第三章ep.2 石と 八助《ハチスケ》
...全然来ねえな、案内人を寄越しておくんじゃなかったのかよ、あの助五郎は..
石はまだ棒鼻(町の入り口)の立て札の前で案内人を待っていた。あまりに暇だったので、水茶屋で感じた助五郎の様子を思いだそうとしていた。
助五郎は真っ当な商人を装っていたが、体の奥底から滲み出る悪臭は完全に消えてなかった。
今でも現役で裏街道を突っ走ってるからなのだろう。悪党は犯罪を重ねれば重ねるほど体から出る悪臭は強くなる。
やがてその悪臭はまわりの者を腐らせ、自分の心を壊していく。
...どんなに消そうとしたって、体に染みついた悪臭ってやつは消えないもんだ。
石にも憑りついた悪臭。人を殺め裏切って周囲の人達を危険に晒す。
必死に藻掻いて生き抜いてきた石の足跡には、石に人生を狂わされた人達や命を奪われた人達が横たわっている。取り返しがつかない過去の悪行に贖罪する術はもう無い。
...そういうの考えると滅入っちまうな...。
塞ぎこむ気持ちを切り替える。今から子毛の町を支配する多の屋助五郎と腹の探り合いだ、落ち込んでる暇などない。
...しかし、由と会えたのは幸運だったなあ...
子毛の町に弦を連れては行けない、それは助五郎に弦を人質に差し出すのと同じこと。だが由の家なら安心できる。
少なくなった路銀(旅の資金)を稼がないと旅を続けられない。子毛の町でしばらく按摩仕事で路銀を稼ごうと思うが、由の家には小さな子供もいて、子毛からも遠くどうにも都合が悪い。
それにあの家では、石はやる事がないが、弦には宿代代わりに由の水茶屋を手伝う仕事がある。
...自分は寝れさえすりゃあどこだっていいんだから安宿を見つけて、そこを一時の塒にしよう。そこから客通いすりゃあいい...と石は考えた。
...さて今晩は良しとして、しばらく弦を由の家に置いてもらわなきゃならねえんだが、由になんて頼もうか...。
石はそんな試案しながら案内人を待っていたが一向に現れる気配はなし。
面倒になった石は『迎えが遅いのが悪い』と漂う良い匂いに釣られるように子毛の町へと入った。
町の通りは暗くなると、また別の意味で賑わい始め、夜の活気を思い出す。
中央を流れる川べりにはいくつか屋台が立ち、大通りは宿屋や飯屋が並んで春売り(買春)のところへ連れて行こうとする客引きもいた。
人の往来も田舎にしてはかなり賑わっている。
..田舎町にしては、景気が良いことだ...
石は久しぶりの酒の匂いと大勢の人の匂い、飯や魚、女の匂いに釣られ、喧騒、人の話し声、笑い声を聞きながらゆるゆると町を歩く。
寂れた田舎の宿場町を想像していたがかなり活気がある。
子毛に入ってから石は、ずっと自分の後を追う存在に気は付いていたが。それより好奇心が勝ち、尾いて来るやつを捕まえるのは後回しにして、ウロウロ町中を歩き回った。
しばらくして、だいたい町の空気にも慣れた頃そろそろずっと後ろを尾いてくるやつを、どうにかしようと思った。
何の目的か分からないが主人を追いかける犬のように、石の後ろをずっと追いかけてくるので興味が沸いた。
あちらこちらと覗き込んで出ていくを繰り返す石のその後ろをピタリとついてくるのだから、石を尾行しているのは間違いじゃ無いだろう。
石は川っぷちで足を止めて座って草履の紐をゆっくり結びなおしてみた。
すると尾けて来た奴は、ここぞとばかり駆け寄ってきて屈む石のそばに立った。
「助五郎がお前を連れて来いとよ、多の屋のお屋敷まで一緒に来てくれ」
そいつの声はなぜか微妙に震えている。
...なんだ、助五郎が言ってた案内人か。
物盗りも有り得るなと身構えてはいたが、棒鼻で会うはずだった案内人だと分かり気が抜けた。
「はいよ、じゃあ案内してくれ」
石は立ち上がる。そいつは分かりやすく安堵の息を吐いた。ゴネられて、面倒なことになるかもと考えていたのかもしれない。
「あんた、名は?」
石は男の名前を聞いた。
「八助、・・・お前な目が見えねぇんだろ、俺が手ぇ引いて連れてってやるよ」
八助は石の腕を取ろうと自分の手を伸ばしてきた。石はやんわりとその手を退ける。
「勘弁してくれ男同士でお手々繋いで歩くなんてな、あしの趣味じゃねぇんだ」
「馬鹿かお前?、俺が引っ張らなくてどうやって目暗のお前がお屋敷に着けるんだよ」
八助もオッサンの腕など取りたくなかったが屋敷に早く連れて行かないと助五郎に怒鳴られる。これ以上、石に好き勝手にウロウロされたら堪らない。
気を回して断られた八助は、不機嫌さを隠そうとしない。
石は八助の心情など気にもしないが、ただ助五郎といい八助といい、感情がすぐ表に漏れ出てしまう底の浅さに呆れてしまう。
...所詮は田舎八九三、感情が全部透けて見えちまう。
こいつらじゃ上方の魑魅魍魎のような何考えてるか分からない化け物たちには、到底太刀打ち出来やしないだろう...
...とはいえ《《お屋敷》》ときたもんだ。歌舞伎役者じゃねえが、助五郎も羽振りは良いのかもしれねえな。旨いものでも食えりゃ良いが...
