表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
座頭の石 (ざとうのいし)  作者: とおのかげふみ
第三章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/18

第三章ep.3 蘭《ラン》の部屋

【蘭=盗人(隠語)-ラン=ぬすっと(いんご)】


(すず)に連れられて現れたのは、新橋色(しんばしいろ)の浴衣を着た男。胸の前で腕を組み、玄関の取次(とりつぎ)の上から(いし)八助(ハチスケ)を見下ろしている。


組んだ二の腕から(じゃ)の入れ墨が見えている。定吉(さだよし)と別れ屋敷へと戻って来た弥切(やキり)だった。


弥切(やキり)は、八助(ハチスケ)と会話しているが、視線は(いし)に向けている。八助(ハチスケ)はオドオドしながら弥切(やキり)を見た。


「あ、アニキ、俺はこれからどうしたらいいすか?」


「その男を、渡り廊下の一番奥、(ラン)の部屋に連れて行け。後で助五郎(ダンナ)が行く」


弥切(やキり)は、冷たく言った。


(ラン)の部屋すか? 俺はあの部屋に行ったことがなくて、よく分かねーかもしんねぇ・・・」


最後のほうは消え入りそうになって、口をモゴモゴしていた八助(ハチスケ)を、弥切(ヤキリ)は冷ややかに一瞥(いちべつ)して、


「案内をつけてやる、(すず)、お前が連れて行け」


と後ろを振り返りもせず言った。


後ろに居た(すず)は、ビクッと体を硬直させてうなずいた。その後も弥切やキりは、何か言いたそうにしばらく(いし)を眺めていたが、急にくるりと背を向けて去って行った。


「じゃあ、頼むぜ(すず)


弥切(やキり)が去り、ホッとした八助ハチスケはニタリと笑って話しかけたが、(すず)は顔を強張(こわば)らせ、視線を合わせないように目を伏せた。


夜になり、外は月夜となっている。屋敷のなかといっても部屋に繋がる廊下は外にある。


暗い廊下を、行燈(あんどん)を手に持って照らしながら先頭を(すず)が進み、その後ろを八助(ハチスケ)、最後に(いし)と縦に並んで歩く。


「なあ、つれなくすんなよ。俺は多の屋の主人(あるじ)と血が繋がってるたった一人の(おい)なんだぜ。俺に良くしとけばこの先、ここでの暮らしは安泰(あんたい)なんだからさぁ」


尻を追うように歩く八助(ハチスケ)の、(すず)に言い寄る一歩的な会話がずっと続いていた。


...ずいぶんでけぇ屋敷だな


いつまで歩くのかと思う長い廊下は、(きし)みも少なく、柱も(ふし)くれのない良い木材を使っていて、金をかけた屋敷だとすぐ分かる。


五街道(ごかいどう)に置かれた徳川お墨付(すみつ)きの宿場の屋敷なら分かるが、子毛(ここ)は人目を気にする者がひっそり通り過ぎる全国的に名も知られてない脇街道(わきかいどう)の宿場町。

 

そんな所の(いち)問屋(とんや)主人(あるじ)が住むにしては、立派すぎる家だ。広さも、本陣屋敷(ほんじんやしき)〔大名など身分の高いものが止まる宿〕かと思えるくらいに大きなものだ。


「なあ、返事くらいしろよ。しょうがねえなあ、そうだ(くし)をやるよ。()()でスっカラカンになったオヤジから利息代わりに巻き上げたもんだが、良いもんらしいぜ。なんでも、そのオヤジの娘が奉公してる先の主人(オトコ)からもらったモンらしいがな。それをやるよ」


