ep.7 川づたい
石と八助は川づたいに道を進む。
「全然、川から離れねえ気がするが、お前さんのオジキのお屋敷は、川ん中にでもあんのかね?」
「バカ言え、貧乏人じゃあるめえし、増水すりゃ流れるような土手のバラ屋に、助五郎が住むわけねえだろ」
「分かんねえぜ、川の底に立派なお屋敷が、八助、お前さんはもしかして亀か?」
「何言ってんだ? てめえは。ふざけてんのか?」
言い合いをしてるうちに、河岸を離れ、筋違いの通りへと入って行く。
「やれやれ、やっと川から離れたか、もうどれくらい歩いたんだ? そうだ、ヒマだから、でっけえ声で歌ってやろうかな?」
「つまらねえ事するんじゃねえ! あれから半刻(約1時間)は歩いただろうが
「そんだけ歩いても、てめえらみてえな貧乏人はケロっとしてやがる。歩いたうちに入らねえってか? 無駄に足腰が強えな!」
「いい冗談だな、笑える」
笑いながら、石は考えていた。
...あそこから一里(約4㎞)は離れてるか
石は、助五郎の居る屋敷が町中から離れてるか気になっていた。
「あしは、ひ弱な都会っ子の八助さんが、疲れて足下ふらふら川に落ちるんじゃねえか? って心配でな。歌でも歌って、励ましてやろうと思ったんだが、そんだけ元気なら旦那の屋敷まで、ひと泳ぎ出来そうだな」
「するわけねえだろ! なんで陸にあんのに泳ぐんだ馬鹿野郎。適当な事ばっかり言いやがって、俺を舐めてかかると痛え目に合わせるぞ」
八助は凄んで見せるが、見えない石には関係ない。
「まだ歩くのか? 八助くん」
「まだ半分来たくらいだ。文句言わずに歩け!」
...半分か、町の大通りから屋敷まで、二里(約8㎞)はありそうだ。それだけ離れてりゃ、まずまずか
この町に滞在している間、助五郎と関わり合いにはなりたくない。
石にとっては、町中で顔を合わさずに済むのは助かる。
列をなすように歩いていると、いつしか両側に、ぽつぽつと玄関口に灯りが点る、立派な家々が建ち並ぶようになった。
石は耳をそばだてて、まわりの様子を伺う。
「静かだな。ここは墓場か?」
「てめえは、本当にくだらねえ事を言う奴だな。こっからは、てめえなんかが逆立ちしたって住めやしねぇ、金持ちが住んでるエリアだ。金持ちってのは貧乏人と違って、夜は行儀良く静かにしてるもんなんだよ
「夜中にウロウロしてんのは貧乏人と泥棒だけだ! 俺は抜け出してやる。いつか、絶対に金持ちになって、良い家に住んで、夜は酒を飲みながら良い女を抱いて寝る、そんな暮らしをするんだ」
痰と一緒に、八助が夢を吐き捨てる。
...いつかいつかと思ってるうちに、気付けば、何者でもない年寄りになってるもんさ
と、石は思った。
「お前さんはアレだろ? 多の屋の旦那の甥っ子じゃねえのか? だったら、子毛じゃ左うちわで気楽に暮らせるだろ」
「ああ? 小遣いはオジキがくれるが、全然足りねえ。酒と女ですぐ消えちまう。それに、大事な仕事は任してもらえねえ。使いパシリばかりで、つまらねえ」
...そりゃ、お前が仕事が出来ねえからじゃねえのか
八助が急に足を止めた。
「疲れたか? 八助。貧乏人は足腰が強えってお前の説は振り出しに戻ったな。新説は次に聞いてやるから、さっさと行けよ」
石に揶揄われても八助は立ち止まっていた。
動こうとしないので、何事かあったのかと周囲の様子に気を配る。
「・・・お前、本当に見えてねえのか? そんな風に思えなくなって来たんだが」
「はぁ?」
八助は、盲目の石が自分の背後を、一定の距離を空けピタリとついてくることが、急に気味悪くなったようだ。
...面倒くせぇな・・・
「あしはホントは目が良いんだ。気張りゃ来世が見えるくらいだ。近い未来なら簡単だ。ほら、あれだろ? 屋敷には、旨い酒、イイ女、豪勢な料理が待ってるのが見えるぜ
「早く行こう、八助くん。食えるのはあしだけだがなんだが、仕方ねえな。案内してくれた礼に、特別に鯵の骨を、とり分けてやるよ」