と思って、弦の事を忘れてたと舌を出す。自分だけ美味しいものを喰うのは間違いだとバツが悪い思いをした。
その間も八助は無言で石を睨みつけていた。
「いつまでそこに突っ立ってんだ?ほら、あしの心配は要らねえから案内だけしてくれ、前を歩いてくれりゃ尾いて行くから」
石は不貞腐れてる八助を杖で遠くへ、スウッ...と追いやる。
「ほら行こうぜ、八助さん」
「バカやろう」
悪態をつきながら八助はようやく石の前を歩き出した。
町の大通りから筋違いの通りに入った二人は、列をなすように歩いている。しばらくすると通りの両側には、ぽつぽつと灯りが点る立派な家々が建ち並んでいた。
「まだ全然、川から離れてねえ気もするが、旦那は川ん中にでも住んでるのか?」
「くだらねえ事言うんじゃねえぞバカ野郎、もうあれから半刻(約1時間)はとっくに過ぎてるだろうが、そんだけ歩いても、歩いたうちに入らねえってか?貧乏人は無駄に足腰が強えな!」
...お前も貧乏人のお仲間だろうに、とはいえあそこからここまで一里二十町(約6㎞)あたりか?、まあ離れてるな...。
この町に滞在している間、出来るだけ助五郎と関わり合いになりたくない。あれが町の中心だとすると、助五郎のお屋敷とやらは二里(約8㎞)は離れていそうだ、都合がいい。石は耳をそばだてて、まわりの様子を伺う。
「静かだな。ここは墓場か?」
「くだらねえことばかり言いやがって、この辺りはお前なんかが逆立ちしたって住めやしねぇ、金持ちが住んでる場所だ。金持ちってのは貧乏人と違って、夜は行儀良く静かにしてるもんなんだよ」
『夜中にウロウロしてんのは強盗と貧乏人ばっかだ!』と痰と一緒に吐き捨てる八助。その八助が急に足を止め石を振り返る。
「疲れたのか?八助。貧乏人は足腰が強えってお前の説は振り出しに戻ったな。新説は次に聞いてやるから、さっさと歩け」
揶揄われても八助は言い返しもせず、石を見つめている。石は足を止めて何か異変がないかと周囲の様子に気を配る。
「....お前本当に見えてないのか?そんな風に思えねえなくなって来たんだが…」
「はぁ?」
八助は、盲目の石が自分の背後を一定の距離を空けてピタリとついてくることを急に気味悪く感じたようだ。
...面倒くせぇな...。
「ああ、ここだけの話だが本当は全部見えてんだよ。あれだろ?屋敷に行きゃあ旨い酒、イイ女、豪勢な料理が待ってるのが見えるぜ。早く行こうや八助。食えるのは、あしだけだがちゃんと案内してくれりゃお前に鯵の骨くらいとり分けてやるよ」
ニヤニヤと嗤いながら話す石。また揶揄われて八助も頭にきた。
「バカヤロウ!お前みたいな何処の馬の骨とも分からねえ奴に、そんな扱いするわけねえだろが、クソが!」
八助は怒って足早に歩きだした。
「たまには振り返れー、あしは寂しがり屋だからなぁ。お前の可愛い顔が見えないと拗ねて消えちまうかもしれねえぞ」
「ふざけんな‼ 最初から見えねえだろうが!」
ニヤニヤ笑っている石に、酒も飲んでないのに真っ赤な顔で憤る八助。
それでも多の屋の屋敷までの道すがら、石がついてきてるかを何度も振り返った。道が削れ穴が開いてようがおかまいなし、足下を注意するわけでもなく、ただ付いて来てるか気にしてるだけのようだ。
...やれやれ、こいつは親切って言葉を母親の腹の中へ置いてきたらしいな。よっぽどあしが消えるのが怖いらしいな...いや、助五郎が恐ろしいということか?...。
「早く来い!」
喚く八助。
「そう慌てんな八助、まだまだ宵の口だろう?、月が重い腰上げてようやく昇ろうかって時間でお前が寝るにはまだ早えさ、それとも早寝早起きがモットーか?」
空に昇りかけの月を見あげた八助は、ゾッとした。そして物の怪を見るような目で石を振り返る。
「...お前、......ほんとに見えてねえのかよ?」
八助は、少し石との距離を空けた。
急に八助と距離を感じるようになったので石は不思議に思ったが、小煩い声を聞かずにすむようになったので『ちょうど良い』と助五郎の事を考えてみる事にした。
自分の記憶を辿り裏社会で聞いた名前から助五郎という名を探す。少し気になる何かを思い出せそうだったが、そのなにかを思い出す前に助五郎の屋敷に着いた。
「オジキに、俺が言いつけ通りに目暗を連れてきたって伝えてくれ」
八助は屋敷の玄関先に出てきた年嵩の奉公人の女性に向かって言った。女性は後ろを振りかえる。そこに背中に隠れるようにまだ幼い娘が立っている。
「いま旦那様は、お客様に会ってます」
娘が、年嵩の女性に変わって八助に返事をする。
「じゃあ右馬の兄貴か弥切の兄貴に伝えてくれ」
「わかりました」
娘は身を翻して小走りに去る。そのまだ幼そうな奉公人の尻を鼻息荒く眺めていた八助。土間の上から軽蔑の目で八助を見下ろす女性の視線に気付くと、バツが悪そうに八助は顔を背けた。
年嵩の女性は一言も言わず去っていった。八助はその後姿に「お前が呼んで来いババア」と吐き捨てた。石は八助の背後で、前で行われているやり取りを聞くでもなく考えている。
...義理を立てれば、助五郎も文句は言わねえだろう。これ以上、助五郎の機嫌を損なわねえようにしねえとな...
自分にそう言い聞かせていた。