第二章ep.3 ソの郷《そのごう》
由の家に着くと荷車から積み荷を下ろす作業が始まり、女性たちは手早く荷物を家に運び込んでいる。ヒマになった石は、やることもなく荷車のそばで手持ち無沙汰で突っ立っている。
ちょこまかと小さなからだで懸命に手伝いをする妙に感心する石。
..この子のほうが、あしよりも役に立ってるなぁ...
耳がひくひくと動く。耳を澄ませる、遠くから誰か近づいてくるようだ、その気配に石は意識を向けた。近づいてくる人も荷車のそばに立つ石に気付いたようで、一瞬足を止めた。
ゆっくりとまた歩き出し、互いの距離は縮まる。
由の話によれば、顔見知りしかいないような小さな集落でみんな身寄りのない者達。訪ねて来る旅人もいない。
..由の知り合いだろうか?
近づいて来る者に気付かないふりをしながら、杖の先をポンと人が来る方向に向け投げて置く。先から伝わるかすかな振動で距離を測る。
近づいてきた男が止まった。互いの距離は3歩半くらい、ちょっとした緊張感が漂う。
「俺は、この集落に住んでる定吉って者だけど、おいさん見かけない顔だね。どこから来たのかい?」
定吉は、石の横顔を覗きこむように見る。
「気を悪くしたら申し訳ない、この辺りは滅多に余所者が来ることがないんで珍しいと思ってね。この家の人と知り合いかな?」
相手の気分を損ねないよう慎重に話しかけてくるのが伝わる。出来るだけトラブルにならないよう普段から気を使っているのだろう。
声や雰囲気は若そうな感じに思えるのだが、意外と場数を踏んでいるのかもしれない。
..由がうわさしてた定吉か...。
定吉は石が黙りこくっていても、急かしはしない。自分が無視されてると感じたら、カチン!ときてもおかしくない若さだろうが、表面上は不機嫌な様子は見せない。
..渡世人というわけでもなさそうだ、善良な普通の庶民という感じだが..。
石は定吉の気配に集中している。
...教養もありそうだ、由の話では仕事も出来る切れ者...。おかしな奴、・・そんな優秀なのが、なぜこんな辺鄙な山の中にいるんだ?
定吉は何も言わず石の返事をじっと待っていた。石は定吉に応えた。
「ここの家主とは、知り合いってほどのものじゃ御座いませんが・・」
取り敢えず、聞かれたことだけ返す。
定吉はうすうす違和感を感じていたようだが、なにかに気付いたようだ。
「悪かったね。急に話しかけて」
..?
謝る定吉の言葉に、何のことかよく分からず石は押し黙る。
「目なが不自由なら、急に話しかけられたら驚いただろう、驚かせてしまったね」
...なるほど..。
「気にすることは御座いません。よくあることなんで」
相手が勘違いしているなら、そのままにしておく。
「定吉さんは、こちらの家主とどんなご関係でしょう?、家主から亭主持ちとは聞いてはいなかったけれども」
「いや、亭主とかじゃない、同じ郷に住む顔なじみのひとりだから」
定吉が慌てて否定する。
「家主はいま家の中にいるみたいだが、定吉さんが御用があるなら呼びましょうか?」
「いや、用ってほどでもないんだが、参ったな、俺が聞いてたはずなんだけど」
正直な答えに石は笑ってしまう。
「何か変だったかい?」
定吉は、不思議そうな顔でいる。
..素直な奴だな、態度に裏表がない.。
頭はキレるのだろうが、根は素直で正直そうだ。
「あしは、石ってもんだ。江戸まで旅をしててね。定吉さん、あんた職人ってのを家主から聞いたが、この荷車を造ったのはあんたかい?」
「そうだよ。水茶屋へ行くのに荷物を背負って行くのが大変そうだったから造ったんだ、大工仕事の片手間で造ったものだからまあまあの出来かな」
「いや良い出来だよ。あしは旅で色んな職人のものを触ってきたが、これはいい細工だし、全体の按配(バランス)も良い」
しっかりとした土台で、変な揺れがない。よく計算された細工物というだけでなく、ヤスリで丹念に磨いていて、由も大事に使っているからだろうがささくれひとつない。
使う者のことを考えて造ったのだろう。
「有難う、なんか面と向かって褒められるとこそばゆいが、嬉しいよ」
定吉が照れくさそうに笑う。
「石さんって言ったかい?もうすぐ夕暮れだ、石さんは子毛で宿を取るつもりかい?」
「いや、今日の宿に困っているという話をしたら、由さんが親切に家に泊まってもいいと言ってくれたんでね。厚かましいながら今晩、厄介になろうかと来たんだが..」
石がそう言うと、定吉は口籠もりながら言った。
「ああ、・・そうか、それは難儀なことだろう・・・うん、あーでも、うーん…」
急に定吉が、歯切れ悪くなった。
..なんだ?..
