ep.2 御公儀
...江戸城の修繕を請け負うような御上に信頼された職人。江戸のほうが稼ぎは良かったろうに、わざわざこんな辺鄙な山奥に来て苦労してる理由が分からねえ
ただの酔狂か? 江戸に帰れねえような大きな不始末をやらかしたのか?...
石の中で疑問が広がる。
「そういや、江戸に歌舞伎って見世物があるらしいんだが、お前さん見たことはあるかい?」
「あるのは知ってるけど、舞台を見たことは無いなあ。たまに町中を歌舞伎役者が歩いてるのを見かけたが
「派手な奇抜な格好で、羽振り良さげに人を引き連れてたよ。女性たちはキャーキャー騒いでだけど、男の花魁みたいな感じだったな」
「ほぅ、変な奴らだな。そういや歌舞伎役者っては昔は河川敷で暮らして、みなから河原乞食って言われて蔑まれるほど貧乏だって聞いたんだが、今は羽振りが良いんだな」
「ピンからキリまであるだろうが、人気役者となれば、興行で立ち見でも入れないくらい盛況らしいよ
「そのクラスになればパトロンも居て、随分と金回りも良いんじゃないかな。噂では御上のすることに口出し出来るような力を持った歌舞伎役者もいるみたいだけどな」
「ほえー、そんなに力があるもんなのか? 凄えな」
「言っても一握りかな、それより人気の歌舞伎役者は色男が多いから
「娘から年寄りまで夢中で、出待ち、追っかけ、ストーカー、なんでもありで、歌舞伎役者を巡る色恋沙汰で刃傷事件まであったよ」
石は呆れ顔で言った。
「触らぬ神に祟り無しって、色恋に首突っ込んだらロクな事が有りゃあしねぇな。歌舞伎役者は商売なんだから、実らぬ恋に身を焦がしても無駄だろうによ」
「くわばらくわばら」と石は手を合わせた。
「女が起こす事件もあったけど、男絡みのモメ事の方が多かったな。彼女や女房が寝盗られた、貢いだ金返せ。孕ませた責任取れで娘の父親が相手方に怒鳴り込んだり
「町方同心の旦那衆も『色恋事なんざ犬も食わねえ、なんで俺たちが?』勘弁してくれって嘆いてたな」
「へぇ・・そうかい」
...こいつの言い方は、まるで町方同心の、その時の姿を見ていたかのような言い方だな
「町方同心もそりゃ大変だ。思いだした、最近じゃ歌舞伎役者が世間で好評だからってんで
「御公儀が、歌舞伎役者を良民って呼ぶ事にしたって聞いた。人気にあやかろうって事らしいが、どうなんかね?」
「どうだろう? そもそも歌舞伎役者を河原乞食って呼ぶ人が居ないな。御公儀が何と決めたかは知らないが
「大抵、歌舞伎役者は屋号で呼ばれる事が多いよ。石さんは歌舞伎に興味があるのかい?」
「あしは温泉が目的の旅だが、弦は江戸に着いたら歌舞伎を見るのが楽しみでな。そんなに面白えもんかな? と思って聞いてみたんだ
「毎日、毎日、耳が痛えほど行きてぇって言うもんだから、カブキカブキって耳鳴りがしてな、静かにしてもらう為に早く連れていかなきゃなんねえ」
「ああ、それで。見た人はみんな面白いって言ってたから、つるさんも満足するんじゃないかな」
定吉は笑ってそう言った。
石は笑ってない顔を見られないよう背けた。
...庶民は、役所だろうが幕府だろうが、上の事は区別なく大抵は御上の一言
馬鹿丁寧に御公議なんて云うはずもなく、そもそもそんな呼び方は知らねえ奴だって大勢居る。
定吉の口振りは奉行所や役人に近いところに居た事を感じさせる
こいつはいったい何者なんだ?
「お前さん、家族は今も江戸に居るのか?」
「おふくろと兄貴が居るよ、兄貴がお袋の面倒を見てくれてる」
子毛の町の棒鼻(入り口)の立て札が見えた。
山向こうに太陽はすっかり隠れてしまい、辺りはもう真っ暗だ。
「石さんの生まれはどこだい?」
「あしは・・・、分っかんねえな。物心つく頃には預けられた家に居たしな、親の顔も知らねえ」
石の答えは素っ気ない。
「そうか、悪いこと聞いたかな」
定吉がすまなさそうな顔で、頭を掻いた。
「よせやい、この世の中そんな話はごまんとあるだろう、それをいちいち気にしてちゃ身がもたねえよ」
町の独特の匂いや雰囲気、人の声が大きくなっている。
宿場に辿り着いたと石にも分かった。
「お前さん、あしを追っかけて来た時に子毛に用事があるとか言ってたが、人にでも会うのか?」
「買い物だよ。現場で手強い岩にぶち当たって、それを割るのに鉄杭やらの道具がいるんだ。だから、よく行く直卸しの店に行くつもりだよ」
二人は棒鼻の立て札の前に立った。
「まだ案内人はまだ来てないな。・・・しばらく一緒に待とうか?」
「子供扱いするんじゃねえよ、あしはお前さんより年上だぜ」
石がニヤリと笑った。
「そうだな」と笑い定吉は町に入って行った。
...信用ならねえ奴と思いたくねえが、まだよく判らねえ。いったい何者なんだ? 一応、用心しておいたほうが良さそうだが
・・・なにせあしは、上方に問い合わせりゃすぐに判明る、凶状持ち(指名手配者)だからな...
石は棒鼻の立て札の前に座り込む。
そこでゆっくりと、助五郎が寄越すと言った案内人を待つことにした。




