1. スバルの孤独
その日の講義を終えた二ノ宮 紗那は、いつもなら図書室へと向かう足を、保健室へと向けた。
親しい級友のいない紗那にとって、スバルの居場所を聞けそうな相手が他に思いつかなかったからだ。
スバルの居場所を知っていそうな教官ですら、常に学園内で彼の姿を探して走り回っている。
例え教官が彼の居場所を知っていたとしても、紗那は聞かなかっただろう。父親へあらぬ誤解が伝わりそうな可能性は全て排除する必要がある。
紗那が保健室を選んだのは、スバルが負った怪我の深さを考えても、あの後で何度か保健室へ足を運んでいた可能性もある――――と考えてのことだ。
紗那が保健室の扉を開けると、中には学園の制服を着た少女が一人でいた。瑠璃色の長髪が珍しい――確か、以前会った時に〝ルリ〟と名乗っていた。
「あら、あなたは……」
紗那に気付いたルリが振り返った。尖った耳の先端がぴくぴくと動く。
宇宙人図鑑を物心つく前に暗記してしまった紗那でさえ、ルリがどの星の人種なのかわからない。だからと言って、そのことを彼女に尋ねてみるほどの好奇心と興味といった感情が、紗那には欠落していた。
「ごめんなさい。今、カレン先生は外出しているの。どこか怪我……」
言いかけたルリの言葉を遮り、紗那がふるふると首を横にふる。
「……ちがう。あの時、怪我してた《《あの人》》――どこにいるか、知ってる?」
あぁ、と合点のいった様子で、ルリが表情を明るくする。
「あの時の彼ね。うーん……ちょっと前までは一緒にいたんだけど~……またどこかへ行っちゃったの。ごめんね」
そう言ってルリは、申し訳なさそうに肩をすくめた。
「私が彼の気に障ることを言っちゃったみたいで……っていう話をカレンさんに話したら、あの人『私がガツンと言ってやる~!』とか言って、急に怒って飛び出して行っちゃって……もう大人なのに困っちゃうよねぇ~」
あはは、と苦笑するルリを見ても、紗那の表情は変わらない。
「そう……」
と無表情で呟きながら頭の中では、どうやってスバルを探そうか、と考えている。
すると、それを見たルリが何を思ったのか、ふっと目元を緩めて微笑んだ。
「彼、怪我の方は大丈夫みたいだから、安心して」
「べつに、心配なんてしていない」
紗那は、ただスバルに助けてもらったお礼を伝えなければ、という義務感だけで動いている。それを妙なふうに誤解されるのは心外だった。
しかし、ルリの目には、紗那が自分の感情を心の奥底へ押し込めているように映った。理由はわからないが、彼女《《にも》》何か事情があるのかもしれない。
「ふふ、そういうことにしておいてあげる」
一人会得したように微笑むルリを見て、紗那は少しだけ眉をひそめた。
☆ ★ ☆ ★
星観室を飛び出したスバルは、しばらく商店街あたりをフラフラ歩いていたが、結局、他にやることもなく、いつものように叔父ヴォルトの仕事場へと向かった。
そこで、自分を待ち受けている赤い髪の女がいるとは知らずに――――。
「ようやく会えたわね」
「……誰だよ、あんた」
ヴォルトの仕事場へ入るや否や、怖い顔をして仁王立ちする女がいた。母クリスの葬儀で、父ジョルジュが紹介しようとしてきた女だと、スバルは聞いてからすぐに気付いた。
見れば、彼女の背後で、身体の大きなヴォルトが小さく肩をすくめている。
一体何の目的があってヴォルトの仕事場にいるのか……と訝しむスバルの様子を、女は自分の企みが成功したような顔でにんまりと笑みを浮かべた。
「《《あの子》》の保護者♡」
「あの子?」
「知っているでしょう。あんたが泣かせた、私の可愛い可愛い愛娘よ」
保健室の、と女が付け加えてようやくスバルは、〝あの子〟というのがルリのことであると気付いた。
「あの子を泣かせるヤツは、私が許さないよ」
「べつに泣かせてねぇーしっ」
口では反論したものの、まさか本当に泣いたのだろうか――と、内心スバルは少しだけ焦った。ほんわかして何を考えているのか分からないルリが、スバルは苦手だ。それでも、さすがに女を泣かせる趣味はない。
