第1章 第1話「恐怖の手前」
マディガン軍曹の怒声が、訓練場を裂くように響いた。
「セオ!腰が甘い!お前はただの的になるために入隊したのか!」
砂利を踏み閉まる兵たちの足音が、びくりと揺れる。
散開から再集合への移行訓練だ。
基礎中の基礎だが、それだけに誤魔化しがきかない。
俺は、列の外からその様子を眺めていた。
隊内唯一の情報士官として、小隊の動きを記録し、誰がいつ遅れるか、どの経路で立ち止まるかを観察する。
汗を流しながら息を整える兵たちを冷たく分析する自分が、ほんの少しだけ他人のように感じた。
魔族が初めて歴史に刻まれたのは、二百年程前のことだ。
人間が無秩序に魔法を使った代償と言われ、魔族の大量発生により国や都市が一夜にして消えることも珍しくなかったらしい。
世界の人口の8割は、その"厄災時代"に死に絶えたと言われている。
"厄災時代"を乗り越えるために、国家は魔法を法律で縛り、厳しく管理した。
世界各地で魔族は討伐され、監視体制が整い、人類は復興の歩みをはじめた。
それから約二百年、今や魔族の被害は年間数件程度といわれ、大半が地方紙の小さな記事で扱われる程度になっている。
少なくとも、今この訓練場に並ぶ兵たちにとっては、教本の挿絵か酒場の笑い話程度のものだろう。
「散開位置、確認よし。集まれ!」
マディガンが短く吠える。
その背後で、ローデル中尉が無言で腕を組み、硬い顔でその様子を見守っていた。
この若い中尉は、小隊を率いるために士官学校を出たばかりの頃の面影を、まだ色濃く残している。
誰もが魔族を知らない。
だからこそ、こうして日々の訓練は怠らない。
恐怖が遠いものならば、なおさら準備だけは怠るわけにはいかない。
俺は黙って汗を拭い、再び歩調を整える兵たちを見つめる。
これが恐怖の手前。
まだ血が泡立つことも、静寂が濃くなることもない場所だ。
初の投稿になります。
残酷な描写も予定しているので、苦手な方はあまりお勧めできません・・・。
長編を想定していますので、お付き合いよろしくお願いします。