第二章ep.3 ソの郷《そのごう》
【由の家‐よしのいえ】
由の家に着いた。石が取り手を下ろして囲いから出ると、女性たちは荷車から積み荷を下ろす作業を始めた。
ぼんやりと石が荷車のそばに立っていると
「いっさん、もうここは良いですから」
と弦に対よく追い払われた。仕方ないので、忙しそうな荷車から離れてぼんやりしている。
...妙のほうが、あしよりもよっぽど役に立ってるなあ
ぼんやりしている石を誰も責めたりしないが、幼い妙が片付けの手伝いを頑張って、ちょこまか動いている。大人としては、流石に気が引けた。
・・・かすかに動物の歩む音が聞こえた気がして、遠くの方へと意識を向ける。
...獣か?
石の耳が、ひくひくと動いた。まだ遠いが、二本足の足音を耳のヒダが捉えた。
サクリサクリ、この家に近づいて来る。石はその音に集中した。
...由の知り合いの近所の住人だろうか
足音は止まった。・・・だが、また動き出す。
...向こうもあしに気付いたな
来る方向へ杖の先を、ポン! と投げた。ザッザッ! 振動が握った手に伝わる。
...もう、こんなに近くに来ていたのか
相手は、気配を隠すことに長けていたようだ。この相手は、歩幅を変えたり足を強く弱く踏んだり、呼吸も抑えていて気配が掴みづらい。この距離なら、普段であれば相手をイメージ出来る。だが、まだ相手が男か女かさえ掴みきれてない。
...忍みたいな奴だ・・・
由の話では、ソの郷は顔見知りしかいない小さな集落で、みんな身寄りのない者達。遠方から、訪ねて来るような人間はいないらしい。経歴が分からない者は多いようだが、皆ごく普通の人達で、今は、そのほとんどが大工仕事の関係で生活をしているという事だった。
...ソの郷の住人なのか? それとも助五郎の手下に、密かに尾けられていたのか?
助五郎への挨拶は、まだ済んでない。それまでは居所を知られないほうが身の為と、石は考えている。最悪、話が拗れて、ここを逃げなきゃならないこともあるからだ。
...もし手下なら、助五郎へ報告をする前に叩くしかねえ。その後は、先へ行くのではなく来た道を戻ろう。そのほうが逃げ切れる可能性が高い
男が、足を止めた。
互いの距離は三歩半。一撃には遠く、仕掛け始めには丁度良い距離だろう。互いの間に、緊張感が漂っていた。
石は、いつでも杖を突き動かせるように握りを変える。
男のほうから、声がかかった。
「こんにちは、俺は定吉って者で、ここの家主に用事があって来たんだが、おいさんは、この家の人の知り合いかい?」
...・・・なんだ、噂の定吉じゃねえか
石はホッとした。
「このあたりは、めったに他所から人が来ないから、つい好奇心から話しかけてしまったよ。今日は良く晴れていい天気だったなあ、昨日とは全然違って」
「昨日は天気がずいぶんと悪かっただろう? ひどい雨で、ずぶ濡れになって俺は往生したよ。おいさんは、西からここへ来る道すがら、雨にやられなかったかい? それとも東から来たのかい?」
定吉は、気さくに話かけてくる。その中には、相手に敵意を抱かせないような言葉選びの慎重さがある。
声や雰囲気はまだ若そうなのに、歳を重ねた者のような配慮に多くのトラブルを経験した落ち着きがある。石は、定吉に得体の知れないモノを感じた。
...気配を隠す動きから何気に人を探る口振りまで、こいつは普通の庶民じゃない
由の話の定吉は、人をまとめる力があり政治も出来る、とびきりの切れ者。ただ、堅気の男だと思っていて違和感は感じなかった。
...考えれば、おかしな話だ。そんな有能な奴が、なぜ縁も所縁もない辺鄙なところで燻ってる
