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座頭の石 (ざとうのいし)  作者: とおのかげふみ
第一章

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第一章ep.4 鬼造《オニゾウ》と右馬《ウマ》

挿絵(By みてみん)



【衝突‐しょうとつ】


「早く(つぶ)してしまえ」


八九三(おれたち)をナメたら、どうなるか思い知らせてやりゃあいい」


男達から口々に、野次が飛ぶ。


中年男(そんな)相手に、ドスは()らないだろう。素手(すで)にしておけ右馬(ウマ)


助五郎(スケゴロウ)が声をかけた。


「どっちでもいいや、面倒だから殺しちまえよ。こんなくだらねえ(こた)あ、さっさと終わらせて、俺は女に会いに行くんだよ」


と言った男達のひとりは、助五郎(スケゴロウ)(にら)まれて黙り込む。


「いいか右馬(ウマ)、いま子毛(まち)和久家(わく)のお代官(だいかん)が来てることを忘れるな」


助五郎(スケゴロウ)が念を押すように言った。


「おやっさん、和久家の代官(そいつのこと)、なんとか成らんのですか?」


右馬(ウマ)が不機嫌そうに返した。


川目(かわめ)さまは、まだ一介の代官だが、いずれ和久家(わく)()ぐ方だ。子毛(こげ)の見廻り中に刃傷沙汰でも起きて死人が出たら、面目(めんぼく)丸つぶれになる。何事も無く、無傷で帰ってもらわなきゃならん」


右馬(ウマ)は、「ちっ、、」と舌打ちして、長ドスを帯に差し戻した。


「しゃあねぇか・・・、一思いにバッサリやったほうが慈悲ってもんやったんやがな」


そう言って、胸の前で、平手(ひらて)(こぶし)をバチン! と合わせた。


中年男(オヤジ)、バッサリ()くんはヤメ。()わりに半殺しにするわ」


ニヤリと(わら)つた右馬(ウマ)


...助五郎(そいつ)は、殺すなって言ったんじゃねえのかよ


そう思いながら、(いし)は、地面を擦る草履(ぞうり)の音で右馬(ウマ)と距離を測っている。


... 真昼間(まっぴるま)に大人数相手、女子供を(かば)いながらの喧嘩じゃ()が悪い


(いし)はゆっくりと鬼造(オニゾウ)を抑えていた(じょう)を、その太い首から離した。(じょう)の圧力から解放された鬼造(オニゾウ)は、全身の力が抜けて、


「クソ!」


と吐き捨て、肩と背中を大きく上下させて荒い息を吐いている。


... 鬼造(こいつ)を解放したら、どうなる?


すぐに、また押さえつける用意はできている。 


右馬(ウマ)の足が、 止まった。


「おいおい、なんだ? 今更、この喧嘩が無かったことにはできへんな」


右馬(ウマ)は、(いし)が追い詰められてると思い、嗤いながら言う。


...これじゃダメか、さて?


次の手を考える。


...もう面倒だから刃傷(やる)か? ・・・なんてな。こんなつまらねえ小競(こぜ)り合いで怯えてキレるような、ガキじゃねえんだから


とはいえ、相手が匕首(あいくち)(短刀)を使う可能性もある以上は、(いし)も最悪の事を考えて準備して置く。


するすると、気付かれないように、(じょう)を前へ伸ばしていく。 


(じょう)は、釣り竿のようなものだ。地面のわずかな振動を感じ、音と合わせて相手の動きを知る。得られる情報は俯瞰(ふかん)で造られた3D映像のように、(いし)脳裏(のうり)に描かれた。


匂いと感じる空気の流れを加味すると、相手の心理まで読み取れ、刻一刻と変化する状況を予測していく。この瞬間に、(もっと)も、この場の状況を正確に把握しているのは(いし)だ。


それが、視覚を失った代わりに、千辛万苦(せんしんばんく)を経て(いし)が得た能力(ちから)



鬼造(オニゾウ)は、まだ四つん這いで(いし)の足下から動けないでいる。もし動こうとすれば、瞬時に捕まると感じていた。ほんの数分前なのに、威勢よく出てきたときの自分には戻れない。


