表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/1

0. 希望の星《ノヴァ・アース》

 見渡す限りに緑の野が広がっている。空気は澄み、足元に広がる色とりどりの花々が甘い香りを漂わす。


 遥かな先には、緑と青い大気が混じり、白く霞んだ地平線が横たわっている。


 その光景を目にした十数人の集団は、息を呑んだ。彼らの手から、警戒して用意していた酸素マスクが音もなく地に落ちる。


 皆が胸に思い描いていた姿そのものが、今まさに現実として目の前に現れたのだ。


「理想郷……」


 誰かがそう呟いた。


 その声に反応して、放心状態でいた他の仲間達が現実を知る。


 そう、やっと見つけたのだ。ようやく辿り着けた。


 何年もかけて彼らが探し続けていたモノ――希望の星(ノヴァ・アース)を。


「本当に、あったのか……」


 また誰かが呟く。


 集団の中から一人の小柄な女性が、一歩前へと足を踏み出した。その目は輝き、頬が紅潮している。


「やっと……やっと、見つけたのね。私達の希望の星(ノヴァ・アース)を」


 興奮に震える唇でやっと紡ぎ出せた言葉がそれだった。そのまま更に前へと歩みを進める。その歩調は、これが夢ではないことを確かめようとするかのようにゆっくりだ。


 踏み出す度に香る花の甘い匂いが、更に現実感を煽る。


 彼女の目尻から熱いものが零れ落ちた。


 他の者達も彼女につられて、四方へと歩を進める。


 誰もが目の前に広がる景色を信じて疑わなかった。


(あれは……何かしら?)


 そんな中で一人の女性が、自分の足元に咲いていた花々に目を向けた。彼女は、この船で唯一の植物学者であったため、まず花に興味を持ったのだ。


 美しく咲き誇る花々の中で、一際妖しい魅力を醸し出している紫色の花があった。他の花と比べて香りも強い。


 女性が膝を折って、紫の花を手に取ってみる。近くで見て驚いた。


幻覚花(ハルシオン)……!」


 女性の表情が一変して険しいものに変わる。立ち上がり、周囲へ向かって大声を張り上げた。


「みんな! ここは、希望の星(ノヴァ・アース)じゃない! 幻覚花(ハルシオン)が咲いているわ!!」


 女性の大声に数名が我に返り、声の主を振り返った。


 しかし、残りの数名は、その声に気づかない。まるで夢遊病者のように歩いてゆく。


「お、おい。目を覚せ!」


 我に返った者達は、近くに居る仲間の腕を掴み、彼らの目を覚まさせようと刺激を与えた。そして、落ちていた酸素マスクを拾い、仲間の口に当ててやる。


 この惑星に降り立ってから、そう長い時間は経っていない。幻覚花(ハルシオン)の効果も、まだ今なら酸素マスクで防げる筈だ。


 一人、また一人、と目を覚ましていく。


 そんな中、集団から一際離れて歩く小柄な後姿が女性の目に留まった。


「いけない! 戻ってきて、レイア!」


 レイアと呼ばれた後姿は、いつの間にか集団のいる位置からずいぶんと離れていた。あまり深入りすると危険だ。


 女性は、他の誰も彼女を連れ戻しに行く余裕がないのを見てとると、先を行く小さな背中を追い掛けた。途中、足元に落ちていた自分の酸素マスクを拾っていくのを忘れない。


 地を踏む度、甘い香りが女性の脳を麻痺させていく。あわてて女性は、酸素マスクを口にあて、意識を保った。


「レイア、レイア! お願い、目を覚まして!」


 必死で小さな後姿に追いつくと、レイアの進行方向に立ち塞がり、彼女のか細い両肩を掴んで歩みを止めた。レイアの瞳は、既に焦点を失っている。


 慌てて女性が頬を叩くと、三、四回ほど叩いたところで、彼女の瞳に光が戻った。


「あ、れ? クリスさん……?」


 レイアは、頬に痛みを感じて自我を取り戻した。途端、今まで見えていた景色が揺らいでいく。


幻覚花(ハルシオン)よ。危険だわ、早く船に戻りましょう」


 クリスと呼ばれた女性は、レイアが聞き取れるよう一言一言をゆっくり言い聞かせた。話しながら、自分の酸素マスクをレイアの口元にあてがう。


 レイアは、自分のマスクを手に持っていなかった。歩いているうちに、どこかで落としたのだろう。


 クリスは、レイアが軽く頷くのを見て、彼女の背中を船のある後方へと押しやった。


 酸素マスクのおかげか、歩くに従いレイアの頭がハッキリとしてくる。同時に、目の前の景色が霧のように溶けていった。


 足元にあった緑は消え、硬い褐色の岩肌が露出している。その僅かな隙間から紫色の花が顔を出していた。レイアは実物を初めて見たが、教習で見せられた絵にそっくりだ。先達の残してくれた知識がなければ、どうなっていたことか……と、胸を撫でおろす。