()りません」


若い娘の声がした。


おや? と、(いし)は思った。玄関に出て来た奉公人の女性は、足音や歩幅から、ふくよかな大人の女性のように感じたが、この声は若い。


考えことをしてたせいで気付かなかったが、耳を澄ますと八助(ハチスケ)の前を歩く女性は歩幅も小さく足音も軽い、どうやら玄関先にいた女性とは違う。


...あの時、二人居たのか


「あんまり()めんなよ。俺はお前を()いてるから、優しくしてやってんだ。他の奴にこんな冷たい態度をしてたら(ひで)え目に()わされても文句言えねえぞ。俺はやらねえが、ただ優しい俺の我慢にも限界はあるからな」


...女を口説くのに、脅しをかける馬鹿があるかよ


(いし)(あき)れて、後ろから蹴とばしてやろうと思った。


急に(すず)が立ち止まる。一列に並んで歩く渡り廊下の途中で(すず)が止まったので、八助(ハチスケ)も止まる。仕方なく(いし)も立ち往生する。


(すず)は後ろを向き、しっかりとした眼差(まなざ)しで八助(ハチスケ)を見上げた。


「舐めてるとかそういうことじゃありません。今はお屋敷での仕事が精一杯で他の事なんて考えられないんです。追い出されたら、何処にも行き場がないんです。それが旦那様と血の繋がりのある貴方(あなた)に分かりますか?」


毅然(きぜん)とした態度に気圧(けお)された八助(ハチスケ)(すず)はまだ数えで十二(才)。二十五(才)の男から見れば全然子供だろうが、返す言葉が出ない。


(すず)は前を向いた。行燈(あんどん)を持つ手が震え、もう片方の手を胸の前で握り締め、ゆっくりと歩き始めた。大人でも恐ろしいのに、まだ幼い娘が八九三(ヤクザ)に面と向かって言い返すのは、どれほどの勇気を振り絞ったのか誰も想像できないだろう。


その差は開いて行くが、一向に動こうとしない八助(ハチスケ)(いし)は静かにキレてたので、その尻を後ろから蹴飛ばしてやった。


「痛ぇ、なにすんだこの目暗(めくら)、殴られてえのか」


八助(ハチスケ)は二、三歩よろめいてから振り向き、(いし)に向かって来た。(いし)は、八助(ハチスケ)の股の間に(じょう)を差し込んで、掴み掛かる前に体を(かわ)した。


杖で絡まった足は廊下を斜めに走り、バランスを失った八助(ハチスケ)は庭へ転がり落ちた。(いし)はすっとぼけた顔で、「おい、大丈夫か?」と廊下の上から声をかけた。


「この野郎!」


八助(ハチスケ)は土がついた顔を払いもせず、すぐ起き上がると廊下に這い上がる。


怒鳴り声に驚いて振り返ったのは(すず)。目の前には、杖をついて歩く男の背中があり、その向こうに顔も着物も土で汚れた八助(ハチスケ)が、真っ赤な顔で立っている。


(すず)は、何が起きたのか分からず、身がすくむ思いで立ち尽くしていた。


八助(ハチスケ)は、今度は殴りかかろうと拳を振り上げた。(いし)は手に持った(じょう)をガラ空きの腹に真っすぐに突き出し、八助(ハチスケ)鳩尾(みぞおち)を正確に捉えた。


