第三章ep.2 石と 八助《ハチスケ》
【呪い‐のろい】
...いつ来るんだ? 助五郎が寄越すと言った案内人は?
定吉と別れて四半刻(約30分)は経とうかというのに、石は棒鼻(町の入り口)の立て札の前で、まだ待っていた。
...あーあ、だ。案内人も断わりゃ良かったぜ
背筋を伸ばしながら、今日の水茶屋での事を思い返した。
...助五郎は真っ当な商人を装っちゃいたが、心底、八九三から足を洗うことができねえ奴なんだろうなあ
どんな悪党でも心の奥底に、呪いが取り憑いている。決して消え失せることはなく、時を重ねると腐敗して体から染み出すようになる。犯罪を重ねるほど体から出る腐敗臭は強くなり、やがてまわりの者を腐らせて、最後に自分の心を壊して終わる。
...何人も悪党の悲惨な最後を見て来た。生き残ったから幸せというわけじゃない。生き残ったやつは最も臆病な奴、いつも脅えて生き、死後の家族への報復を恐れながら地獄へ行く
石にも、憑りついて離れない呪いがある。人を初めて殺めた時から、もう逃げられない。
今日まで、必死に藻掻いてきた足跡には、石に人生を狂わされた人々の哀しみと、命を奪われた者の恨みが積み重なってる。取り戻せない過去の悪業に、贖罪する術はもう無い。
...気が滅入っちまうな
塞ぎこむ気持ちを切り替えた。今から助五郎と腹の探り合い、こんな気持ちじゃ負ける。
...過去は変えられねえが未来は変えられる。あしは昔とは違う。そばには弦が居る、呪いが襲いこようが負けられねえ
そして現実問題としてあるのは、路銀を稼がないと旅を続けられないという事。その為には、子毛を仕切る助五郎の機嫌を、これ以上損ねるわけにはいかない。気合を入れるのとは裏腹に今からするのは助五郎のご機嫌取りだ。格好悪いが仕方ない。
由の家から子毛は遠く、小さな子供もいて、石の宿にはどうにも都合が悪い。それにあの家では、石は無料飯食いの木偶の坊。弦であれば、宿代代わりに水茶屋を手伝う仕事があるので役に立つ。
...子毛で稼がなきゃな。あしは寝れさえすりゃあ、どこだっていいんだから。とりあえず野宿からでも、宿なんて後でどうにでもなる。ただ今晩は良いとして、しばらくは弦を(由の)家に置いてもらわなきゃならねえんだが、由になんて頼もうかなぁ
石はそんな試案をしながら案内人を待っていたが、一向に現れる気配はなかった。
...まあいいさ、町の誰かに助五郎の屋敷の場所を聞きゃあいい。あいつも町の住人で知らねえ奴はいねえと言ってたしな。もし居たら、あいつに報告してどんな面するか見てやろう・・・ああ、みっともねえな、見えるわけもねえし
と一人自嘲しながら石は、漂う良い匂いに釣られるように子毛の町へと入って行った。
【石と八助‐いしとハチスケ】
暗くなると、通りは昼間とは違った形で賑わい、活気づいて来た。
町の中央を流れる川べりにはいくつかの屋台が立ち並び、大通りには宿屋や飯屋が両側に並んで、春売(買春)のところへ連れて行こうとする客引きもうろうろしている。
...人の往来も多いし、景気は良さそうだ
石は久しぶりの酒の匂いと大勢の人の匂い、飯の匂いや、女の匂いに釣られて、喧騒、話し声、笑い声の中をゆるゆると歩いている。
...尾けてるな
子毛に入ってから暫くして、自分の後ろを追う存在に気付いた。
町への好奇心が勝っている間は、尾けて来るやつを捕まえるのは後回しにしていたが、だいたい町の空気にも慣れたので、
...そろそろ、とっ捕まえるか
と云う気になった。
目的は分からないが、主人を追いかける犬のように石を追いかけてくる。
あちこちと覗き込んでは出ていくを繰り返す石の後ろを、ピッタリついてくるのだから、尾行しているのは間違い無いだろう。
石は川っぺりで足を止め、座って草鞋の紐を、ゆっくり結び直してみた。すると尾けて来た奴は、ここぞとばかりに駆け寄ってきて、屈む石のそばに立った。
「俺の助五郎が、お前を連れて来いとよ」
そいつの声は、微妙に震えている。
「お前のオジキなんて知らねえ。だいたい、お前を知らねえのに、オジキを知るわけねえだろ?」
「な、んだと、このヤロウ」
男の声が、坂道を降りるように小さくなっていく。
「オジキの名を言えよ」
「・・・た、たのや、多の屋の助五郎だ」
...なんだ、助五郎が言ってた案内人か。甥っ子を寄越したのかよ。度胸もねえ、そこらによく居る三下奴(下っ端)だな
物盗り(泥棒・強盗)も有り得ると身構えていたが、気が抜けた。
