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♯98

改めて、九月の発表会に千鶴のピアノ伴奏で出ることになる未乃梨。

季節は巡って衣替え、夏服の時期を迎えて……。

 ウィンナーを口に運ぼうとしていた未乃梨(みのり)は、凛々子(りりこ)が差し出したスマホの画面を見て立ち上がりそうになるほど驚いた。

「凛々子さん、この曲、知ってるんですか?」

「ええ。ちょっと前に千鶴(ちづる)さんの練習を見てあげた時に、折角だし発表会でソロを弾いたら、って誘ったのだけれど。ついでに、この曲も候補としてその時に挙げさせてもらったわ」

 サンドイッチを食べ終えた凛々子のスマホには、「オンブラ・マイ・フ」のピアノ伴奏付きの楽譜が表示されていた。ソロパートの下に未乃梨には見慣れないアルファベットが振られているのは、楽譜が原曲のものであることを示していた。

「え……じゃあ、千鶴、この曲を凛々子さんに知らされてた、ってこと?」

「……うん。未乃梨が本当に私のソロの伴奏をやってくれるとは思わなかったし、未乃梨のこの曲を見つけてくるなんて、ちょっと予想外だったから驚いちゃったけど」

「そう、なんだ……」

「それじゃ……未乃梨、伴奏やってくれる?」

 食べ終えた弁当に蓋をしながらためらいがちに尋ねてくる千鶴に、未乃梨の中でわだかまっていた気持ちが崩れて消えた。

(凛々子さんと同じ曲のことを考えちゃってたのはちょっと癪だけど……千鶴と一緒に演奏できるのなら)

 未乃梨は喉に引っかかりかけた思いをお茶と一緒に飲み込むと、千鶴に返事をした。

「やるに決まってるじゃない。コンクール、どこまで進む分からないけど、私もしっかりピアノの練習をしておくから、よろしくね」

 元気良く返事をした未乃梨に、凛々子は残っていたボトル缶のコーヒーを飲みながら微笑んだ。

「それじゃ、発表会は千鶴さんのソロに未乃梨さんの伴奏、ということで決まりね。楽譜はまた、千鶴さんと未乃梨さんのスマホにファイルを送るから、それを使ってちょうだい」

「分かりました。当日の合奏もよろしくお願いします」

(千鶴、楽器を始めて間がないのにまた学校の外で本番が決まっちゃって……何か、凄いな)

 凛々子と受け答えする千鶴の横顔を頼もしく思いながら、未乃梨は千鶴が凛々子にコントラバスの練習を見てもらっていることを知った時のような、寂しさに似た感情を覚えていた。



 中間試験と連合演奏会を終えて間もなく、カレンダーは六月へと進んでいた。

 梅雨入りの前に陽射しと暑さは増す一方で、千鶴も未乃梨も制服の衣替えがやはり嬉しいのだった。

 六月に入って最初の音楽室の朝練で、未乃梨はつい千鶴の夏服姿に目が釘付けになってしまっていた。初心者でコンクールに出ない千鶴は未乃梨より遅れて音楽室に現れるのがこのところ常になっていたが、夏の制服姿でコントラバスを構える千鶴は、中学時代に未乃梨が知っていた千鶴とはやはり違っていた。

 千鶴の伸びた髪は襟元に風を通すためにやや高めのショートテイルに結んでいて、そこからのぞくうなじが未乃梨には眩しかった。

 厚手のブレザーから開放されたような白い半袖のブラウスの二の腕は、未乃梨の記憶にあるより遥かに白い。

 その、並の男子を超える長身に見合った白くて長い両腕とスカートから伸びるすらりと長い両脚で千鶴がコントラバスを構える姿に、未乃梨はやはり見入ってしまうのだった。

 未乃梨の視線に気づいて、千鶴は恥ずかしそうな顔をした。

「高校に上がってから運動部の助っ人なんてやらないから、こんな真っ白でぷにぷにの腕になっちゃったよ。脚もちょっと筋肉が落ちて細くなっちゃったし」

「千鶴、外出る時はカーディガンとか羽織ってね? 日焼けしないでね?」

「えー? 暑いじゃん。もう六月だよ?」

「ダメ。折角だからその肌は維持しなさい。真夏になったら日焼け止めも塗るのよ」

 思わず目尻を少し釣り上げた未乃梨に、千鶴は困り笑いをするしかなかった。



 未乃梨と似たことを千鶴に勧める少女が、もう一人いた。

 放課後の千鶴の個人練習を見に来た凛々子は、千鶴の夏服姿を見て「まあ」と珍しく声を上げた。

「千鶴さん、ずいぶん肌が綺麗なのね? 二の腕とか真っ白じゃない」

「……それ、未乃梨にも、クラスの子たちにも言われました」

 げんなりと答える千鶴は、体育のジャージを羽織ろうとして、凛々子に止められた。

「勿体ないわ。折角綺麗な肌なのだもの、夏の間は見せてもいいのではなくて?」

「やっぱり、日焼け対策とかしなきゃダメですかねえ。……中学時代は誰もそんなこと、言わなかったのになあ」

 渋々とジャージを脱ぐ千鶴を、凛々子はつとめて穏やかにたしなめた。

「千鶴さん。あなた、発表会にツートンカラーに日焼けした肌で出る気? それはそれで素敵かもしれないけど、ステージの上ではちょっと厳しいわよ」

「じゃあ、やっぱり上着とか日焼け止めとか用意しなきゃいけないんですか?」

「勿論よ。ステージに上がるんだもの、そういう準備も気に掛けなさいね。あと」

 凛々子の話にはまだ続きがあった。

「発表会だけど、女子の出演者の衣装、全員ロングスカートで合わせようと思うの。持ってるかしら?」

「ええっと……私服のスカート、一枚しかないんですけど」

「何ですって。……大問題だわ」

 急に、凛々子が千鶴に深刻そうな顔を向けた。


(続く)

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