3. 保健室
そこに居たのは、瑠璃色の髪をした少女だった。彼女は、自分の名前を「ルリ」と名乗った。
「ここは、学園の保健室。あなた、怪我を負って倒れて、ここへ運ばれて来たのよ。わかる?」
彼女が母である筈がないのだ。自分の母は死んだと、報告が入ったのをこの耳で聞いているのだから。
朦朧とした頭でルリの言葉を聞きながら、スバルは、別の事に気が付いた。
「なんで、泣いてるんだ?」
ルリの白い頬に伝うものがある。彼女は、泣いていた。
「……解らないの。でも、とても悲しくて……」
ルリは、必死で笑顔を作りながら、涙に濡れた頬を手で拭った。
(涙も出ねぇ……)
その時、スバルは自分が母親の死を聞いてから、一度も泣いていない事に気が付いた。
「……泣くな」
そう言って、ルリの頬に手を伸ばす。涙に触れる寸前、スバルは、我に返った。
(何やってんだ、俺……)
見れば、ルリも驚いた顔をしてスバルを見ている。気恥ずかしさに耐え切れず、スバルは、思いっきり上半身を起した。
「……っでえぇ~~!!!」
起き上がろうと腹筋に力を入れた途端、腹部に鋭い痛みが走り、スバルは、大声で叫んだ。そのままベッドに倒れこむ。
「あ、まだ動いちゃ駄目よ! 傷口が完全に塞がったわけじゃないんだから」
腹部を抑えていた手で服をめくると、素肌に白い包帯が巻かれており、薄く血が滲み出している。その傷を見て、スバルは、自分がこうなった経緯を全て思い出した。
暴漢に絡まれていた少女を助けようとして、腹を刃物で刺されたのだ。腹立たしい事に、自分の腹を刺した男の顔まではっきりと浮かんでくる。
「……あ、俺と一緒に女の子が居たんだ。あんた、知らないか?」
やっとの事で暴漢を追い払ったまでは覚えているが、その後の記憶がない。彼女は、無事に逃げられたのだろうか。
「ああ、二ノ宮さんね。お家の人が迎えに来たみたいで、さっき帰って行ったわ。あなたが目を覚ますまで居るって言い張っていたのだけど……あまり遅くなると、また危ない目に遭うからって、私が返したの」
「ニノミヤ?」
「あなたと一緒に居た女の子でしょう? 覚えていない?」
ルリが言っている〝ニノミヤ〟とは、おそらくスバルが助けた少女の事だろう。
(そんな名前だったのか……)
その時、スバルの頭に浮かんだのは、黒い瞳を真っ直ぐ自分に向けていた少女の顔だった。目の前で乱闘が起きたと言うのに、まるで恐怖を感じていないように見えた。
(そう言えば、あの時あいつ、何か言いかけてなかったか?)
ルリは、無言のまま何かを考えているスバルの様子を別の意味に受け取った。
「倒れた時に頭でも打ったのかしら。やっぱり念の為に、脳波も検査してもらった方が」
「ち、違う! ……それくらい、覚えてるっ」
頭の悪さを馬鹿にされたのだと思い、スバルがルリを睨み返す。
しかし、その表情を見て、本気で自分を心配してくれているのだと解った。
(……な、なんだ? この女……調子狂う)
ほんわかとした彼女の雰囲気が、自分とは根本的に合わないのだ。そんなスバルの心中など知る由しもなく、ルリが会話を続ける。
「その、二ノ宮さんだけどね。彼女がここに連絡をくれたのよ。倒れた場所が学園のすぐ傍だったからって。それで私が」
「あんたが俺を運んだのか?!」
「……私が、人に頼んで運んでもらったの」
ああ、そう。と、項垂れるスバルを見て、ルリが笑う。
しかし、嫌味な笑い方ではなかった。
「彼女、あなたの怪我のことで責任を感じていたみたい。すまなかった、って。後でお礼を言うついでに、元気な顔を見せてあげると良いわ」
スバルは、あの黒髪の少女が責任を感じている表情をしている姿を想像しようとしたが、無理だった。少なくとも、最後に自分を見上げていた顔からは、そのような感情は感じられなかった。