醜態(しゅうたい)を晒した鬼造(オニゾウ)は完全に自信を失っていた。


...俺が負けた・・・


いままで、叩きのめしてきた負け犬たちの泣き叫ぶ顔が目に浮かぶ。その顔と自分の顔が重なり、鬼造(オニゾウ)は吐きそうになった。


... 負け犬(あいつら)と、俺が同じはずがねえ。相撲取りの頃から、相手の力量を(あなど)った事はない。引戸親方(あいつ)は、そんなこと分かりもしなかったが、だから俺は勝ってきた。


この中年男(オヤジ)には何かある。(力士時代の)対戦相手にも何人か居た、小兵(こひょう)のくせに奇妙に強い奴が、中年男(こいつ)はそんな奴らに似てる。


右馬(アニキ)中年男(こいつ)は見た目より手強(てごわ)いぞ! アニキでも、舐めてかかると危ないかもしれねえ」


右馬(ウマ)は、鬼造(オニゾウ)からそんな弱気な言葉が出たことに驚愕(おどろ)いた。


鬼造(オニゾウ)義兄弟(きょうだい)(さがずき)を交わしててから、こんな事を言う鬼造(オニゾウ)を見た事がない。。


その弱気な言葉に、右馬(ウマ)は帯に差していた長ドスを手にした。


まだ((カタナ)を)抜くほどかは半信半疑(はんしんはんぎ)だが、言われてみれば、気にも留めても無かったあの(つえ)の動き、なにか気になる。


...この中年男(オヤジ)・・・何か企んでやがるのか?


右馬(ウマ)が長ドスを抜こうとしているのを見て、助五郎(スケゴロウ)は眉をひそめた。


右馬(うま)、素手で喧嘩(やるん)じゃないのか、これ以上、(さわ)ぎをデカくするな」


「おやっさん。鬼造(オニ)がこんな弱気なんは初めてや、これは用心せんわけにいかん。事と次第によっては、(長ドス)使わないかん」


右馬(ウマ)は、(いし)を観察している。(いし)も、それを感じ取った。


... ありゃ? 近寄ってくれねえな。なにか気付いたか? 鬼造(こいつ)も案外、余計(よけい)なこと言いやがる


...助五郎達(こいつら)を、ちょいと(あなど)ってたな。修羅場(しゅらば)は、かなり()んでるようだ。これじゃ手強いやつから、不意打(ふいう)ちで撃破(やる)って云うのは無理だ・・・やれやれだ


呑気なように見えるが、脇を流れる汗は酷い。(ひたい)には、じんわりと汗がにじむ。(いし)思考(しこう)はフル回転で、良いアイデアを(ひね)り出そうしている。


...(つる)(よし)(たえ)を盾にするわけにはいかない。騙し討ちも、警戒されたんじゃ無理だろう。(つる)を置いて逃げれるわけには行かず、謝るには遅すぎる 


...・・・考えても打つ手がねえ


その(いし)に、あるアイデアが(ひら)めいた。


...助五郎達(こいつら)、あしが盲目(もうもく)だってことが(わか)ってねえ


(いし)は、ひとりほくそ()んだ。


面子(メンツ)が命の八九三(ヤクザ)達。 たったひとりの盲目(もうもく)相手に、目明(めあ)八九三(ヤクザ)が寄って(たか)って喧嘩したとなれば、勝ち負けは関係なく、間違いなく世間の嗤いモノ。庶民や、まして同業には脅しが効かなくなるだろう。


(いし)は、勢いつけて立ちあがった。その(いし)の勢いに、鬼造(オニゾウ)は、()られる! と感じて、反射的に跳び退()いた。


...なんだ、鬼造(こいつ)は?