「俺は、上方に一度も行ったことがなくてね。子毛街道は、京まで繋がってるから、隠居したら、一回は行ってみようと思ってるんだ。おいさんは、賀茂祭は見た事はあるかい? 今頃あるそうなんだけどね」
定吉は、ちらと石の握る杖を見た。そして半歩だけ後ろへ下がる。
...もう、杖がとどかねえ。勘のいい奴だ
石は、答えた。
「あしは、ここの家主と知り合いってほどじゃございませんが、水茶屋でお世話になりましてね。その縁で、こちらに来ております」
定吉は石の盲いた目を見ていた。
「ようやく話した・・・ずっと気になってたんだが、おいさん、目が見えないのかい?」
「・・・ええ、それが?」
「それじゃ、急に話しかけられて戸惑ったろう。悪いことしたなあ。ずっと顔を反けて黙ってたから、怒ってるのか、どっちなんだろう? と、正面から顔を見てようやく分かったよ」
...なるほど
「気にすることは、ございませんよ。定吉さん、よくあることなんで」
...定吉は、どうでもいい世間話しながら、あしを観察してやがったな。抜け目のねえ奴だ
「定吉さんは、こちらの家主と、どのようなご関係でしょう? 亭主持ちとは、聞いては無かったんですがね」
「い いや、亭主とかじゃないよ。同じ郷に住む、ただの顔なじみのひとりだから」
定吉は、驚くほど慌てている。
「家主は、帰ったばかりで、まだ家の中で片づけしてるようですが、定吉さんが御用だと呼びに行きましょうか?」
「いや、用ってほどでもないんだが、参ったな。俺が聞いてたはずなんだがなあ」
正直な答えに、石は笑ってしまった。
「何か変だったかい?」
定吉は、不思議そうな顔でいる。
...素直な奴だ。態度に裏表がねえ。得体の知れないところはあるが、根本は正直者のようだ
「あしは、石って云うもんでね。江戸まで旅をしてる。そういや定吉さん、あんた職人だって由さんから聞いたが、あの荷車を造ったのは、あんたかい?」
石が後ろの荷車を指差した。
...石は目が見えないのに、正確に位置を把握してる
定吉は、思った。
「そうだよ。由さんが水茶屋に行くのに、毎日、荷物を背負って大変そうだったから。・・・仕事の片手間だから、まあまあの出来だけどな」
「いや、それは謙遜だろう。この荷車は良い出来だ。あしは旅の中で、いろんな職人の造り物を触ってきたが、これはいい細工を施してるし、全体の按配(バランス)も良い」
荷車は土台がしっかりしていて、それでいて程良く遊びもあるため変な歪みがない。計算された細工物というだけでなく、ヤスリで丹念に磨いて、由も大事に使っているから、ささくれひとつない。
使用者のことを、よく考えて造ったのだろう。
「ありがとう。面と向かって褒められると、こそばゆいかな。でも、嬉しいよ」
定吉が、照れくさそうに笑う。
「石さんって、言ったかい? もうすぐ夕暮れ時だ、もう、子毛に宿を決めたのかい?」
「いや、由さんに今日の宿に困っているという話をしたら、親切に家に泊まってもいいと言ってくれたんでね。厚かましいが、今晩厄介になろうかと思って来たんだが・・・」
石の言葉に、口をへの字にした定吉は口籠った。
「ああ、・・そうか、それは難儀なことだから、仕方ないか。・・・うん、あーでも、うーん」
定吉の言葉が歯切れ悪い。
..なんだこいつ?
石は、狼狽える定吉の様子を伺う。
「でも、(盲目とはいえ)男がその、母と娘だけの家に泊まるのはどうかな? って、俺は独り者だから、俺の家で良ければ、今からでも大丈夫なんだが」
...なんだそりゃ?
