ちいさなおともだちが、いなくなるの♡
2ページ目:『ちいさなおともだちが、いなくなるの♡』
記録:目撃者はカメラ編集部・R
こんにちは。編集部のRです。
今回取り上げるのは、『教えて♡ゆりえちゃん!』の2ページ目に書かれていた、次の“未来の出来事”です。
『ちいさなおともだちが、いなくなるの♡』
ゆりえ、さみしいな〜♡
だってね、ちいさなおともだちが、あるひとつぜんいなくなっちゃうの!
みんなでおうたうたったり、おえかきしたり、してたのに、
いきなり「きょうから、おやすみです」っていわれるの♡
だれもバイバイできなくて、
おともだちは、どこかにかくれちゃうんだよ〜♡
声に出して読むと、少し背筋が冷えるのは私だけでしょうか。
このページには、大人たちの言葉ではなく、「子どもの目線で語られた異変」が記されています。
だからこそ、余計に恐ろしい。
「ちいさなおともだちが、あるひとつぜんいなくなる」
「きょうから、おやすみです」
「だれもバイバイできなくて」
「おともだちは、どこかにかくれちゃう」
これは――2020年3月に始まった、全国の幼稚園・保育園・小学校の突然の閉鎖を思い出さずにはいられません。
感染拡大防止のための「一斉休校」。
誰も予告せず、前触れもなく、「きょうからおやすみ」と言い渡された小さな子どもたち。
彼らは事情も分からぬまま教室を離れ、二度と戻れなかった子もいたといいます。
“卒園式のなかった園児”――それは、私たちがほんの数年前に直面した現実です。
しかしこの本は、1991年に出版されている。
予測のつかない、変則的な行政判断すらも、なぜ正確に言い当てているのか?
加えて、ラストの文が、あまりに不穏です。
「おともだちは、どこかにかくれちゃうんだよ〜♡」
“かくれちゃう”という言葉には、曖昧なやさしさと同時に、妙な“最終感”があります。
それは押し入れやテーブルの下ではなく、もっと深く、誰にも届かない場所へ行ってしまったような……。
もしかして「いなくなった」のは、ほんとうに、“姿”だけだったのでしょうか?
そもそも、“ゆりえ”はなぜそれを知っているのか。
誰も見ていないはずのその場面を、どうして彼女は描写できるのか。
まだ2ページ目ですが、この本の記述がただの“偶然”では済まされない気がしてきました。
軽い気持ちでページをめくるたび、ひとつずつ“過去の未来”が、じわじわと輪郭を持って浮かび上がってくるようです。
次回は、3ページ目の予言をご紹介します。
『おひさまが ずっとでてこないひがあるの♡』
……その日は、すでに来たのか、それとも、これからなのか。
──第4回につづく。