1. 基地訪問
それは、十数年ぶりの基地訪問だった。無機質な廊下を歩きながらカレンは、昔ここで働いていた頃の自分を思い出し、苦笑した。
(ここは、あの頃と何も変わっていない……)
行き交う人々の声は堅く、足音さえも規律に縛られている。彼らの左胸には、正義と平和を象徴する紋章が刻まれており、それに背を向ける者は決して許されない。
ここがあるお陰で宇宙の規律が守られているとは言え、カレンは、この場所が一等嫌いだった。匂いを嗅いだだけで胸焼けがする。
次第に白い軍服を着た隊員達の姿が目立つようになった。彼らとすれ違う度、嗅ぎなれた薬品の匂いがカレンの脳髄を刺激する。
壁に掛けられた〝医療局〟と書かれた札。ここは、かつて自分の唯一の居場所だった所。
近寄りたくはなかったが、ここを通らないと目的地に辿り着けない。こんな構造を造った設計技師に一言文句を言いたいところだが、それには天国か地獄へ行かなければならなくなる。
意を決して通路を踏み出したところ、無意識の内に、自分の左胸を手で抑えていた。かつてカレンのそこにも、同じ印があったのだ。正義と平和という名に命を縛られた、忌々しいあの紋章が……。
「……局長?」
前方から歩いてきた人物に昔の敬称で呼ばれ、カレンは足を止めた。その男性は、白い軍服を身に纏っている。
「……ロイデン?」
ルーフェス=ロイデム。それは、カレンが昔、ここで働いていた時の部下の名前だ。
〝ロイデム〟は地球人読みで、マーティエ人読みにすると〝ロイデン〟となる為、カレンは彼をそう呼んでいた。
カレンの表情が曇る。知り合いに会う可能性がある事は予測していたが、よりにもよって、一番会いたくない相手と出会ってしまった。
彼の方も驚いた様子でカレンを見つめている。ただし、彼の表情には、昔の知り合いと出会えた喜びの色ではなく、困惑の色が浮かんでいた。
しばらく互いを見つめ合った後、先に表情を改めたロイデンの方が、カレンに一歩近づく。
「今更、ここに何の用ですか?」
ロイデンの目が冷たくカレンを見下ろす。久しぶりに懐かしい人と出会えた、という雰囲気ではない。まるで親の敵に会ったかのような態度だ。
「司令部に用があって来たの」
カレンは、なるべく彼の神経を逆撫でしないよう口調に気をつけた。それでも、彼にとっては同じ事だったらしい。
「こんな所は、立ち寄る必要もないって事ですか」
「そういう意味で言ったんじゃないわ」
「ま、立ち寄られても迷惑なだけだけですけどね。今更、あなたがどんな顔をして、ここを訪れる事が出来るというんです」
カレンは、答えられなかった。無言でロイデンの嫌味を受け続ける。
「突然、何の事情も聞かされないまま、あなたは、ここを去った。俺がどんな気持ちだったか、あなたに解りますか? ……まるで、裏切られた気分でしたよ」
そう言い捨てたロイデンの顔が苦痛に歪み、見ているカレンの胸まで締め付ける。
「この世界で強く生きていく事を俺に教えてくれたのは、あなただったのに……」
今更ながらカレンは、自分が彼にした罪の重さを改めて認識した。長い間、学園で平和な時を過ごしていて、忘れていた。いや、忘れようとしていたのだ。
「責任を取る為だとか、そんなものは、ただの言い訳だ。あなたは、自分の失敗を直視出来ず、ここから逃げ出したんだ」
ロイデンの言葉は、カレンの心に深く突き刺さる。彼の言う通りなのだ。自分は、この場所から逃げ出した。
ロイデンは最後に、そんな弱い人だとは思わなかった、と付け足して、カレンから目を背けた。
二人の間に気まずい空気が流れる。通り過ぎて行く人達は、この様子を不審に思う事もなく通り過ぎていく。ここは、そうゆう場所なのだ。
最初に沈黙を破ったのは、カレンの方だった。
「随分、偉くなったのね」
ロイデンの左肩に引かれた金のラインを見て、カレンが言う。それは決して嫌味ではなく、まだ真っ白の軍服を着ていた頃の彼を知っているからこそ、カレンの本心から湧き出た感心の言葉だった。
