2. クリスの信念
地球の地下シェルターで祖父母と暮らしながら、スバルはずっとそのことを考えていた。
母にとって自分はいらない存在だったのだとか、愛されていないなんて、考えたくなかった。
それでも最後には、置いて行かれたという事実だけが残る。考えたくなくても考えてしまう。自分は誰からも愛されていないんじゃないかと――――。
「スバル。あんたの名前は、クリスがつけた。知っているか?」
カレンは、静かに声のトーンを落とした。彼女の瞳は、スバルの中に、懐かしい親友の面影を探しているようだった。
「地球では、『統べる』という意味をもつらしい。バラバラに散らばったものが統一され、一つに集まる――希望の星だって、あんたの母親は言っていた」
希望の星――《ノヴァ・アース》。その言葉がスバルの心に重たくのしかかる。
かつては自分も夢を見た、憧れていた存在。でも今は、自分から母という存在を奪った憎い存在でしかない。
「あんたの母親が命張って見つけようとしたんだ! 信じ抜いたんだ! それを息子のあんたが蔑ろにして良いと思ってんだったら、私があんたを殴ってやる!」
もう殴ってんじゃねぇか……と、スバルは口の中でごちた。はたかれた頬が、ひりひりと痛む。
考えてみれば、これまで喧嘩で他人から殴られたことはあっても、身内から叩かれたことなど一度もないということに、ふと気付いた。
ヴォルトから聞いた話では、スバルの父ジョルジュとカレンは、従妹にあたるらしい。つまり、カレンは、スバルにとって親戚にあたる。
そして、今感じている頬の痛みが、ただ怒りと暴力だけのものではないことを、スバルもなんとなく分かりかけている。
「息子のあんたが信じないで、あの子の命は何だっていうのよ。それこそ無駄死にじゃない! そんなの絶対に……絶対に許さないんだからっ!!」
叫ぶように訴えるカレンの目に、光るものが浮かんでいた。彼女の言葉の節々から、スバルの母であるクリスへ向けられた熱い想いが伝わってくる。
彼女はきっと、クリスが信じていたものを信じようとしているのだろう。例えそれが、彗星のしっぽを掴むような話だとしても――――。
その時、スバルの耳に、かつて母が口にしていた言葉が蘇って聞こえた。
『泣かないで、スバル。大丈夫だから。希望の星は、絶対にあるわ。母さんを信じて。絶対にあなた達の未来を守ってあげるから……約束よ』
確かにスバルの母は、希望の星を信じていた。あるとも知れない夢のような話を、まるで真実であるかのように幼い息子へ語った。
大好きな母と一緒に、夢を語り合う時間は、まだ幼いスバルにとってかけがえのない喜びであった。
あの頃の幸せな日々は、今でもスバルの心の一番深い場所で澱のように沈んでいて、主から呼び覚まされる時をずっと待っているのだ。
何故、忘れていたのだろう。もしかすると、無理矢理忘れようとしていたのかもしれない。
――俺たちの〝未来〟って、何だ?
母が信じていたもの。そして、守ろうとしていたものは、本当は何だったのか。
もしかしたら、それは、スバルが今まで考えてきたようで予想もつかなかった何かなのかもしれない――――そう考えたスバルが表情を変えるのに気付き、カレンが口を開く。
「ルリにはね、両親がいないのよ」
両親というか、同じ《《星族》》がね――と言うカレンの言葉に、スバルがはっとした表情で顔をあげる。
見たことのない人種だとは思っていた。だが、それはまさか――――。
「あんたには、ジョルジュがいる。ヴォルトも。母親の胸が恋しいってんなら、私が代わりに抱いてやってもいい。でもね」
カレンの瞳に、一際強い意志の色が浮かぶ。
「ルリの前でだけは、そんな甘ったれた顔を見せるんじゃないわよ」
その言葉は、先ほど頬を殴られた時の痛みよりも強く、スバルの胸を突いた。
☆ ★ ☆ ★
カレンは、スバルが俯いたまま黙っているのを見て、帰って行った。
そんなカレンを視線だけで見送ったヴォルトは、スバルの肩に手をやる。
叔父の大きな掌の存在を感じながら、スバルは自分が今まで何も見えていなかったことに気付いた。
「叔父貴……俺……どうしたらいいのかな」