と思いながら、(いし)は一歩前へ足を踏み出す。


鬼造(オニゾウ)の汗の跡を避けて地面に膝を着くと、(そら)に向け顔を上げた。うなじに手をやり、首を(かし)げている。


「あ~、みなさま。なにか勘違いされてるんじゃ御ざいやせんか?」


(いし)の呑気な一声に、周囲は息を()んだ。(いし)は話を続ける。


「あしはね、みなさまに楯突(たてつ)くつもりなんて、これっぽっちもありません。なんで、こんな事態(こと)になってしまったんでしょうねえ?・・・そりゃまあ残念なことですが、ソコん(トコ)の御理解、いただけましたなら、へえ、この通り頭を下げてお詫び致します」


(いし)は両手を地面に付けて、(ひたい)を擦りつけて深々と頭を下げた。その様子を見ていた助五郎(スケゴロウ)たち。みな呆気(あっけ)にとられている。


(よし)強張(こわば)った顔のまま。(つる)も、ここが(いし)の落しどころなのだろうと理解し、唇を真一文字(まいちもんじ)に結んでいる。


ひとり、憤りを隠しきれない鬼造(オニゾウ)は石を睨み、隙あらばと機会を(うかが)っていた。


...俺を虚仮(コケ)にして、このままで済むと思ってるのか?


怒りが頂点を迎えた鬼造(オニゾウ)の顔は、赤いを通り越し、ドス黒く()びた鉄のように変色している。


鬼造(オニゾウ)(いし)に静かに近づいた。そして、襲いかかろうとしたとき


ジャリ・・・、(かす)かな音から鬼造(オニゾウ)の動きを感じた(いし)は、瞬時に地面の砂を握ると、鬼造(オニゾウ)めがけて投げつけた。


「あっつ、クソ!」


鬼造(オニゾウ)(ひる)んだ隙に、(いし)は、その巨体をひらりと(かわ)して背中側にまわり、背中を脚で押し潰して上に乗った。


地面(じめん)()し潰された鬼造(オニゾウ)は、まるで泳いでるように手足をバタつかせている。


(いし)は、膝と手だけで鬼造(オニゾウ)の巨体を制圧(せいあつ)すると、その巨体を探り、腹帯(はらおび)の下の匕首を取った。


そして、刃を抜くと背側を鬼造(オニゾウ)喉元(のどもと)に押し当て、いつでも()()れるぞ! と脅しをかける一方の手で、(じょう)手繰(たぐ)り寄せた。


揉め事を大きくしたく無かったが、空気を読まない鬼造(オニゾウ)のせいで、こうなったのは仕方ない。


...その事は八九三共(こいつら)理解(わかっ)てもらいたいんだがね


(いし)鬼造(オニゾウ)を制圧したまま、しばらく周囲の状況を(うかが)った。誰も近づいて来る気配は、無い。石は途中までだった話を続ける。


「みなさま、あしは目が見えちゃおりません。その為いき違いがあったんでしょうが、あしは、そんな事なにも気にしちゃおりません。みなさまも、お気になさらずそのままで動かれませんように」


そう言うと、鬼造(オニゾウ)の喉に当てていた刃を(さや)に納めた。まだ、巨体を制圧したまま、ポン! と匕首を前へ放り投げる。


「あしにも、みなさまにも落ち度があったと思いますが、気にするような(こま)けえことは野暮(やぼ)にしましょうや。ここは全てを水に流すという事で、はい。御終(おしま)い」


そこまで言うと、鬼造(オニゾウ)の巨体を解放した。


権力(おちから)のある方々が、盲人(もうじん)ひとりを相手に大騒ぎしたとあっては一家の名折れ。決して、大事(おおごと)にする話では御座(ござ)いませんでしょう? では・・・」


(いし)(じょう)を突いて立ち上がり、後退り(あとずさり)すると腰掛けに座り直した。


鬼造(オニゾウ)は、まだ地面に倒れたままだった。ゆっくり背後を向くと、下から石の|表情が見えた。


薄ら嗤いを、貼り付けた(かお)


