第2章 沈黙の影 ■第1話「予兆」
氷室は城ヶ崎を睨みつけたまま、
廊下の空気が冷たく収縮していくのを感じた。
「……妹を狙っている“敵”とはなんだ?」
城ヶ崎は、まるで感情を排したように答えた。
「あなたの家に向かったのは、
私ではなく──“別の何か”です」
「別の……何か?」
氷室は息を呑む。
その瞬間、城ヶ崎の瞳が微かに揺れた。
「今から話すことは、
あなたには信じがたいかもしれません。
ですが──
あなたはもう巻き込まれた。
聞くしかない」
氷室の背中を寒気が走る。
「……言ってみろ」
城ヶ崎は静かに言った。
「最近、消失事件が連続して起きているでしょう。
建物ごと“音もなく”消えるあれです」
「……ああ。お前が犯人なんじゃないのか?」
「違います。
あれは“私ではなく”、
“私と同じ領域にいる存在”の仕業です」
氷室は肩を強張らせた。
「同じ…領域……?
なんの話だ。超常現象か?」
城ヶ崎は氷室の目を真っ直ぐに見た。
「私は、普通の人間ではありません」
短く、静かに──
あまりに淡々とした真実。
氷室の心臓が大きく脈打った。
「……何者だ、お前は」
城ヶ崎は答えず、
代わりに歩き出した。
「説明は、あなたの家でします。
彩花さんの安全を確保するほうが先です」
氷室は迷った。
(こいつを信用していいのか?
妹の安全を守るために……
本当に頼っていいのか?)
しかし、迷いは長く続かなかった。
妹の声。
沈みゆく静寂。
あの不吉な電話の終わり。
氷室は決断した。
「……行く。
だが、何もかも話してもらうぞ」
「もちろんです」
城ヶ崎は軽く頷き、
無音の歩みで廊下を進む。
その背中は、
まるで“影が形をとった”ような佇まいだった。
◆
二人は警視庁を出て、車に乗り込む。
夜の街を走る車内で、
氷室は城ヶ崎の横顔を盗み見る。
(どうしてこいつは、
こんなにも“静か”なんだ……)
城ヶ崎は窓の外を眺めながら口を開いた。
「……あなたは、こう思っているでしょう?
私が異常の中心にいる、と」
氷室は言い返さなかった。
城ヶ崎は淡々と続ける。
「的確です。
私は“外側から来たもの”ですから」
「外側……?」
「あなたたちの世界とは別の『層』の存在。
そして今、そこから“別の何か”が漏れ始めている」
氷室は言葉を失った。
理解が追いつかない。
しかし、今までの異常現象を思えば──
“普通の説明”では到底足りなかったのも事実だ。
城ヶ崎は微かに表情を曇らせた。
「本来なら、あなたはこの戦いに巻き込まれるべきではなかった。
ですが……
あなたの妹さんが狙われた時点で、
もう後戻りはできません。」
氷室の拳が震える。
「くそ……どこまで知ってるんだ、お前は……!」
城ヶ崎は氷室の方を向き、
低く囁いた。
「彩花さんを狙っている存在は──
“私の影”です」
氷室の呼吸が止まった。
「……影?」
城ヶ崎は首を縦に振った。
「私の力の“もう一つの側面”。
私がこちらへ来た際、切り離されたもの。
理性も目的もなく、ただ消し去るだけの存在」
「じゃあ……妹は……」
「その影は、
私に“関係した者”から消そうとする」
氷室は城ヶ崎を掴み上げた。
「ふざけるな!
なら最初から来るな!
お前が関わったせいで彩花が──!」
城ヶ崎は抵抗しなかった。
ただ静かに言う。
「あなたが妹さんを愛しているように、
私もこの世界を守りたいと思っている。
そのためには、
“影を倒さなければならない”」
氷室は拳を震わせていた。
だが──
城ヶ崎の瞳を見た瞬間、
掴んだ手が緩む。
その瞳は嘘をつく目ではなかった。
そして氷室は悟る。
(……城ヶ崎を倒せば妹は助かる、
そんな単純な話じゃない)
もし“影”が本当に存在するなら、
城ヶ崎はむしろ唯一の手がかりだ。
氷室は深く息を吸い、吐いた。
「……分かった。
まずは彩花を──助ける。それが先だ」
城ヶ崎は穏やかに頷いた。
「ええ。そのために私は来ました」
車は氷室の自宅の近くに到着する。
その瞬間──
城ヶ崎が表情を固くした。
「……間に合わなかったかもしれない」
氷室の心臓が跳ね上がる。
「どういう意味だ!?」
城ヶ崎は一点を見据えて呟いた。
「“静寂”がもう始まっている」
家の周囲。
街灯の下。
音がない。
風音も。
車の走る音も。
虫の声も。
何も、ない。
世界が──
“止まっている”。
氷室はドアを開け、走り出した。
「彩花ァァァァァァ!!!」
城ヶ崎は呟いた。
「来たな……“影”が」
夜の街に、
音のない黒い波が広がっていった。