「クリスが今のあんたを見たら何て言うかね」
女――カレンは、呆れ混じりにため息をつく。その仕草は、スバルの神経を逆なでした。
「ぁあっ?!」
思わず声を荒げて睨みをきかす。それでもカレンは、まるで動じない。むしろ、その橙色に近い赤い目を、冷え冷えと冴えわたらせた。
「私は、あんたの母親のことをよーっく知ってる。息子のあんたよりも長い付き合いだからね」
スバルは、以前ヴォルトが彼女のことを、クリスの親友だと話していたのを思い出した。
「だから何だってんだ!」
「何《《くさって》》んだ。情けないっ!」
「くさってなんか……」とスバルが言いかけたところで、すぐに言葉尻を奪われる。
「くさってんだろ。どこからどう見ても! 自分の不甲斐なさに腹を立てんのは勝手だがね、うちの可愛い娘に何かしたら、いくらクリスの息子だからって容赦しないよ」
「はっ、どうするって言うんだよ」
どうせ何もできっこない、そういう顔でスバルは笑みを浮かべた。
そんなスバルに向かい、カレンは大きく腕を振りかぶると、こうするんだよっ、と思い切りスバルの頬に平手打ちをかました。
ばしーんっ、と派手な音が部屋中に広がる。同室で仕事をしていた他の作業員たちが何事かと作業の手を止め、そちらを見た。
一瞬、スバルは自分が何をされたのかわからず、放心していたが、すぐに正気を取り戻してカレンへ怒りに歪んだ顔を向ける。
「なっ……んなにすんだよっ!」
「いい加減に、目ぇ覚ませ! お前は一体、クリスの何を見てたんだ!?」
カレンの異様な剣幕に、スバルが言葉を飲み込む。彼女が何を言おうとしているのか、さっぱりワケが分からない、といった顔だ。
「あいつの夢が何だったのか……息子のお前なら知っているだろう。わかるだろう。クリスが一体どんな想いで、まだ幼いお前を一人残して行く道を選んだのか――それが本当は《《だれのためだったのか》》を」
考えたことはあるか、と聞かれて、スバルは押し黙った。
(そんなこと……言われなくても考えたさっ!)
どうして自分の母が、希望の星を探しに行かなければいけないのか。他の誰かではなく、なぜ母でなくてはいけなかったのか。
探索隊に加わりたいと立候補した人の中には、多くの研究者や軍人らがおり、彼らの半数以上が厳しい選考で落とされたと聞く。
――だったら他のやつらが行けばいいじゃないか。なんで俺の母さんが行かなきゃいけないんだ?
そんな危険な旅に、母が行く必要はないのだ。他の誰かが行けばいい――そう幼いスバルが思うのは、ごく自然なことだった。
――全部ぜんぶ、あいつの所為だ!
と、スバルは思った。父親が無理やり母親を探索隊へ入れたのだ、と思わなければ、心がやりきれなかった。
息子であるスバルのことを、地球にいる祖父母へ預けたきり、仕事の忙しさを理由にして会いに来ない。そんな薄情な父親を、祖父母が影で何と言っていたのか――スバルの前では口にしなかったものの、スバルは知っている。
母のことも――希望の星なんて、ありもしない夢を追って愚かな――と揶揄する声も聞こえた。宇宙防衛軍が民間人に向けて自分らの有用性を示すためのパフォーマンスだ、とも言われた。
幼いスバルに難しい話はわからなかったが、大好きな母親のことを悪く言われるのだけは我慢がならなかった。その所為で毎日些細な喧嘩が絶えず、怪我をして帰っては祖父母を困らせていた。
好戦的なマーティエ人の血の所為だ――そう、祖父母が会話する声が聞こえた。
地球の学校にマーティエ人の子などいる筈もなく、ましてや他の宇宙人との間にできた子供などスバル以外にはいない。地球人でもなくマーティエ人でもない。一体自分は何者なのか――――。
祖父母といても、スバルは常に孤独を感じていた。自分は独りぼっちだと。
そんな時にいつも頭に浮かぶのは、母の優しい笑顔。母の優しい腕の中にいた、あたたかい記憶。
――母さん、どうして俺を置いて行ったの?