鬼造(オニゾウ)(ふる)えながら、勢いない声で(いし)(ののし)る。


「ふ、ふざけやがって! お前が、目暗(メクラ)かどうかなんて知ったことか!」


右馬(ウマ)鬼造(オニゾウ)の言葉を(さえぎ)った。


「黙れ鬼造(オニ)、情けねえ声出すな。これ以上、恥(さら)してなんになるんや」


鬼造(オニゾウ)(たしな)める、右馬(ウマ)の声が街道に響いた。


「馬鹿は・・・死ななきゃ分かんねえか?」


鬼造(オニゾウ)に聞こえるように、石がボソッとつぶやいた。 


見上げた(いし)は、鬼の形相。不動明王(ふどうみょうおう)かおだった。





【交渉‐こうしょう】


(いし)は腰掛けに座りなおし、もう何事もなかったように足を組み、(くるぶし)あたりをコリコリと掻きながら生欠伸(なまあくび)をしている。


男達は、ひそひそ話し合った。


・ この中年男(オヤジ)見えねえってよ ・マジか! そんなことあり得ねえだろ ・当人(とうにん)が言ってるぞ ・嘘に決まってる ・あの目を見ろよ、ありゃ(めし)いた目じゃねえか ・あの鬼造(オニゾウ)が、目暗(メクラ)にガキ扱いされたってのかよ? ・中年男(コイツ)化け物か? 一体、何者なんだ?!


そして、互いに信じられないという表情で顔を見合わせている。


助五郎スケゴロウが口を開いた。


御主人(ごしゅじん)、名を教えてもらえないか?」


「そいつは、あしの事ですかね?」


石が聞き返す。


「そうだ、御主人(ごしゅじん)の呼び方が気にいらないらしいが、名前が分からなきゃ他に呼びようが無い」


旦那(だんな)が覚えておくような名前じゃ御座いませんよ。どうぞ捨て置いておくんなさい」


(いし)は、また煙草に火をつける準備をしている。


儂等(わしら)、この大八車の料理を今すぐにでも、ソの()の淵で頑張っとる職人の元に持って行かねばならんのだ。いいか? ここであった事は水に流してやっても良いが、話はついたというわけじゃない。まずは名前だ、教えてもらおう」


「・・・」


...どうりで、この()えた(腐った)臭いの正体が分かった。どうやら、この蒸し暑いなかで(わら)(かぶ)せただけで、生モノを運んでたのか 


鼻をつまみたくような臭いの理由(わけ)を知り、不愉快な気持ちになる。


...面倒な事になったぞ。あしも、青臭(あおくせ)え頃は渡世人(とせいにん)に憧れて、風切って生きるのが(おとこ)の生き様と(イキ)がっていたもんだが、もう阿漕(アコギ)強欲(ごうよく))な世界は、コリゴリだ


…それに、助五郎(こいつ)は自分じゃ分かってないようだが、身体から、ついさっき誰かを(あや)めたような生々(なまなま)しい血の臭いがしてる。あの世に逝けねえ者の恨みつらみと(たましい)が、助五郎(こいつ)(まと)わりついて離れてねえ


「わしは、子毛(こげ)で商いをしてる問屋の主人だ。()の屋助五郎(スケゴロウ)と云えば、町の住人なら誰でも分かるだろう」


助五郎(スケゴロウ)は、仰々(ぎょうぎょう)しく両手を広げた。


「わしは名乗(なの)った。 これで名乗らないのは、筋が通らないだろう? なあ御主人(ごしゅじん)、そろそろ茶番は終わりにしよう。名前が分からきゃ、使いに誰を連れて来いと言えばいいんだ? 名無(なな)しの権兵衛(ごんべえ)か? 嗤えねえ話だ」


...知らねえや


しかめっ(つら)で、黙り込む(いし)


...八九三(ヤクザ)からの呼び出しか、・・・つくづく幸運(ツキ)が無い。この男が子毛(まち)仕切(しき)ってるなら、出来れば子毛(まち)は通り過ぎたい。だが、(つる)はもう限界で、この先の野宿(のじゅく)には耐えられないだろう


...あしはまだ全然大丈夫だが、(つる)は休ませてやらなきゃいけねえ・・・、もし行こうとすれば、我慢してでもあしについて来ようとするだろうが、無理すりゃ死んじまう