それは、迷子になった子供のような声だった。 身体は成長していても、スバルの心はまだ子供のままのようだ。甘えたい時に、甘えさせてくれる人が傍にいなかったのだから、心がひねくれてしまったのも致し方ない。
でも、ルリの話を聞かされた今となっては、スバルの中にあった大きな風船がしぼんでしまったかのようだ。
『宇宙って不思議……自分が今どこにいるのか、わからなくなる……』
星観室でルリが呟いていた言葉の意味が、スバルは今ようやくわかった気がした。
独りぼっちだと思っていたのは、自分だけではなかったのだ。考えてみれば当たり前のことなのに、そんなことすら見えなくなってしまっていた自分が急にちっぽけな存在に思えて、スバルは下唇をかんだ。
『私……自分が何者なんだろうって、ずっと考えてた。でも、宇宙っていう一つの船に、一つ一つの星が乗っている――ただそれだけなんじゃないかなって……そんな気がしたの』
(あいつはそれでも笑っていた……)
自分が宇宙でひとりぼっちだと知って、果たしてルリのように笑っていられるだろうか――――と、スバルは苦々しい想いを噛み下した。
「あいつに……ルリに、ひどいことを言ったんだ」
肩に力が入る甥っこを見下ろし、ヴォルトは、しょうがねぇなぁ、という顔で口角をあげた。
「なぁに、仲直りの方法ってのは、今も昔も変わらねぇよ」
わかるだろ、と肩をたたくヴォルトの見慣れた笑顔を見て、スバルは苦笑いを浮かべる。
(俺は本当に……なんにも見えてなかったんだな)
改めてスバルは、叔父がいてくれて本当によかったと心から思った。
☆ ★ ☆ ★
ヴォルトの笑顔に見送られ、スバルは学園の方へと足を向けた。
もちろん、ルリに謝るためだ。
まだ保健室に残っているかはわからない。それでも、今謝らなければ、自分のことをもっと嫌いになってしまうと思った。
すれ違う人の群れは、スバルが向かう方向とは逆へ流れていく。よく見れば、みなどこか視線を落とし、暗い表情のまま歩いている。
これまでスバルは、彼らがどこから来てどこを目指すのか、まるで感心すら持たなかった。けれど今は、みんな何かしらの想いを抱えて生きているのだ、というような気がする。
視界の端に、黙祷をささげる集団が見えた。彼らが掲げる垂れ幕に、宇宙共通語で書かれた『希望の星よ、永遠に』という大きな文字が目につく。
今では全宇宙人たちの心に浸透している、希望の星。
いくら科学技術が進んだからといえ、資源は有限だ。そして、その資源を生み出すのが大地ある星々であり、その恩恵を受けるため、人々は幾度となく争いを繰り返してきた。
既に母星を失い、このアマテラスへ移住するしかなかった者たちも少なくない。
スバルには、ぴんとこないものの、大地の恩恵を知っている者からすれば、《ノヴァ・アース》は、まさに希望の星なのだ。
いつ資源が絶えるとも知れないこの暗い宇宙で、唯一未来を照らしてくれる希望の光。
存在しない、と誰かが証明しない限り、人々は夢を見続けることができる。
『お母さん、《ノヴァ・アース》ってなに?』
『《ノヴァ・アース》はね、まだ誰も発見したことのない新しい惑星のことよ。緑が豊かで、空気が澄んでいて、争いもない平和な星。みんなが求める夢の理想郷』
『ふーん……ぼく、そこへ行ってみたいな』
『ええ、そうね。母さんも行ってみたいって、ずっと想っている』
『どこにあるのかな? 本当にあるのかな?』
『スバル、希望の星は、絶対にあるわ。母さんを信じて。だって宇宙は、こんなに広いんですもの』
スバルは立ち止まり、頭上を振り仰いだ。透明なシェルター越しに、真っ暗な宇宙が見える。そこにあるのは、真の闇。じっと見つめていたら、底のない闇に囚われてしまいそうな気になる。
『母さんが、絶対にあなた達の未来を守ってあげるから……約束よ』
スバルは、自分の母親が守ろうとしていたものの正体を、少しだけ解ったような気がした。
「……上等だ。見つけてやろうじゃねぇか、俺が。希望の星ってやつをよ!」
真っ暗な宇宙へ向けて啖呵を切ると、スバルは学園の方へ向かって駆けだして行った。