「おっ、いっつ・・・」


八助は腹を抱え、(かが)み込んだ。


「なあ八助(ハチスケ)。お前はあしの案内人だろ? ここであしと喧嘩(けんか)するのがお前の仕事か? こんな事じゃ、大きな仕事は一生、任せてもらねえだろうよ」


(いし)八助(ハチスケ)に近づくと、ポン! と肩に手を置いた。


「あしはお前と喧嘩したくねえ。ここまで来れたのは、なにせお前のおかげだからな。感謝してんだぜ、な?」


(いし)(にこ)やかに、八助(ハチスケ)に語りかけた。


目が見えないのに、正確に自分の鳩尾(みぞおち)に杖を当てた。八助(ハチスケ)の頭に、今日の昼間、鬼造(オニゾウ)を杖だけで抑え込んだ光景が浮かぶ。


あれを見たから、棒鼻(ぼうはな)に座り込んでいた(いし)に声をかけれず、しばらく付け回すことになったのだ。


「まぁ・・・いい。許してやるよ」


八助(ハチスケ)は、愛想(あいそう)笑いと中間の苦笑いを浮かべて立ち上がった。


「ここまで来たら分かるからな(すず)、俺の事は心配はいらねえ。その目暗(めくら)を案内してやれ、俺は着替えに戻る。まったくこいつのせいで土まみれだ」


ぶつぶつ言いながら、八助(ハチスケ)は来た廊下を戻って行く。その足音が遠くなると、(いし)(すず)の前に、(じょう)を差し出した。


(じょう)ちゃん、(これ)の先を掴んで、あしを部屋まで引っ張ってくんねえかな?」


(すず)は不思議そうに杖を見て、(いし)を見た。


「あしの目はダメでね、特に夜はよく見えねえんだ。お嬢ちゃん、あんたの良い目で見て、八助(あいつ)みてえに落ちないよう引っ張ってくれ」


ポン! と(いし)は首筋に手を置いた。


「いけねえや、そういやあしは、いつ(なん)(どき)も同じように見えねえんだったな。ははは・・・」


笑って首筋を搔く(いし)(すず)は見つめ、おずおずと杖を掴んだ。


「いい娘だ、じゃあ、連れてってくんな」



(いし)は、(すず)に引っ張られて鼻歌を歌いながら、機嫌良く渡り廊下を歩いた。


真っ暗な渡り廊下は、吸い込まれそうなほどの暗い闇で、(すず)には恐ろしく感じられたが、下手な鼻歌を歌う呑気(のんき)なおじさんを連れていると、怖さも少し(やわ)らいだ。





【和久家と子毛の町‐わくけとこげのまち】


着いた所はこの屋敷の最奥、三畳ほどの殺風景(さっぷうけい)な小部屋。座布団(ざぶとん)一枚と手枕(てまくら)を置いた首座(しゅざ)があり、燭台(しょくだい)がひとつ、ぽつんと置いてある。


「ちょっと待って下さい」


(すず)は、(いし)を廊下にとどめると、先に部屋に入った。


座布団を探したが、この部屋に座布団は一枚しかなかった。その一枚は助五郎(スケゴロウ)が使うもので、客人のものはない。そもそも客人を通すような部屋ではないので、当たり前のことだった。


「あの、ごめんなさい。一枚しかないお座布団は、旦那様が使うものなので・・・」


申し訳なさそうに、(すず)が謝った。


「そんなこと気にしてたのか? あしは(かて)え場所は慣れっこだから、冷てえ廊下の板の上じゃなけりゃ天国だよ」


すっと、(すず)(いし)の手を取った。小さな手の温もりを感じる。


(いし)は、そのしっかりとした物言いから十五、六(才)かと思っていたが、それよりも(すず)の手が幼なかった。


...まだ小せえのに、手はこんなに(こまけ)え傷だらけだ・・・


(すず)の境遇を思うと胸が痛んだ。


(すず)に手を引かれ、(いし)行燈(あんどん)に照らされた薄暗い部屋のなかに入る。


「こちらに座ってください」


と云われて、(いし)はそこに座った。


ポッと辺りが明るく、少し暖かく感じられた。(すず)行燈(あんどん)の火を部屋の燭台(しょくだい)に移し替えたようだ。


(さむ)くはないですか?」


「ああ、大丈夫。お嬢ちゃん、気を付けて戻りな。真っ暗で怖い時は大声を出してやるんだ。そうしたらモノノ()もびっくりして逃げちまう。あしは怖え時は、大声で歌っちまうけどな。ははは」