(一瞬でも希望を見つけたと思ったのに…………やっぱりノヴァ・アースなんて、本当はないのかしら……)


 辺りには霧が散漫しており、視界が悪い。それでも、他の仲間達がこちらの様子を伺いつつ、船に向かう様子だけは見て取れた。


 船まであと少しというところで、ふとレイアは、自分の背中を押していた手の感触が無いことに気付く。


 不思議に思い背後を振り返ると、少し離れた後方で佇むクリスの姿があった。どうやら様子がおかしい。


「レイア……逃げ、てっ……!」


 クリスが震える声で叫んだ。


 どうしたのかとレイアが聞き返そうとした時、急に視界が暗くなる。


 クリスの背後に迫る黒い影が見えた。


「クリスさん、危ないっ!」


 レイアは叫んだが、遅かった。


 クリスは、地上から数十メートル上空にまで持ち上げられていた。彼女の身体には、何本も紫色の触手が絡みついている。


(宇宙奇生物――図鑑でも見たことがない種っ!)


 レイアは、急いで腰に付けていた光線(レーザー)銃を構えた。


 しかし、霧の所為で視界が悪く、誤ってクリスを撃ってしまう可能性もある。


 レイアが躊躇ちゅうちょしていると、背後から仲間の一人がレイアの腕を掴んだ。


「何をしている、早く船に戻るんだ!」


「クリスさんを見捨てては行けないわ! 私を助けてくれたのよ!」


「……っ!」


 仲間の男が何か言いかけた時、二人に向かって何本かの触手が伸びてきた。転がりながら二人はそれを交わしたが、その内の一本が反応の遅れたレイアの足を掠った。


 攻撃の手は、緩むことなく二人を襲う。二人には、全く立ち向かう術がなかった。


「いいか、今は自分の事だけを考えろ! 急いで船に戻るんだ!」


「でも……!」


「ここに居て、お前に何が出来る?!」


 レイアには、男の言葉に何も言い返す事が出来ない。


 それでも動こうとしたレイアを男は、無理やり自分の腕に抱えると、走って船へと戻った。後にクリスだけを取り残して…………。



 クリスは、夢を見ていた。


 レイアと無事に船へと戻った後、この惑星を旅立ち、仲間と再び他の星を目指す。


 十年近くも続けてきた、この旅はまだ終わらない。


 希望の星(ノヴァ・アース)を見つけるまでは。


 命の危険に関わる旅だが、辛いばかりでもなかった。


 仲間と同じ一つの夢を追いかける事の楽しさがある。


 甘い香り。頭の片隅で、何かが赤信号を告げている。


 けれど、頭に霧がかかったかのように上手く考える事が出来ない。


 見つけなくては、ならないのだ。


 私達の理想郷ノヴァ・アースを。それは、クリスにとって幼い頃からの夢だった。


 またそれは、全人類の夢でもある。


 クリスの頭に、残してきた家族のことが浮かんだ。


 自分の仕事を理解して広い心で見送ってくれた夫と、別れ際まで自分の出立に反対していた幼い息子。


 もう何年も会っていないが、最後に見た彼の泣き顔が忘れられない。


 クリスの目の前に、肩を震わせて泣きじゃくる男の子が現れた。


 その髪の色は、燃える恒星のごとく輝きを放っている。夫と同じ髪の色。


 しかし、顔を伏せていて表情を見る事が出来ない。


「泣かないで、大丈夫だから。希望の星(ノヴァ・アース)は、絶対にあるわ。母さんを信じて。絶対に、あなた達の未来を守ってあげるから……約束よ」


 目の前に広がるのは、夢にまで見た美しい理想郷。


 その偽りの中で、一人の女性が幸せそうに微笑んでいた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