3. 二ノ宮家の家訓
「自分がなぜ呼ばれたのか、わかっているな」
部屋の上座から、やわらかだが有無を言わせない声音で、和装に身を包んだ男性が呼びかけた。遠いところにいても通信することがでる立体映像だ。実体と同じサイズのままを映し出してくれる。
男の身長は、さほど高くない。ぱっと見、小柄に見える。四十を過ぎた頃か、しゅっと引き締まった顔つきに、叡智をたたえた黒い目が、彼の娘――二ノ宮 紗那を見つめていた。
紗那は、父の言うことを肯定するように顎をひいた。その色白で整った顔には、何の表情も浮かんでいない。
つい昨日のことだ。学園を出て自宅へ帰ろうとしていたところ、ちょっとした乱闘騒ぎに巻き込まれた。紗那に怪我はなかったものの、一人の青年が負傷したため、学園側に知られる事態へと発展してしまった。
そのことが父の耳に入り、こうして呼び出されたのだ。
「今度から外を出歩く時には、護衛をつける。お前の身体に何かあってからでは取り返しがつかぬからな」
紗那は、反省の色を表すかのように、視線を足元へと落とした。父が、紗那の身体を心配して言っているのではないことは理解している。彼は、外聞を気にして言っているのだ。
「二ノ宮家の一女として生まれたからには自覚を持て。誇りと矜持を忘れるな。そして、いつも言っているように、スキャンダルは《《毒》》だ。どんな小さな石ころでも、いつか大きな災いとなる。一族を滅ぼすキッカケを作ることは決して許さぬ」
二ノ宮 賢治――――地球人代表外交官であり、宇宙連邦議会にも席を持つ彼は、その穏やかで誰の敵にもならないような見た目とは裏腹に、内側で密かに刀を研いでいる……そんな男である。外交官としてあちらこちらの惑星を飛び回ることのが多いため、娘である紗那と直接顔を合わせることはほとんどない。
紗那も、まさか父がこのような些末なことで連絡をよこしてくるとは想像だにしていなかった。
(気を付けなければ……)
弱小星である地球人の立場が宇宙連邦内でも保たれているのは、外交官である父が立派に職務を果たしているからだ。ただでさえ多忙である父の手を煩わせてはいけない、と紗那は父から言われた言葉を胸に刻んだ。
そのまま通信を終える素振りを見せた賢治だったが、「ああ、そうだ」と、ふと思い出したように話題を変えた。
「《ノヴァ・アース》探索隊として派遣されていた一隊員が殉職した、と連絡を受けてな。そのため私も、外交官として葬儀へ出席するため地球へ行ってきたところだ。……全く、どこにあるかも分からない《ノヴァ・アース》への投資など、資源と金の無駄でしかないというのに……」
難しい顔をする父を見て、紗那は何と声をかけてよいのか分からなかった。
《ノヴァ・アース》が全宇宙人たちの希望であることは、紗那も知っている。崇拝に近い宗教のような存在にまでなっているそうだ。逆に、それに対して否定的な意見が多いということも、もちろん知っている。
だが、そのことは今まで紗那の生活に何ら影響を与えなかったし、紗那自身に興味がなかった。父から命じられて宇宙学園に入り、いつか父の役に立てるようになるため日々勉学に勤しんでいる。それ以外のことは、紗那にとって考える必要のないものだった。
――――この時までは。
「……お父様は、《ノヴァ・アース》など存在しないと、お考えなのですか?」
なぜ、そのようなことを聞いたのか、紗那自身にも分からなかった。単に何か言わなければ、と思ったからかもしれない。それか、父が《ノヴァ・アース》のことをどう考えているのか知っておきたい、という心づもりだっただろうか。
「ない――と、断言はできない。宇宙の端から端まで全てを探さない限り、誰にもわからないことだからだ。逆に、あるとも言えぬ。ただ……」