「御主〇、名・・●×△#~・*・」


...五月蠅(うるせ)えな、あしは考えてるんだ


名前を言わない石と、言えという助五郎(スケゴロウ)無意味(むいみ)な問答が続いていた。


周囲は飽きて、欠伸(あくび)をする奴、山向うをぼんやり(なが)めてる奴、コソコソと笑い声する。みんな暇を持て余していた。怒り狂っていた鬼造(オニゾウ)は、地べたに胡坐(あぐら)をかいて鼻糞(ハナクソ)をほじり、右馬(ウマ)小便(しょうべん)する場所を(さが)しに野っ原に消えた。


(たえ)も暇そうに腰掛けで足をブラブラさせていて、傍らに立つ(よし)に、(つる)は、ひそひそと饅頭(まんじゅう)の作り方について教えてもらっている。



急に、助五郎(スケゴロウ)甲高(かんだか)い声が街道に(ひび)いた。


「お前達、何やってるんだ!? せっかく運んできた料理が(いた)んじまうぞ。いつでも出発できる用意をしとけ!! 鬼造(オニゾウ)、いつまでそこで遊んでるんだ。右馬(ウマ)!どこだ! 先頭に立って大八車を先導(せんどう)しろ!!」


一気に言い終えると、助五郎(スケゴロウ)(いし)を見た。


「わしの屋敷は(よし)が知ってる。以前(まえ)多の屋(うち)で働いてたからな」


助五郎(スケゴロウ)(いし)に近づいた。顔を近付け、耳元で(ささや)く。


「断ってもいいが面倒な事になるぞ。お前は腕に自信が有るようだが、これだけの人数相手に女房を守り切れるかな? わしらは、女房を(さら)う。・・・覚悟は出来たか? わしは、お前の戯言(たわごと)を聞き入れて穏便(おんびん)に済ませたいんだがな」


(つる)を攫うという脅しは、(いし)に響いた。


...意固地になるな(いし)、ここが引き時だ。これ以上やれば、互いに失ってもう引き返せなくなる


...それに、これから旅するための路銀(ろぎん)(旅費(りょひ))が心許(こころもと)ない、稼がねえと江戸までは行けない


冷静になろうとするが、助五郎(スケゴロウ)脅し文句には、怒りで体が震えた。シャレにはできない、それでも、必死に気持ちを落ち着かせる。


...按摩(あんま)(きゃく)ひとりに、四十文(よんじゅうもん)(約千円)。 日で、五人をさばけば、一ヶ月(ひとつき)で江戸までの路銀を稼げる。それで此処(ここ)とはオサラバ


考えは(まとま)まった。(いし)は、近づいたその顔に、頭突きをかましてやりたい衝動を抑えて囁き返した。


「旦那に御挨拶に伺えば、今日の事は水に流すと(おっしゃ)るんで?」


「そうだ」


助五郎(スケゴロウ)(うなず)いた。


「旅の者と茶屋で世間話をしただけだ。そう云う事にしてやる」


石は答えた。


理解(わかり)ました。旦那がそう仰られるのなら、これ以上の御時間を頂くのは申し訳ない。何処(どこ)へなりとも参りましょう、ですが、何分(なにぶん)長旅の疲れで一息つく暇もありません。お時間を頂戴して宿(やど)で身を整えてから、伺う事にいたします」


助五郎(スケゴロウ)は、その答えが少しばかり不満だったが「わかった」と答えた。いまは料理を運ぶ途中、これ以上長引(ながび)かせても意味が無いことは分かってる。


何時頃(いつごろ)、来れる?」


「今日の夜、遅くとも明日の昼には」


「今日の夜だ、出迎えをやる。宿は何処(どこ)だ?」


「・・・」


宿はない。だが、正直に言う気も無い。


...クソ、 ・・・すぅ。と息を吸って口を開く。


昔馴染(むかしなじ)みの腐れ縁、そいつの家で寝屋(ねや)を借りるつもりですが、場所は分かりません。ここで待てば迎えに来ると言ったきりで、さて? 来るのはいつになる事やらそいつ次第でして」


