の深黒が覗く。


怯えた彩花の声。


「お兄ちゃん……逃げないと……

 あれ、音も……光も……何もかも……食べちゃう……!」


城ヶ崎が叫ぶ。


「氷室! 彩花さんを抱えて外へ!

 この家の中は“捕食者の領域”に飲み込まれつつある!」


「お前はどうする!?」


「……私は、こいつを止める」


「勝てるのか!?」


城ヶ崎は、わずかに笑った。

その瞳は恐怖の影すら宿していない。


「勝てなければ、

 この世界ごと飲まれるだけです」


氷室は短く息を呑んだ。


(もう……疑っている場合じゃない)


氷室は妹を抱き、出口へ走る。


その瞬間──

捕食者の“手のような影”が氷室に伸びた。


霧のような黒い線。

触れた壁が一瞬で“無”に還る。


「くっ……!!」


氷室の足がもつれた。


妹を抱えたまま倒れかける。


その瞬間──

城ヶ崎が左手をかざし、

空気が逆巻いた。


「そこまでだ……!」


風が壁を打つような轟音。

音なき空間に、唯一の音が生まれた。


捕食者の“腕”が、城ヶ崎の前で弾け飛ぶ。


氷室は目を見開いた。


(こいつ……

 影を押し返すどころじゃない……

 “こっちの存在を守る力”すら持ってる……!?)


城ヶ崎が氷室に怒鳴る。


「行け!! 氷室!!

 早く彩花さんを外に!!」


氷室は歯を食いしばり、

壊れた家の外へと走り出す。


彩花を抱えたまま、

夜の冷気に飛び出す。


外に出た瞬間、

耳が痛くなるほど音が戻った。


風の音。

車の走行音。

遠くの犬の鳴き声。


(音が……戻った……!?)


外はまだ“こちらの世界”だ。


氷室は彩花を地面に下ろし、

玄関方向を振り返る。


家の中に──

音がない。


静寂が一層濃く、黒い霧のように渦巻いている。


城ヶ崎の姿は見えない。


氷室は拳を握った。


「城ヶ崎……!」


彩花が震える声で言う。


「お兄ちゃん……

 やだ……城ヶ崎さん……

 死んじゃう……」


氷室は妹を抱き寄せ、

家の中の暗闇を見据えた。


「死なせねぇよ……

 あいつは……俺たちを守るために来たんだ……」


家の奥から、

突如、鋭い振動が響いた。


空気が震え、

光が瞬き、

静寂が砕ける。


捕食者の咆哮──

ではない。


城ヶ崎の力が“反転”した音だ。


氷室は確信した。


(城ヶ崎が……本気を出した……)


しかしその直後、

家の中の“闇”が膨張した。


黒い霧が空へと伸び、

夜空が引きちぎられるように裂ける。


彩花が悲鳴を上げる。


「なに……これ……!」


氷室は悟った。


(捕食者は影とは違う……

 今の城ヶ崎でも押さえ込める相手じゃない……)


家全体が、

黒い闇に飲まれ始めた。


そして──


城ヶ崎の叫びが聞こえた。


「氷室!! 絶対に中へ戻るな!!

 これは……“私を喰う”つもりだ!!」


氷室の心臓が止まった。


(城ヶ崎が……喰われる……!?)


その瞬間、

家の中心から、

漆黒の“腕”が空を引き裂いた。


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