「はい」


(すず)(いし)に頭を下げると、「旦那様を呼んできます」と言って去って行った。



人が居なくなると、この部屋は(さび)し過ぎた。ここからは屋敷内の様子が全くわからない、まるで幽閉(ゆうへい)されてるようだ。


...(ラン)の言い回し通りの、『密談(みつだん)』するには、おあつらえ向きなんだろうな・・・


ランとは、盗人などの隠語(いんご)とも言われる。悪党が悪事を企むための部屋、この部屋にはピッタリ来る名前だ。


しばらくすると、八助(ハチスケ)が部屋にやって来た。


(すず)はどうした?」


「知らねえ、用事があるなら呼んで来てやろうか?」


そう言って(いし)は立ちあがろうとした。


「まて、待て! てめえはここから動くな!」


慌てて八助(ハチスケ)が止める。


「動くなよ。オジキが来た時にてめえが居ないと、俺が大目玉喰らう。(すず)はいいから、そこに座ってろ」


「そうか?」と(いし)は澄まし顔で座り直した。


八助(ハチスケ)は、(いし)が座るの見届けると自分は部屋の真ん中にドン! と座り、周りを見渡した。


湿気(しっけ)臭えし、辛気(しんき)くせえ、シケた部屋だな。ここは」 


八助(ハチスケ)は、(ラン)の隠語など知らないのだろう。



しばらく時間が過ぎた。


燭台の油皿(あぶらざら)の火にひかれて、飛び込んだ蚊虫(かむし)が、ヂヂッと燃えて灰になる、その音がやけに大きく響いた。


助五郎(スケゴロウ)は、(いし)が来るのを待っていたはずだが、一向に現れる気配はない。


屋敷の何処かに居るのは間違いないが、もう()の刻(夜10時頃)になろうというのに、現れなかった。 


...()の刻(0時前後)までに帰れって、(つる)に言われたんだがなぁ・・・


いま、部屋には(いし)八助(ハチスケ)しかいない。


八助(ハチスケ)は大の字になって、部屋の中央に寝そべり、人使いが荒い!などと、ぶつぶつ愚痴(グチ)を言っている。


(いし)は黙っていたが、この間に情報収集でもしようかと、八助(ハチスケ)に話しかけた。


八助(ハチスケ)、お前はずいぶんと顔が効くようだが、ここじゃ古株なのか?」


「当たり前だろ、俺は、(八九三(ヤクザ)から)足を洗ったオジキを焚き付けて、一緒に組織(いえ)を立ち上げたようなもんだぜ」


「へえ、じゃあ助五郎(だんな)の相棒と言ってもいいくらいだな」


「おうよ」


八助(ハチスケ)は喜んだ。


おしゃべりで口が軽いこの男は、ペラペラ言って良いこと悪いことの区別なく話した。


話によると、この屋敷は尾張藩(おわりはん)の代官のもの、だったそうだ。


その代官とは、この辺りの宿場町を管轄する、旗本(はたもと)寄合衆(よりあいしゅう)和久家(わくけ)


本陣屋敷(ほんじんやしき)のような豪華さだが、和久家わくけは、避暑地の別宅のような感覚で建てたそうだ。


冬以外の気候の良い時だけ、使っていたというから贅沢な話だった。


和久(わく)より格上の、尾張(おわり)や江戸の役人が来たときは、どうしてたんだ? ここの他に立派な屋敷があるのか?」


「あるわけねえだろ。この屋敷より立派な建物は、この町にはねえよ」


「不思議な話だな。じゃあどこに泊まるっていうんだ?」


「ここに泊まる偉いやつなんていなかったのさ。そりゃそうさ、その昔は、和久家(わく)の連中が隠してたせいで、ここに町があるなんて御上(やつら)は知らなかったんだからな」


