2. 恋バナ
宇宙学園の保健室で、ルリは泣いていた。その震える背中をさすりながら、白衣を着た女性が溜め息を漏らす。
「ほら、もういい加減に泣き止みなさい。あなたは、何も悪い事をしたわけじゃないんだから」
だって、とルリが続ける。
「……彼を、傷つけたわ」
一時は治まっていた涙だったが、ユーゴと別れて保健室へ向かう途中、沸々と悲しみが胸に湧き上がってきた。そして、今に至る。
「そう思うなら、付き合えば良いのに。ユーゴくんって……よく保健室に来ていた、マーティエ人の子でしょう? 感じの良い子だったじゃない」
そう言う彼女自身も、マーティエ人の特徴を兼ね揃えている。軽い口調でいう女性の提案に、ルリは力なく首を横に振った。
「……何よ、変のことでもされたの?」
女性が訝しむようにルリの顔を覗きこむ。もし何かされたのだとしたら、育ての親として放っておくわけにはいかない。
しかし、ルリは、大きく首を横に振って、それも否定した。
「違うわ、彼は……ユーゴは、本当に良い人よ。私が謝ったら、笑って許してくれた」
あの後、何となくぎくしゃくしてしまった空気を、ユーゴは笑って誤魔化してくれた。また、保健室に遊びに行っても良いかな、と言いながら。
「……なに、その出来る男的な対応は……。それで、ルリは、そいつのどこが気に入らなかったわけ?」
その問いの意図が掴めず、ルリがキョトンとした表情を浮かべる。
白衣の女性は、顔に掛けている眼鏡の下で、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「そろそろ男遊びの一つや二つ、覚えていても良い年よ、あんたは」
ルリの白い頬が、ぽっと赤くなる。これまで数え切れない程の告白を受けておきながらルリは、今まで一度も誰かと付き合った経験がないのだ。
好きな人が出来た、という話も聞いた事がない。それは彼女が、まるで恋というものに関心がないかのように女性には思えた。
(……ま、気持ちは解らないでもないけどね)
ルリの身の上を知る数少ない人の内の一人であるその女性は、それ以上、ルリに言及する事が出来なかった。いつかは、ちゃんと話さなくてはならない事だが、それは今ではない。そう思っていた。
「カレンさんだって、今まで誰か……恋人……とか、いなかったじゃない」
唐突に持ち出された話題に、カレンと呼ばれた女性は、飲みかけていたコーヒーを手から落としそうになった。痛いところをつかれてしまった。
「私には、手のかかる子供が目の前にいるんだもの。恋なんてしてる暇ないのよ」
カレンが慌てて平常を装いながら、湯気の出ているコーヒーカップに口をつける。
それでも、長年カレンと一緒に居るルリにはバレバレだ。くすくすと笑みを堪えている。
「誰か想っている人とかいないの?」
「いない、いない。私の周りに集まる男共なんて、ろくなヤツがいないんだから」
露骨に嫌そうな顔をして、片手を振ってみせるカレンを見て、ルリがまた笑った。
「そう。あんたは、そうやって笑ってる方が良い。その笑顔があるから、救われるやつもいるんだよ」
この保健室に来る人は、皆が皆、身体に傷を負った人ばかりではない。身体の傷は、薬と時間が癒してくれるが、心の傷は、そうもいかない。それを支えているのが、ルリの存在なのだと、カレンは言っているのだ。
ユーゴがその良い例だろう。ルリの笑顔と優しさは、周囲の人の心に届く。ルリに会う為だけに、保健室を訪れる人も少なくはない。
「告白される度に泣いてて、どうするのよ。本当の優しさってのはね、そういうのじゃないと、私は思うよ」
ルリは、静かに頷いた。
「うん……解ってる」
頭では解っていても、身体が言う事を聞いてくれない。ルリには、どうする事も出来ないのだ。
その時、保健室の通話機が鳴った。カレンがそれを取りに席を立つ。話し相手を失ったルリは、小さな溜め息を吐いた。
ルリには、相手の感情の波が直に自分の心に届いてしまう、という体質があった。感受性が強いからだと、カレンは言うが、それだけでは説明出来ない何かが、自分にあるようにルリは思えた。
受話器を置いたカレンが、再びルリの傍へと戻ってくる。
「ちょっと、用事が出来ちゃった。すぐに戻るから、その間、ここ任されてくれる?」
保健室を任されるのは、これが初めてではない。大きな学園だ。保健師一人では、手がいくつあっても足りない。そんな時、ルリはよく留守を頼まれた。
ルリは、まだ学生だが、学校の勉強とは別に、カレンから充分すぎる程の医療技術を学んでいる。その所為か、ルリを保健師だと思い込んでいる学生も少なくない。
だから、この時もルリは、いつものように頷こうとした。顔を上げて、カレンを見る。
(え……?)
カレンは、笑っていた。でも、何かがおかしい。ルリは、妙な胸騒ぎを感じた。
ルリが何か尋ねる前に、カレンはそそくさと部屋を出て行ってしまった。
(気のせい、よね……)
そう思おうとしたものの、ルリの違和感は消えない。彼女は経験上知っていた。こういう時に限って、何か良くない事が起こるのだ、ということを――――。