「はいよ、じゃあ案内してくれ」
石はスッと立ち上がった。
そいつは分かりやすく、安堵していた。
「お前さん、名は?」
「八助、・・・てめえ、目が見えねぇんだったな。俺がお屋敷まで、手を引いて連れてってやるよ」
八助は、石の腕を取ろうと手を伸ばしてきた。石はやんわりと、その手を退けた。
「勘弁してくれ、男同士でお手々繋いで歩くなんてな、あしの性に合わねえんでな。先に行け」
「あ? 馬鹿かてめえは? 俺が引っ張らなくて、どうやって目暗のてめえが屋敷に行けんだ」
八助も中年男の腕など取りたくないが、屋敷に連れて行かないと助五郎に怒鳴られる。これ以上、石に好き勝手されるわけにはいかなかった。
「せっかく気を回してやったのによ」
断られた八助は、不機嫌さを隠そうとしない。
石には、八助の心情はどうでもいいが、助五郎といい八助といい、感情がすぐ表に出てしまう底の浅さに呆れていた。
...所詮は田舎八九三か、心の中が透けて見える。こんなんじゃ、上方の何を考えてるか分からねえ、魑魅魍魎には太刀打ち出来ないだろう
水茶屋での一件を思い出す。
...そういや、右馬は西の訛りがあったな。助五郎にはそれほど訛りは無かったが、あいつは何処から来たのか・・・とはいえ《お屋敷》とは大袈裟な。歌舞伎役者じゃねえが、助五郎も少しは羽振りは良いかもしれねえ。久しぶりに旨いもんでも食えるかな?
ひひひ、と一人笑いして、ふと弦を思い出しバツが悪そうに舌を出した。
...あしだけ旨いもん食うのは、よくねえや
その間、八助は無言で石を睨みつけている。
「いつまでそこに突っ立ってんだ? ほら、あしの心配は要らねえから案内してくれ、前を歩けば尾いて行くよ」
石は、不貞腐れてる八助を杖で遠くへ、スウッ・・・と追いやった。
「ほら行こうぜ、八助さん」
「うるせえ」
八助はようやく歩き出した。
しばらく、川づたいに進む二人。
「全然、川から離れねえ気がするが、旦那のお屋敷は、川ん中にあんのかな?」
「うるせえ、まだ先だ。貧乏人じゃあるめえし、増水すりゃ流れるようなバラ屋に、助五郎が住むわけねえだろ」
やがて二人は、河岸を離れ筋違いの通りへと入って行く。
「やれやれ、やっと川から離れたか? 屋敷には泳いで行くのかと思ったぜ。もう何時だ? 退屈だから、でっけえ声で歌ってやろうかな?」
「つまらねえ事するんじゃねえ! あれから半刻(約1時間)は歩いてるだろうが、そんだけ歩いても、てめえみたいな貧乏人はなんで元気なんだ? 歩いたうちに入らねえってか? 無駄に足腰が強えな!」
...あそこから一里(約4㎞)は離れたか?
「あしは、ひ弱な都会っ子の八助さんが、疲れて足下ふらふら川に落ちるんじゃねえか? って心配でな。歌でも歌って、励ましてやろうと思ったんだが、そんだけ元気なら旦那の屋敷まで、ひと泳ぎ出来そうだな」
「出来るわけねえだろ! 馬鹿野郎。適当な事ばっかり言いやがって」
八助は凄んで見せたが、見えない石に関係ない。
「まだ歩くのか? 八助くん」
「まだ半分来たくらいだ。文句言わずに歩け!」
...半分か、町の大通りから屋敷まで、二里(約8㎞)はありそうだ。それだけ離れてりゃまずまずか
この町に滞在している間、助五郎と関わり合いにはなりたくない石にとっては、町中で顔を合わさずに済むのは助かる。列をなすように歩いていると、いつしか両側に、ぽつぽつと灯りが点り、立派な家々が建ち並ぶ通りを進んでいた。
石は耳をそばだてて、まわりの様子を伺う。
「静かだな。ここは墓場か?」
「てめえは、本当にくだらねえことばかり言いやがって、こっからは、てめえなんかが逆立ちしたって住めやしねぇ、金持ちが住んでるエリアだ。金持ちってのはな、貧乏人と違って夜は行儀良く静かにしてるもんなんだよ。夜中にウロウロしてんのは強盗と貧乏人だけだ! 俺は抜け出してやる。いつか、絶対に金持ちになって、良い家に住んで、夜は家で良い女を抱きながら酒飲んで寝る暮らしをするんだ」
痰と一緒に、夢を吐き捨てる八助。
...いつかと思ってるうちに、年寄りになってるもんさ
「お前さんはアレだろ? 多の屋の旦那の甥っ子じゃねえのか? だったら、子毛じゃ左うちわ(気楽)で暮らしてるんじゃねえのか?」
「ああ? 小遣い程度にはオジキにもらってるが、酒と女ですぐ消えちまう程度のもんだ。それに、大事な仕事は任してもらえねえ。使いパシリばかりで、つまらねえ」
...そりゃお前が仕事が出来ねえからだろ?