狼狽える定吉の様子を伺う。
「でも(盲目とはいえ)男がその、母娘の女所帯に泊まるのはどうかな?って、俺は独り者だから、俺の家で良ければ、今からでも大丈夫なんだが..」
...ぁあ、そういうこと...。
定吉は石の様子をうかがっている。
「おじちゃん!」
声とともに、妙が家からとび出して来て、定吉に向かい真っすぐ走る。呼ばれた、定吉は苦笑していた。かがみ込み腕のなかに、妙を抱え込んで抱き上げると、
「妙、俺はまだオッサンって歳じゃねえの、勘弁してくれよ」
と妙に向かって話す。
「定吉さん、お帰りなさい」
家の戸口へ歩いていた弦の前を歩く由が、嬉しそうな声を上げている。男の名を呼び、弦は由の背後からからその人物を見た。
そこには、整えた髷、着物をきれいに着こなした鯔背な男がいた。歳は二十後半、弦と同い年か上かもしれない。妙がよく懐いていて由も信頼しているようだ。
「水茶屋に行ったら、もう店終いしてたんで家に来てみたんだ。今日は誰か来たのかい? まさか荷車を由さん一人で運んだのかい?」
「たえもいる!」
と、定吉に抱えられてる妙が不服そうに主張する。
「ああ、確かにそうだ…、あ、えっと、...その女性はどちらさんかな?」
定吉は由の後ろにいる娘に気付き、由に尋ねた。
「弦と申します」
弦は頬被りしていた手ぬぐいをとり、頭を下げる。
一見、少女のような見た目と違い落ち着いた静かな物言い、定吉は軽く気圧されて、あわてて頭を下げた。その慌てように、くすくす笑いながら由が話す。
「今日は、この方たちが家に泊まることになったので、早めに店を閉めたの。途中で会えたら良かったんだけど会えなかったから、後で行こうと思ってたのよ」
由の話を聞きながら、定吉はハタと気付いた。
..あれ、石さん一人じゃないのか?この女性も一緒、じゃあ心配することもなかったな。
「ああ、そうか、それなら良いんだ。あ!、いや、え―そうだ、じゃあ弦さんも一緒に荷車を引いてくれたのかい?この火鉢を積んでる荷車は女性一人で引くのは重たいし危険だから、弦さんがいてくれて良かった、二人なら安心だ」
急に饒舌になって早口で話す定吉。腕のなかの妙が不思議そうに見上げている。
「?…荷車を引いたのはそこの石さんよ、ひとりでここまで引いて来てくれたの」
定吉が早口過ぎてうまく聞き取れなかったが、おそらく何か勘違いしているのだろうと思って、由が説明した。
「へ?」
定吉は、信じられないという顔で石を見た。
...そろそろ町に行きてぇかな?..。
石は、手持ち無沙汰で空を仰いでいる。
「いっさん、私はこちらで由さんのご厚意に甘えさせて頂きますから。もう町へ行かれても大丈夫ですよ」
石の心を読んだように、弦が言葉を投げかけると、「おっ」と石は嬉しそうに声をあげた。みんなに向かい満面でニコっと笑うと、クルッと背中を向け、そそくさと荷車を押してきた道を逆に戻って行く。
「ひとりで大丈夫なの?」
石を送り出す弦に、由が小声でささやく。
「大丈夫です。..あの人はああやって、たまに自由にして差し上げたほうがいいんですよ」
ややさみしそうで、またあきらめたような表情をした弦。すでに遠く離れていた石の背中に呼びかける。
「小さな子供もいますから、子の刻(深夜0時前後)までには帰って来てくださいね」
石は振り返りもせず、背を向けたままひらひらと片手を振る。
「俺、心配だからついていくよ」
定吉も離れていく石の背中を見ていたが、由と弦を振りかえり言った。
「そうね、目が不自由じゃ町まで心配だわ、お願い」
由はそう定吉に頼んだが、弦は断った。
「町の棒鼻(入り口)まで出迎えが来るそうですから、わざについて行かなくても大丈夫、お気持ちだけで充分です」
..久しぶりの町で、きっとひとりでウロウロしたいから、誰かがいるといっさん嫌がるわ..。
弦は小さくなった石の後ろ姿を見つめる。
...あの助五郎に会うのは心配だけど、ちゃんと元気に帰ってくるでしょう。むしろわたしや誰かが一緒に居る方が足手まといになって、いっさんの身を危うくしてしまう..。
「夫は大丈夫です」
定吉は驚いた顔で、
「おっと?...あの、二人はどういう関係で?」
おずおずと定吉は弦に尋ねた。
「夫婦です」
弦はごく自然に答えた。目は、まだ石の姿を追っている。
見た目と違い弦が大人の女性であることは理解できたが、どう見ても石と弦は親子ほど歳が離れているように見える。定吉には、ふたりが夫婦だというのはにわかには信じられなかったが…。
結局、定吉は「俺が気になるから」と石の後を追いかけていった。しばらくすると、二人とも姿は見えなくなっていた。
弦は、石の姿が見えなくなるまで、じっと見つめていた。内心は、定吉がついて行ったことで、ほっとしている自分に気が付いた。
初めての土地の初めての町だから、やはりひとりで行かせるのは心配だったのかもしれない。
定吉に置いて行かれ、その姿を弦と同じく眺めていた妙。キュルキュルキュルとお腹の虫が鳴く。
「お腹空いた?」
由が妙の背中に手をやる。妙は恥ずかしそうに、由の足下で顔を隠すように着物に押し付けた。
「ご飯にしようか」
「手伝います」
弦はふたりに近づいて、顔を隠す妙の頭を撫でた。
三人並んで家に入る。しばらくすると、家の中からコトコトと食事の支度をする音と良い匂いが漂ってきた。