石は、首を傾げた。
【ソの郷‐そのごう】
「おじちゃん!」
声とともに、妙が家からとび出して来ると、定吉に向かって一直線に走った。
定吉は苦笑しながら屈み込んで、腕のなかに妙を迎えた。
そして、抱き上げると、
「妙、俺はまだオッサンって歳じゃない、その言い方は勘弁してくれよ」
と、妙に言った。
「定吉さん、お帰りなさい」
家の玄関口へと歩いていた弦の前で、由が嬉しそうに聞き覚えのある名前を呼んだ。弦は、由の背後からその人物をそっと見た。
そこには、整えた髷に、小綺麗に着物を着こなした若い男がいた。
歳は二十(才)後半、弦と同い年か、少し上かもしれない。
抱きかかえられた妙も、定吉に、よく懐いているようだ。
「水茶屋に行ったら、もう店終いしてたんで、(家に)来てみたんだ。今日は誰か手伝ってくれたのかい? まさか、この荷車を由さん一人で運んだのかい?」
「たえもいる!」
と、定吉に抱えられてる妙が不服そうに主張する。
「ああ、確かにそう、あ、えっと、・・・その女性はどちらさんかな?」
定吉は、由の後ろにいる若い女性に気付いた。
「弦と申します」
弦は、頬被りしていた手ぬぐいをとり、頭を下げた。
一見、少女のような見た目と違い、落ち着いた物言いをする女性。定吉は、軽く気圧されて、あわてて頭を下げた。
その慌てように、くすくす笑いながら由が話す。
「今日は、この方たちが家に泊まることになったので、早めに店を閉めたの。途中で会えたら良かったんだけど、会えなかったから・・・、後で行こうと思ってたのよ」
由の話を聞きながら、定吉は、ハタと気付いた。
..あれ、石さん一人じゃないのか? この女性も一緒・・・じゃあ心配することもなかったな
「そうか、それなら良いんだ。あ! いや、え―そうだ、じゃあ弦さんも一緒に荷車を引いてくれたのかい? この火鉢を積んだ荷車は、女性一人で引くのは重たくて危険だから、弦さんがいてくれて良かったよ、二人なら安心だ」
早口で捲し立てる定吉を、腕のなかの妙が不思議そうに見上げている。
「?、・・・荷車を引いてくれたのは、そこに居る石さんよ。一人で曳いてくれたの」
「は?」
定吉は、信じられないという顔で盲目の石を見た。
...そろそろ町に行きてえかな
夕日が照らす家の前で三人が話してるなか、石は手持ち無沙汰で空を仰いでいた。
「いっさん。わたしは、由さんのご厚意に甘えさせて頂きますから。もう町へ行っても大丈夫ですよ」
石の心を読んだように、弦が言葉をかけると、「おっ」と石は嬉しそうに声をあげた。みんなに向かい満面でニコっと笑うと、クルッと背中を向け、そそくさと荷車を押してきた道を逆に戻って行く。
「ひとりで大丈夫なの?」
そう言って、由は弦を見た。
「大丈夫です。・・・あの人はああやって、たまに自由にして差し上げたほうが良いんですよ」
ややさみしそうで、またあきらめたような表情をした弦。すでに、遠く離れていた石の背中に呼びかけた。
「小さな子供もいますからね、子の刻(深夜0時前後)までには帰って来てください」
石は振り返らずに、背中を向けたまま、ひらひらと片手を振った。
「俺、心配だからついていくよ」
「そうね、目が不自由じゃ町まで心配だわ。弦ちゃん、付いて行ってもらったら?」
...いっさんも、久しぶりに一人で夜の町をウロウロしたいでしょう。誰かが一緒だと嫌がりそうだわ
弦は首を振った。
「町の棒鼻(入り口)まで、出迎えが来るという話でしたから、わざについて行かなくても大丈夫です。お気持ちだけ受け取っておきます」
そして、小さくなった石の後ろ姿を見つめている。
...助五郎に会うのは心配だけど、いっさんは絶対に元気に帰ってくる。むしろ、わたしや誰かが一緒に居る方が、足手まといになって身を危うくしてしまう
「あの人は、大丈夫です」
とポツリ呟く弦を、定吉は不思議そうな顔で見た。
「あの、二人はどういう関係で?」
「夫婦です」
弦は、ごく自然に答えた。
弦が大人の女性で、見た目とは違うことは理解できたが、石と弦は、どう見ても親子ほど歳が離れているように見えた。
...盲目と若い娘の夫婦・・・
結局、定吉は、「俺が気になるから」と石の後を追いかけていった。
しばらくすると、その定吉の姿も見えなくなった。
弦は、石の姿が消えても、まだその方向を見つめていた。内心は、定吉がついて行ったことで、安心している自分がいる。
行ったことがない初めての町だから、旅慣れてる石と云えども、勝手が分からないだろう。心の奥では、ひとりで行かせるのは、心配だったんだなと気付かされた。
定吉に置いて行かれた妙の、お腹の虫がキュルキュルキュルと鳴いた。
「お腹、空いた?」
由が、妙の顔を覗き込む。由の足下で、妙は恥ずかしそうに着物に顔を押し付けた。
「ご飯にしようか?」
「手伝います」
弦は振り返った。
三人が家に入って、しばらくすると、家の中からコトコトと食事の支度をする音と、良い匂いが漂ってきた。