「あの頃とは違います」
「ええ、がんばったのね。一目で解った」
体格も大人の男性らしいものへと変わっており、この十数年の間にかなり成長した事が見て伺える。それらは、カレンが知っている彼のものではなかったが、努力家である事は変わっていないようだ。
「あんたは、いつも真っ直ぐで、人一倍頑張り屋だったから……」
ロイデンは、いつも一生懸命に前を見つめていた。あの頃は、まだ新米で、カレンが見ていられない程に危なっかしく、よく世話を焼いていたものだ。
「今更、先輩面をしないで下さい。あの時の俺が、どんなに惨めな気分だったか……」
自分に向けられていた尊敬の眼差し。それは決して不快なものではなかったが、時にカレンの心を縛り付けた。そして、その重みに耐え切れなくなった自分は、彼の期待を裏切ったのだ。
(……まだ駄目ね。彼に言うべき言葉が見つからない……)
『辛い事はない?』『何か困った事があれば、連絡しなさい。いつでも相談に乗るから』
そんな言葉ばかりが喉の奥まで出掛かり、飲み込まれていく。
自分に何が出来ると言うのだろうか。ここを逃げ出した自分は、ただの敗者なのだ。
ロイデンの左胸には、宇宙防衛隊の紋章が光っている。何度失敗しても、彼は、決して諦めなかった。逃げなかった。だから今、ここに居る。
「あんたは、私みたいになっちゃ駄目よ」
やっと搾り出せた言葉は、それだけだった。そして、自嘲するかのように笑うと、ロイデンが口を開く前に、その場を去った。
医療局を通り抜け、カレンは、司令部へと足を踏み入れた。
目的の部屋の扉を前にして、立ち止まる。ジョルジュ=M=アルヴィス大佐の執務室だ。
扉横にあるモニターの呼び出しボタンを押して、自分の名前を言うと、開いた扉の中へと入って行く。
部屋の中は、正面の壁一面にガラス窓が張られ、人口の日の光によって茜色に染まっていた。
部屋の中心に置かれたデスクの向こう側には、カレンをここに呼び出した人物が立っている。その懐かしい後姿を見て、カレンの胸に、忘れ去っていた懐かしい熱い想いが湧き上がる。
(ジョルジュ……)
カレンは、まず彼に話しかける言葉を探した。ここへ向かう間も、ずっとその事を考えていた。
ここに来たのが久しぶりなのと同じ年数だけ、彼と会うのも久しぶりなのだ。結局、カレンの口から出てきた言葉は、当たり障りのない社交辞令だった。
「久しぶりね、ジョルジュ。元気そうで何よりだわ」
しかし、ジョルジュは、無言で窓ガラスを見つめている。まるでカレンの存在などそこにはないのだとでも言うように。
「相変わらずね」
カレンが小さく息を吐く。先程まで張っていた緊張の糸が緩み、カレンの顔に笑みが戻った。ジョルジュの口数が少ないことは、幼馴染の自分が一番よく知っている。
保健室へ届いた通信は、宇宙防衛軍からではなく、ジョルジュからのものだった。
十数年間、顔を合わせた事のなかった者からの突然の連絡。カレンは、自分が呼ばれた意図をすぐに悟った。それ故に、ここへ来る間ずっと複雑な感情を抱かずにはいられなかった。
(覚悟はあった……)
自分が止めるのも聴かずに、宇宙へ飛び出していった親友。その日から、カレンは、口には出さなかったが、この日が来る事を静かに覚悟していた。
それまで無言でいたジョルジュが初めて口を開く。
「クリスティーン=アルヴィス博士が、事故により亡くなったとの報告があった」
まるで形式的な報告。彼が口にした言葉は、ただそれだけだった。
それでも、電報ではなく、わざわざカレンをここへ呼び出して自分の口から直接伝える、その意図がカレンには痛いほどよくわかった。
カレンの脳裏に、一人の女性の姿が像を結ぶ。一見、儚そうに見えるが、芯の強い女性だった。それ故に、自分の夢を捨て切れなかった事をカレンは知っている。
覚悟していた事だ。この日が必ず来ることを。彼女を笑顔で送り出した、あの日から――――。
カレンは静かに、今は亡き親友へ向けて敬礼をした。