「そうか、じゃあ一人残そう。これで話は終わりだ」


助五郎(スケゴロウ)は、話は終わりと石から離れようとした。だが、これで話を終わらせるわけにはいかない。


「そうして頂ければ(よろ)しいかと。もし、やんごとない(やむを得ない)事情で、伺う事ができなくても旦那に伝わるでしょう。安心いたしました」


八九三(ヤクザ)に居所を知られるなど願い下げだ。名前も知られたくないが、それは無理そうだ。後々(のちのち)起きる厄介ごとを回避(かいひ)するためにも、極力、情報は伝えない。


(いし)助五郎(スケゴロウ)の返答を待った。


「逃げるというのか?」


「さあ? あしは、今日の夜、必ず《う》《か》《が》《う》と約束しました。二言(にごん)はありません。旦那が、あしを信用して、暮れまでに棒鼻(ぼうばな)(町の入り口)にでも案内人を寄越(よこ)して頂ければ、その信頼に必ずお応えいたします」


石は、しずかに言った。


助五郎(スケゴロウ)は、黙って石をじっと見据えている。


石の表情は、まったく変わらず。 


...なるほど、目暗(メクラ)だから、わしがいくら睨もうが恐れんのだったな。 


クククと、助五郎(スケゴロウ)(ワラ)った。助五郎は、また石に顔を近づけ小声で囁いた。


「良いだろう、言う通りにしてやる。ただし、今夜のうちに屋敷に来なければ、山の上、海の底、どこであろうとも地の果てだろうが追いかけて引きずって来させる」


(いし)は返した。


「旦那、盲目(もうもく)と女の足で、夜の山道を越えれるわけがない。あしは、久しぶりに古い馴染みと昔話をしたいだけでね。古い悪友(とも)は、見知らぬ奴が居たら現れない。理由(わけ)は旦那なら分かるでしょう」


助五郎(スケゴロウ)は納得し、石に背中を向けた。


随分(ずいぶん)と無駄な時間を使ったな。急ぐぞ」


「へい」


掛け声とともに、大八車が動き始めた。


助五郎(スケゴロウ)達は去って行く。去って行く時、大八車のかたわらを歩く鬼造(オニゾウ)は、前も見ず(いし)を睨んでいた。


ガリガリ... ! 「ぅおぃ、足が!!」 ゴリゴリ、ゴリッ!。


大八車の車輪に()かれて、転げる回る鬼造(オニゾウ)


(いて)えよ! 右馬(アニキ)


「アホか? 鬼造(オマエ)は・・・」


右馬(ウマ)が呆れて、手下のふたりに起こすように言う。担ぎ起こされた鬼造(オニゾウ)は、涙目でピョンピョン跳ねながら大八車について行った。


間抜(まぬ)けなその姿に、(よし)は顔を(そむ)けて、(つる)は顔を伏せて笑いを堪えた。


助五郎達が向かうのは、ソの()の川辺。そこでは、ソの(ごう)の職人が総出でソの()に大橋をかける工事を行っている。


工事は、幕府より下知(げち)(命令)を(くだ)された天下普請(てんんかふしん)の公共工事。幕府から和久家(わくけ)を通じて、子毛(こげ)の町代の()の屋助五郎(スケゴロウ)に伝えられた。 


御上より受けた天下普請の事業は、庶民にとっては命を懸けた大事業だった。


助五郎(スケゴロウ)達の姿が見えなくなると、(つる)(よし)の笑い声が水茶屋みせに響いた。二人を見上げた(たえ)は目を丸くしている。


何を大笑いしているのかと、(いし)も呆気にとられていたが、ふたりが笑い終え落ち着くと、(いし)は考えていたことを切り出した。


(よし)さん、ちょいと話があるんだが・・・」


(よし)は笑い泣きで、流した涙を拭きながら応えた。


「あたしに?」


「ああ、(よし)さんに頼みがあるんだ」


(いし)は、本当に申し訳なさそうな顔で話をはじめた。


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