賢治が言葉を切った。その黒い眼が、ぎらりと鈍く光る。
「もし、本当に存在するのだとすれば、それを手にした者が宇宙の覇者になれる。そこから得られる莫大な資源と利益は、計り知れないからな。小さな弱小星などと見下されることなく、地球人が宇宙で幅を利かせることができるのだ。お前が私のためにそれを叶えてくれるか、紗那」
にやり、と賢治の片方の口角があがる。半ば冗談で口にしたのだろう。
それでも、紗那の中に、《ノヴァ・アース》という言葉が深く刻み込まれた。
紗那がそれに答えようと口を開いた時、賢治が話題を戻す。
「そうそう、殉職した隊員の息子が、宇宙学園の生徒だそうだ。お前、知っているか?」
ふいに告げられた名を耳にし、紗那は表情を変えないまま首を横に振る。
「……いえ」
そうか、と賢治は口を閉ざした。黒い眼が、じっと紗那の心中を推し量るように見つめている。
もしかして、試されているのだろうか――と紗那は思った。
昨日の乱闘騒ぎでケガを負った青年の名を父は知っていて、紗那との関係性を疑い尋ねているのかもしれない、と。遠回しに別の話題から尋ねてみせたのは、その方が直接聞いくよりも効果的であると知っているからだ。実に外交官らしい聞き方だ。
宇宙学園に通う生徒数は、約二万を超える。進級度合いも人それぞれで違うため、常に在籍者は流動し、紗那が知らなくても不自然ではない。
――スバル=M=アルヴィス。
宇宙防衛軍大佐の息子であり、マーティエ人と地球人の混血児、そして何かと学園で問題を起こすことで有名だ。
(知らないフリをする方が不自然だったか……)
そうは思うものの、今更発言を変えるほうがあやしい。父が勘ぐるようなことがあるわけでは、もちろんない。ただ、変に誤解されて父の手間を増やすことだけは避けなければと考えただけだ。
しばらくの沈黙の後で、賢治は声を低くくする。
「……二ノ宮家の純血を決して穢してはならんぞ」
話は以上だ、と賢治の立体映像が消えかかる。
「あっ……お父様、私……!」
また飛び級で進級できそうです――と、紗那が口にする前に、通信は途絶えた。
しん……と、暗く静まり返った部屋に、紗那ひとりだけが取り残される。
この部屋は、学園の近くに父が用意してくれた二ノ宮家専用のプライベートルームだ。紗那はいつも、ここで一人寝起きして生活をしている。
(もっと……もっとがんばらなければ)
父に認めてもらえるように――――。
自分には、それ以外に何もないのだ、と紗那は知っている。そのためだけに生まれてきたのだから。
その時、なぜだか紗那の脳裏に、一人の青年の姿が浮かんできた。
いつも学園内で見掛ける彼は、生き生きと強い光を放ち、何者にも支配されない自由があった。紗那は、いつもそれを不思議なものを見るように眺めるだけだ。
(怪我は、大丈夫だったろうか…………)
大勢の悪漢達を前にして決して怯まず、ずっと紗那のことを守ってくれていた――あの背中を、実は以前にも目にしたことがある。
昔、紗那がまだ地球で暮らしていた頃、同級生たちから虐められていたところを彼が庇ってくれたのだ。おそらく本人は覚えていないだろうが、紗那はずっと忘れられずにいた。
悪漢達が口にしていた容貌を聞けば、すぐに彼だとわかった。
二ノ宮家の者として、いかなる絶体絶命の時でも決して弱さを見せるな、という生き方を教え込まれてきた紗那にとって、悪漢達から囲まれていても毅然とした態度でいることは容易いことだった。
最悪、あの場で辱めを受けるようなことになれば、舌を噛み切って自死する覚悟もあった。
それでもまさか、二度も同じ人物に助けてもらうことになるとは予想もしなかった。
(助けてもらった礼を、言わなければいけないな)
紗那は、胸の奥に理由のわからない熱が帯びるのを、その夜中もて余していた。




