3. 保健室の女神
宇宙学園の校舎の入り口から、一人の女生徒が姿を現した。スラリとした長身に、瑠璃色に輝く髪が絡みつく。周囲を行く人々の歩が止まり、皆の視線が一心に注がれる中、その女性は悠々と歩いていた。
「ルリちゃん! 今日は、保健室に行かないのね。カレンさんが嘆いてるんじゃない~?」
「ルリさん、今から帰るのかい? 良かったら僕が送って行くよ」
「今から遊びに行くんだけど、ルリちゃんも行こうよー♪」
「よぉ、ルリ。この間は、ありがとな。お陰で、すっかり良くなったよ」
何人もの生徒達が、彼女に声を掛けていく。
しかし、ルリと呼ばれたその女生徒は、笑顔で彼らに対応し、それらの誘いを丁重に断った。
「……ごめんなさい。この後、ちょっと用事があるの。誘ってくれて嬉しかったわ。ありがとう」
その美麗な顔立ちで謝られると、男女関係なく誰もが心を奪われる。誘いを断られるにしても、相手が彼女であれば、心地よく皆がまた誘おうと思えるのだ。それだけの魅力が彼女にはあった。
この宇宙学園で彼女を知らない者は、おそらく一人もいない。幼い頃には『保健室の天使』と呼ばれて可愛がられ、ある程度成長した今では『保健室の女神』と呼ばれる、皆のアイドル的存在となっているからだ。
保健師の『カレンさん』に育てられたルリは、幼い頃から保健室で彼女の手伝いをしてきた。そして気付いた時には、保健室になくてはならない存在にまでなっていた。よって、保健室を一度でも利用した事のある者は皆、彼女の知り合いとなる。
誰に対しても分け隔てなく接する慈愛溢れる彼女には、誰とでも打ち解けられる不思議な雰囲気があった。ルリの傍に居るだけで誰もが心を癒され、そこには笑顔が咲き乱れるのだ。
人々の視線を抜けて、ルリは、そのまま校舎の裏側へと向かった。そこに一歩足を踏み入れると、先程までの喧騒が嘘のように、静寂がルリを襲う。
ルリは、そこに誰の姿もない事を見て取り、校舎の壁に背をやって、自分を呼び出した相手を待つ事にした。
この後に待ち受けているであろう事態を想い、ルリの表情が自然と曇る。呼び出された理由は聞かされていないが、経験から言ってこのパターンは、十中八九、愛の告白だ。
誰からも好かれるルリにとって、このような事は日常茶飯事だったが、何度やっても慣れる事はない。それは、友人らからの誘いを断る事に慣れないのと同じだった。
さほど待たない内に、待ち人は来た。この宇宙の中で最も中心的な立場を占めるマーティエ人だ。その赤い髪と目、尖った耳が特徴である。
なかなかの美男子で、制服を着ている。刺繍された宇宙学園の校章と共に、首席のバッチが胸の辺りで金色に光っていた。
「呼び出しておいて、遅れてごめん。待った?」
笑顔で駆け寄ってくる彼を見ると、ルリの胸が痛む。それでも精一杯の笑顔を作って、首を横に振った。
「こんな所に呼び出して、ごめんな。今日は、その……もう解ってるかと思うけど、ルリに伝えたい事があったんだ」
聞いてくれる、と尋ねてきた彼の顔は真剣で、ルリの頬が熱くなる。ルリが頷くと、彼の表情が僅かに和らいだ。
「……覚えてるかな? 俺が倒れた時、ルリが駆けつけてくれて、俺を助けてくれたことを」
周りからの重圧に睡眠時間を削ってまで勉学に勤しんでいた彼は、いつだったか、廊下で倒れてしまった事があった。
その時、たまたま傍を通りかかったルリが誰よりも先に駆け寄って、正しい処置をしてくれたのだ。ルリもその時の事は覚えていた。
「情けないけど……あの時、俺は君に救われたんだ。身体だけじゃない、精神的にもね。君は、俺にとって本当の女神様だ」
ルリが恥ずかしさから顔を伏せる。しかし、青年は、そのまま続けた。
「あの時には言えなかったけど、今の俺なら自信を持って言えるよ。……ルリ。俺は、あの時からずっと、君のことが好きだった。君は、俺だけじゃなくて、みんなの女神だって事は解ってる。でも、君の本当の気持ちが知りたいんだ」
ルリが覚悟を決めて顔を上げる。目の前に立っている人の視線は、まっすぐ自分を見ていた。
「……ごめんなさい。ユーゴのことは好きだけど……きっと、ユーゴが想ってくれている気持ちとは、違うと思うの」
最後にもう一度、ごめんなさい、とルリが言う。
すると、ユーゴは力なく笑ってみせた。
「ルリが謝ることないよ。……正直言うと残念だけど、ルリの気持ちが聞けて良かった」
ありがとう、とユーゴが言う。今まで何度も告白された事はあるが、最後まで笑顔で貫き通せた人を、ルリは初めて見た。
(こんなにも素敵な人を私は……)
ルリの胸が熱くなる。ユーゴの為にも涙は見せたくなくて、先程から我慢をしてはいたが、限界のようだ。
ルリの視界が歪んだ……その時、誰かが走ってくる気配がした。
「悪い!」
と言う声がして、二人の間を一陣の風が通り抜ける。燃える恒星のような輝きを見たような気がした。
しかし、あまりにも一瞬の出来事で、よく解らない。
「……ま、待てぇー!」
そのまま二人が動けずにいると、今度は、遠くから聞き覚えのある教官の声が聞こえてきた。その声の主は、息を切らせながら二人に近づいて、先程の風が通った道筋を走り抜けて行った。
全てが過ぎ去り、再び静寂が辺りに訪れた時、ルリは、いつの間にか自分の涙が引いている事に気付いた。