「今ここの先生、外出中で居ないのよ。それで私が代わりに簡単な応急処置をしただけだから、後でちゃんと病院へ行って検査してもらってね」
そう言いながら、ルリが薬棚の中を漁る。そこから一つの赤茶色をした瓶を取り出すと、水を入れたコップを用意し、それらをスバルの前へ差し出した。
「はい、これ。痛み止めよ。用量は、瓶のラベルに書いてあるから、よく読んで。痛いからって、飲みすぎたら駄目よ」
スバルは、手渡された赤茶色の瓶とルリを交互に見つめた。
「あんた、ここの先生じゃないのか?」
よく見ると、ルリは、自分と同じ学園の制服を着ている。もちろん、男性用ではなく、女性用だ。
そんなスバルの視線に気付いたのか、ルリが慌てて答えた。
「私は、あなたと同じ、ここの学生。でも、いつも先生のお手伝いをしているから、薬を間違えたりはしないわ」
だから安心して、と言ったルリの笑顔を見て、疑う男はまずいないだろう。
(マーティエ人……じゃ、ねぇよな。髪、赤くないし。どこの星のヤツだろう。見た事もない容姿だけど……)
多少気にはなったが、それを言葉にするつもりはなかった。自分が同じ質問をされると、返答に困るからだ。
『マーティエ人と地球人の混血人』
そう答える度に、スバルは、周囲の者達から白い目で見られ続けてきた。どれだけ星と星の交流が盛んになろうと、〝混血人〟という言葉の壁が消える事はない。
例え人種を偽っても、この髪と目の色が自分は特別である事を主張している。橙色の髪と、同じ色の目。マーティエ人でも、地球人でもない。自分は、半端な生き物なのだと確信する。この色を見て、人は〝出来損ないだ〟と言う。
だからと言って、髪や目の色を変えようとはしなかった。それは、自分を自分で否定してしまう事だから。周りの批判に屈してしまう事だから。
スバルは、手にした瓶を握り締めて、左手で、その蓋を開けた。そのまま掌の上で逆さにする。そして、出てきた適当な数の錠剤を口に含み、ルリが止める間もなく、一気に水で飲み干した。
「あ、あ、あ。用量をよく読まなきゃダメよ~!」
ごくん、と気持ちの良い音を立てて薬を飲み込み、スバルは顔を上げた。
「治療代は?」
一瞬、ルリが変な顔をする。
「学校は、治療費取らないのよ」
くすくす、と笑いながらルリが答える。それを見て、スバルの顔が赤くなった。自分は、またやってしまったらしい。
しかし、知らなくて当然とも言える。喧嘩ばかりして、いつも生傷が絶えないスバルだが、一度だって学園の保健室へ足を運んだ事などないのだ。
「……世話になった」
スバルは、なるべく腹筋に力を入れないよう注意を払い、ベッドから起き上がった。そして、自分が歩ける事を確認すると、一番近い扉へと向かう。
元々ここは、自分には用のない場所なのだ。そう思い、保健室を出ようとする。
「……あ、スバルくん!」
ルリに自分の名前を呼ばれて、スバルが振り返る。
「どうして、俺の名前……」
「さて、どうしてでしょう」
そう言ったルリは、どこか悪戯っぽい笑みを浮かべている。
どうせ自分は、学園でも有名な〝混血人〟なのだ。彼女がスバルの名前を知っていたとしても、何の不思議もない。気にせず、そのまま去ろうとして扉の方へ向き直った時、ルリが言った。
「もう、喧嘩なんてしたらダメよ」
扉に触れかけたスバルの手が寸前で止まる。その言葉がスバルの過去の記憶と重なる。
『もう、喧嘩なんてしたらダメよ』
髪の色の事で周りから中傷を受けていたスバルは、よく喧嘩をしては母を困らせていた。この言葉は、そんなスバルに、母がよく言い聞かせていた言葉だ。
どうしてこうも、彼女の言動や仕草は、自分の癪に障るのだろう。
「うるさい!」
そう一言怒鳴ると、スバルは、保健室を飛び出した。