『内緒にしとけよ』と、ニヤニヤ嗤う石。
ずっと揶揄われ続けて、八助もさすがに頭にきたようだ。
「バカヤロウ! お前みたいな何処の馬の骨とも分からねえ奴に、そんな扱いするわけねえだろが、クソが!」
八助は、怒って足早に歩きだした。
「たまには振り返れー、あしは寂しがりだからなぁ。お前の可愛い顔が見えねえと拗ねて、あちらに行っちまうかもしれねえぞ」
八助は振り向いた。
「八屋だと?」
ニヤニヤ嗤っている石に、八助が声を荒げた。
「いま、何て言いやがった?」
石は真剣な八助の言いように、不思議そうに答える。
「あしは寂しがり屋で、お前さんの顔が見えねえと拗ねちゃうぞ」
「バカヤロウ、てめえなんざ最初から見えねえだろうが、そうじゃねえ。てめえ八屋へ行くって言ったのか?」
...八屋? なんだそりゃ
「さあ、どうだったかな?」
「てめえ、オジキの前で冗談でも言うんじゃねえぞ。八屋は、此処ら辺りじゃオジキの一家と肩を並べる八九三だ
「オジキが一家を構える時に、話を通しに行ったら銭を巻き上げられた因縁があってな、オジキの前じゃ八屋の身内と知られたら殺されるぞ」
「そうかい、ありがとよ。あしは、あちらって言ったんだが、お前さんの勘違いだな」
八助は苦虫を、噛み潰したような顔で、石を睨んだ。
それから、・・・多の屋の屋敷までの道すがら、八助はたまに石がついてきてるかを振り返るだけで、早足で歩いて行く。
道が削れて穴が開いてようがおかまいなし、足下を注意するわけでもなく、ただ付いて来てるかだけを気にしてるようだ。
...やれやれ、こいつは親切って言葉を母親の腹の中へ置いてきたらしい。よっぽどあしが消えるのが怖いらしいな、いや、それだけ助五郎が恐ろしいって事か・・・
「早く来い!」
八助が喚いている。
「そう慌てんな、八助。まだ宵の口だろ? 月がようやく重い腰上げて、てっぺんに昇ろうかって時間だぜ
「お前さんはまだ若そうなのに、夜遊びもしねえで早寝するジジイになっちまったのか?」
その言葉に、ふと上を見上げた八助はゾッとした。
夜空には、上がりかけの月が見えている。
八助は、モノノ怪を見るような目で石を見た。
「てめえ、神通力でも使えるのか?」
「ああ、そうだよ」
八助は、それから石が遅い事に文句を言わなくなった。
...よく分かんねえが、八助が五月蝿え事を言わなくなったからいいや、静かで
さて、助五郎は婿養子って話だったが、いったいアイツは何処から来たのか?
こんな小さな町でも一家を構えているんだから、八九三としては、それなりのキャリアある奴なんだろうが...
何か思い出せそうな気がしたが、その前に屋敷に着いてしまった。
門をくぐり、八助が人を呼ぶと、屋敷の廊下をバタバタと足音がした。
そして小柄でふっくらした身体つきの中年女性が、玄関口へとやって来た。
「オジキに、俺が言いつけ通りに目暗を連れてきたって伝えてくれよ」
八助は、その奉公人の中年女性に向かって言った。
女性は八助を黙って見下ろし、何も答えず後ろを振りかえった。
そこには、女性の背中に隠れるように幼い娘が立っている。
「いま旦那様は、お客様に会ってます」
娘が、中年女性に変わって答えた。
「じゃあ錫。右馬の兄貴か、弥切の兄貴を呼んでくれ」
「わかりました」
錫は身を翻して、廊下の奥に消えて行った。
錫の尻を鼻息荒く眺めていた八助を、土間の上から中年女性が軽蔑の眼差しで見下ろしている。
その視線に気付くと、八助はバツが悪そうに顔を背けた。
中年女性は、八助と一言も話さず去っていった。
「てめえの情夫だろ、自分が呼んで来いババア」
女性が居なくなると八助は、小声で吐き捨てた。
...助五郎の機嫌を、損なわねえよう大人しく我慢。なに、一緒に暮らすわけじゃねえんだ、我慢は一時の恥、しねえは一生の恥
石は、八助の背後で自分にそう言い聞かせた。