(いし)が不思議そうな顔をしてるので、八助(ハチスケ)は笑いながら、説明を始めた。



今は、子毛(こげ)という名前がつく宿場町だが、もともとこの土地にあったのは、木曽路(きそじ)を旅する者が休憩する、簡素な寄り合い施設。


そこに、定住者が現れて、次第に人が集まってくると、自然と集落の形になる。その小さな集落が形成してから早くに、和久(わく)家はその集落の便利性に気付いた。


和久(わく)家はその集落を保護し、庇護(ひご)を受けた集落は、山間にありながら、江戸と京を繋ぐ道沿いにあるという利便性を生かして、発展していった。


町が発展しても、和久(わく)家は幕府に届ける事もなく、その存在を隠し続けて町からの利益を独占した。


和久(わく)家の上司といえる尾張(おわり)家は、当然、町の存在を知っていたが、和久(わく)家からの多額の上納もあり黙認していた。


子毛(こげ)の存在は、尾張(おわり)和久(わく)の両家の利害が一致したため、幕府に秘匿(ひとく)され続け、その間、江戸時代の日本にありながら徳川家の支配下にないという、特殊な存在となっていた。


「てめえは見えねぇからなあ・・・、このお屋敷が、どんだけ立派なのか分かんねえだろうがよ」


和久家(わく)が、この町の利権(カネ)を独り占めしていたから、こんな豪勢な屋敷も建てられたんだ。だがなあ、世の中ってもんは、上手くいかねえもんだよなあ」


はぁぁっ...と両手を伸ばし、八助(ハチスケ)大欠伸(おおあくび)すると、また話を続けた。


「てめえにも分かるように言うと、隠してたことが、御上(おかみ)に全部バレちまったわけだ」


「そりゃ大騒ぎになったろう? 普通なら取り潰しだ、突然無職になった侍達は、職探しで駆けずりまわったんだろうな」


「あん? 和久家(わく)は潰れてねえよ。御上の情けってやつだな。ただ、当主はその弟が継いだらしいぜ、・・・は、ハクショアイ」


八助(ハチスケ)は、大きなくしゃみをした。



この話の裏側を詳しく説明すると...


尾張藩(おわりはん)に、全ての責任を背負わされた和久家(わくけ)だったが、なぜか改易(かいえき)(家の取り潰し)はまぬがれた。


すぐに下された沙汰(さた)(幕府からの通達)は、分封(ぶんぷう)(所領の分割)。温情をかけられたと泣いて喜んだ和久家(わくけ)だったが、その後、正式に幕府からその内容が伝えられる。


現当主は、和久家(わく)知行(ちぎょう)(財産)の三分の二を弟の尚久(なおひさ)に譲れというもの。


再分割された結果、当主の兄、高久(たかひさ)の知行を弟が上回ることになったため、結果的に尚久(なおひさ)和久家(わくけ)の宗家となり、事実上の当主交代となった。


これは和久家(わくけ)の当主、高久(たかひさ)の実質的な廃嫡(はいちゃく)で、徳川幕府が秘密裏(ひみつり)に行ってた、五千石以上の旗本の石高(こくだか)を削るという施策に叶うものだった。


高久(たかひさ)は慌てた。廃嫡になったことも勿論だが、それ以上に深刻な問題があった。


(カネ)である。


寝てても入ってくる子毛(こげ)の収入をアテに、高久(たかひさ)は散財を繰り返していた。


増大した浪費癖は、和久(わく)家の経営を圧迫して家の財政は火の車、今では、借金が収入を上回る事態になっている。 


これが幕府にバレれば、せっかく(まぬが)れた御家(おいえ)取り潰しは反故(ほご)になりかねない。


高久(たかひさ)の家格は分家の小普請(こぶしん)(三千石以下の旗本)に引き下げられ、借金を自力で返す力は無くなった。その上、子毛(こげ)の権益を失うとなれば、今すぐ破綻することは目に見えていた。


