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更新遅くてすみません~
「ベアード様にお話があると伝えてちょうだい」
食事を運んできた侍女に執事を呼んでもらい、ベアード様への伝言を頼んだ。初夜以降、顔を合わせないようにしていたわたくしだ。アニエスのように離縁の話をきりだすと思ったのか、執事の表情に変化は現れなかったが、部屋で待機していた新人の侍女がゴクリと唾を飲み込む音が響いた。主人に動揺を悟らせるなんて、まだまだの証拠ね。
執務室に呼ばれるかと思ったが、わたくしの食事が終わると同時に部屋の扉がノックされた。侍女が対応すると、訪れたのはベアード様らしい。食後のお茶を飲んでいたところだったので、ベアード様の分も用意してもらい、部屋に招き入れた。
「話があると聞いた」
「あら」
「?」
相槌以外の台詞だわ。今日は随分喋るのね。あの初夜で、喋り癖がついたのかしら。意外に思ってつい口から出てしまったわ。不思議そうな顔をするベアード様を促して、椅子に座ってもらう。
「まあ、まずはお茶をお飲みになって」
「ああ」
おすすめしたのは、今わたくしも飲んでいる『よもぎ茶』である。ペパーミントのようにスっとする飲み口で、大変体にいいらしい。寝る前のお茶は、カフェインレスの野草茶をいれてもらっているのだ。
この野草茶、前世を思い出した子爵夫人が最近始めた店で購入できる。前世に囚われている人どころか、前世を思い出しちゃっている子爵夫人。彼女は当初、今世の人格が急に奥の方に引っ込んで、まるで別人のようになってしまったという。しばらくすると前世と今世の人格が馴染んで落ち着いたらしい。アップデートできたのね。前世の人格が全面に出ていた際も、心の奥で今世の人格がハラハラしながら見守っていたのだとか。その辺りのことを詳細に記した本も、子爵夫人のお店では購入できる。とにかく商魂たくましい方なのだ。
前世を思い出す人は、結構な頻度で現れる。それを公開する方もいれば、秘密にしている方もいるようなので、人口の何パーセントが前世を思い出しているのかは、把握できていないそう。わたくしも突然思い出したりするのかしら。自分の前世がどんな人物だったのか、気になってしまう。
ベアード様の様子を見ると、一口飲んだ際に眉間に皺を寄せていた。不思議そうな顔をして、こっそりと香りを確認したりしている。
「お口に合いませんでしたか?」
「…………いや」
「よもぎ茶というものなのですよ。健康にいいそうですの」
「…………」
彼は黙ってチビチビとよもぎ茶を飲んでいる。香りが苦手だったのかもしれない。侍女に目配せして、別の紅茶を用意させた。
「話というのは、わたくし達の今後についてです」
「うん?」
「ベアード様は、初夜に、わたくしを抱いてはいけない気がすると、仰いましたわ」
「……すまない」
「今も、そのお気持ちに変わりはないですか?」
「…………ああ」
「つまり、わたくし達は、白い結婚ということでしょうか。それとも、離縁ですか?」
「いや…………ああ、うん、いや……」
どうにも煮え切らない。しかも、結局いつもの台詞しか出てこないのね。婚約してから、ほとんど会話はなかったが、それなりに愛情を持って接してきたつもりだ。清潔感のある婚約者と会う度に、好感度はあがっていった。誠実さというか、そういったものが、彼からは感じられたから。
「あの日、貴方は、いつもの無表情ではなく、苦悩に満ちた顔でわたくしに抱けないと告げました。あれは、本心でしたか?」
「いや……」
ベアード様は、首を横に振った。
「では、誰かに言わされた?」
「…………すまない」
「それでは、わかりませんわ。わたくし達は、夫婦になったのです。今後、どうすればよいのか、ちゃんと口にしてください」
「と、とにかく……」
「とにかく?」
「離縁はしない!」
「あ、ちょっと!」
ベアード様は立ち上がると扉に向かって駆け出して、部屋から飛び出した。逃がしてなるものかと慌ててわたくしも部屋を出ようとした。すると目の前で彼が何かに躓き、あっという間に顔から倒れていく。
もう大惨事。暇つぶしに読もうと思って取り寄せた婦人誌の束に、御菓子やお茶の箱が、散乱。そして……
「やいやいやい! 何しやがんだてめぇこの野郎! どこのどいつかしらねぇがこの俺に足をかけるなんざ……うん?」
別人のようになったベアード様が振り向いた。
やっとこ江戸っ子が出てきました。