八助が急に足を止めた。
「疲れたか? 八助、貧乏人は足腰が強えってお前の説は振り出しに戻ったな。新説は次に聞いてやるから、さっさと歩け」
揶揄われても八助は言い返しもせず、石を見つめている。
石は何事かと周囲の様子に気を配った。
「・・・お前、本当に見えてねえのか? そんな風に思えねえなくなって来たんだが」
「はぁ?」
八助は盲目の石が、自分の背後を一定の距離を空けピタリとついてくることが、急に気味悪くなったようだ。
...面倒くせぇな・・・
「ああ、あしの目は良すぎてな、頑張りゃ来世まで見えんだ、近い未来なら簡単だ。ほら、あれだろ? 屋敷には、旨い酒、イイ女、豪勢な料理が待ってるのが見えるぜ。早く行こうや八助くん。食えるのはあしだけだがなんだが、仕方ねえな。案内してくれた礼に、特別に鯵の骨を、とり分けてやるよ」
『内緒にしとけよ』と、ニヤニヤ嗤いながら話す石。ずっと揶揄われ八助もさすがに頭にきた。
「バカヤロウ! お前みたいな何処の馬の骨とも分からねえ奴に、そんな扱いするわけねえだろが、クソが!」
八助は、怒って足早に歩きだした。
「たまには振り返れー、あしは寂しがりだからなぁ。お前の可愛い顔が見えねえと、拗ねてどっか行っちまうかもしれねえぞ」
「ふざけんな‼ 最初から見えねえだろうが!」
まだニヤニヤ嗤っている石と、酒も飲んでないのに、真っ赤な顔で憤る八助。
それから、・・・多の屋の屋敷までの道すがら、八助は、石がついてきてるかを何度も振り返った。
道が削れて、穴が開いてようがおかまいなし、足下を注意するわけでもなく、ただ付いて来てるかだけを気にしてるようだ。
...やれやれ、こいつは親切って言葉を母親の腹の中へ置いてきたらしい。よっぽどあしが消えるのが怖いらしいな、いや、それだけ助五郎が恐ろしいって事か・・・
「早く来い!」
喚く八助。
「そう慌てんな、八助。まだ宵の口だろ? 月がようやく重い腰上げて、てっぺんに昇ろうかって時間だぜ。まだ若えのに、夜遊びもしねえで早寝するジジイになっちまったのか?」
空を見上げた八助はゾッとした。空には、登りかけの月が見えている・・・
八助は、モノノ怪を見るような目で石を見た。
「お前、本当に見えねえんだろうな?」
八助は、石との距離を空けた。
石は、八助が距離を空けた事を、不思議には思ったが、よく考えればどうでも良い事。
...これで八助の小煩い愚痴を聞かなくて済む。さて、助五郎は、婿養子と云う話だったが、いったい何処から来たのか? こんな小さな町でも一家を構えているんだから、それなりキャリアを積んだ奴なんだろうが・・・
何か思い出せそうな気がしたが、その前に助五郎の屋敷に着いた。
玄関口に続く廊下からバタバタと足音がする。小柄でふっくらした身体つきの中年女性が、玄関口へとやって来た。
「オジキに、俺が言いつけ通りに目暗を連れてきたって伝えてくれよ」
八助は、その奉公人の中年女性に向かって言った。
女性は八助を黙って見下ろし、何も答えず後ろを振りかえった。そこには、背中に隠れるようにまだ幼い娘が立っている。
「いま旦那様は、お客様に会ってます」
娘が、中年女性に変わって八助に答えた。
「じゃあ錫。右馬の兄貴か、弥切の兄貴を呼んでくれ」
「わかりました」
錫は身を翻して、廊下の奥に消えて行った。その、まだ幼そうな錫の尻を鼻息荒く眺めていた八助。土間の上から、軽蔑の目で八助を見下ろす中年女性の視線に気付くと、バツが悪そうに顔を背けた。
中年女性は、八助と一言も話さず去っていった。
「お前が呼んで来いババア」
と八助は、小声で吐き捨てた。
...おとなしく、助五郎の機嫌を損なわねえよう、我慢だ。一緒に暮らすわけじゃねえんだ、我慢は一時の恥、しねえは一生の恥、恥をかけ
石は、八助の背後で自分に言い聞かせていた。