高久(たかひさ)は、なりふり構わず助五郎(スケゴロウ)に泣きついた。


その後、ふたりがどんな約束を交わしたのか分からないが、助五郎(スケゴロウ)は、高久(たかひさ)の借金相手の全てと話しをつけ、一部の借金を肩代わりした。 


この屋敷は、そのときの礼に高久(たかひさ)から譲り受けて、助五郎(スケゴロウ)が自分の屋敷として使っている。


そこまでの話は、八助(ハチスケ)は知らない。



八助(ハチスケ)は、助五郎(スケゴロウ)が来ない間、ハネを伸ばしている。


上座(かみざ)手枕(てまくら)を引き寄せて、それを枕に部屋の真ん中でごろ寝していた。


「それで? うまくいったってことか?」


(いし)が聞く。


「さあな? 聞いた話じゃ、兄弟仲は超最悪だって話で、お互い戦でも始めるんじゃないかってくらい憎み合ってるらしい。それにな・・・弟ってのが、女嫌いってのは有名な話だ。それもただの、じゃねえ。イカレてるんじゃねえか? ってレベルらしいぜ」


「そんなに(ひど)いのか?」


尾張(おわり)城下に、夜な夜な、濃い化粧をしたおんなが現れて、稚児(ちご)のような若い男ばかり誘うって噂があんだよ。和久家(わく)は総出で隠そうとしてるが、どうやらそれが、女の格好をした、その弟(尚久(なおひさ))じゃねぇかって話だ。ともかくよ、男色(だんしょく)のレベルじゃなくて、女に欲情しねえってのが本当らしいぜ。だから嫁が居ても、(そいつ)同衾(どうきん)を嫌って、跡継ぎが出来ないんだとよ。所領をもらっても、跡継ぎがいねえんじゃ話になんねえなあ」


八助(ハチスケ)は、またゴロンと横になる、


「その嫁は、良い女なんだろうなぁ、俺だったら、毎日抱いてやる。まったく、気が狂ってるとしか思えねえな」


と呟くと、天井を見つめた。


「ただ、和久家(わく)が揉めてっから、オジキはそのゴタゴタに首突っ込んで、ソの河の橋造りっていう幕府の大仕事を手元に引っ張りこんだ。オジキには、運と才能がある。オジキについて行きゃあ、いい思いにありつけるはずだ」


「へぇ・・・、お前さんも運があるじゃねえか、血は争えねえな」


「分かってるじゃねえか、(いし)


さっきまで、愚痴っていたのに、いまは助五郎(スケゴロウ)のことを自慢気(じまんげ)に話している。(いし)は適当に相槌(あいづち)を返していた。


...跡継ぎが出来ねえ男を当主にして、御上は、何する気なんだろうな。と云うよりも、弟がそんな奴だって調べてたんだろうか? もう、廃嫡された兄の当主復帰はあり得ないだろう。じゃあ、弟が死ねばどうなんだ? 改易(かいえき)か? 後継ぎなしで領地を没収か?


改易(かいえき)待ちか? 手を汚さずに、あとは待つだけ。御上ってのは、エグいことを考えるもんだ」


(いし)が、ボソッと呟いたのを八助(ハチスケ)は聞き逃さなかった。


「かいえきってなんだ? てめえは、よく分かんねぇこと言う奴だな」


八助(ハチスケ)は起き上がると、(いし)と向かい合う。


「いいか? オジキには運と才能があるって言ったろ? いまその弟の養子にって、和久家(わく)が迎えたやつ・・・が、名前は忘れちまったが、そいつが橋造りの視察のために子毛(こげ)へ来てる。オジキが接待をして、手懐(てなず)けてる真っ最中なんだよ」


何者(なにもん)だよ、そいつは?」


(いし)が尋ねる。


「さあ、和久家(わく)の遠縁ってことらしいけどな・・・お前、聞いてねえか?」


...あしが聞いてんだアホ・・・誰かやって来たな


廊下を、こちらへ来る人の足音がした。


ズシズシと、床を踏む音がする。石は、その歩幅と歩くペースに覚えがあった。


おそらく、多の屋助五郎(スケゴロウ)のお出ましだ。


.,.長いこと待たせやがったな。イラつくなよ(いし)、こっから助五郎(あいつ)のご機嫌とりの時間だからな


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