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♯93

凛々子が進めている発表会の準備の一方で、本格的に始まるコンクールの練習に回る未乃梨。

二人の間で千鶴は……。

 ――良いんですか? それじゃ、お願いします

 ――詳しいことは明日の放課後にでも。じゃ、また頑張りましょうね


 メッセージのやり取りが止まったスマホの画面を見ながら、凛々子(りりこ)は、「ふう」とひと息ついてから口角を上げた。

千鶴(ちづる)さん、ヴィヴァルディに興味を持ってくれたみたいね。発表会で、どう仕上げてくれるかしら)

 一ヶ月あまりの間、今までに凛々子が練習を見てきた千鶴のコントラバスは、凛々子から見て少なくとも他の楽器と一緒に合奏をする分には安心できる腕前になっていた。

(「あさがお園」でやった「カノン」にバッハに……あと、ベートーヴェンの「第九」も)

 千鶴が「あさがお園」で弾いたわずか十六小節の「第九」の主題の穏やかで力強い響きは、凛々子の耳に残っていた。

 いつしか、凛々子は翌日に千鶴と顔を合わせるのが楽しみになっていた。

(バッハではあんな風に仕上がったけど、ヴィヴァルディではどうかしら)

 ヴィヴァルディのイ短調のメロディを小さく口ずさみかけた凛々子の空想を、メッセージの着信を告げるスマホのヴァイブレーションが断ち切った。

 メッセージは、智花(ともか)からだった。


 ――お疲れ。昨日、菅佐野(すがさの)フィルの巨人、瑞香(みずか)と聴いてきたよ。本条(ほんじょう)先生、やっぱり凄かった


 凛々子はすぐに返事をした。


 ――本当に聴きに行きたかったわ。そういえば、六月の最初の練習って、本条先生はいらっしゃるのかしら?

 ――確か来るはず。どうしたの?

 ――実は、発表会の打ち合わせも兼ねて、千鶴さんに見学に来てもらおうかと思って

 ――お、いいね。実は、そのことで瑞香と何度か話してて。何なら、見学の時に千鶴ちゃんを本条先生に会わせてあげられたらいいなって

 ――そうね。もし、千鶴さんがオーケストラを興味を持ってくれたら、ってこともあるし


 凛々子は、自分と千鶴がオーケストラの舞台で共演しているところを空想していた。その空想は、決してあり得ないことではないように、凛々子には思われた。



 翌朝、千鶴は目を覚ますと、ベッドの枕元にあるスマホにメッセージの着信があることに気づいた。千鶴が眠たい目をこすりながら確認すると、差出人は未乃梨(みのり)からだった。


 ――千鶴ごめん! 今日からコンクールの練習で朝早いから、先に行くね!


 寝ぼけ眼のままベッドから降りて、伸びかけの髪をそろそろ慣れてきた手付きで結いながら、千鶴はスマホの時計を見た。いつもの登校時間より三十分は早いだろうか。

(コンクールメンバー、忙しいんだね……私も来年はそうなるのかなぁ)

 寝間着から制服に着替えながら、千鶴はそんなことを考えていた。



 その日の朝の練習は、千鶴は未乃梨と顔は合わせてもほとんど話すことはできなかった。

 朝は、植村(うえむら)とピアノに向かいながら、一度ピアノで弾いた楽譜をフルートとユーフォニアムでもう一度なぞったり相談したりしている未乃梨に、千鶴は話しかけるのがはばかられた。

 ピアノとフルートやユーフォニアムで交代で演奏される穏やかで柔らかな表情の旋律に、千鶴は何度かコントラバスを弾く手を止めて聴き入った。

 それでも、朝の練習後は未乃梨から千鶴に話しかけてきた。

「千鶴、いきなりメッセしてごめんね」

「ううん。コンクールの練習、頑張ってね。そういえば、ずっとピアノ弾いてたね?」

 未乃梨は、ちょっと困った顔をした。

「コンクールでやる曲、『ドリー組曲』っていう、元がピアノの曲なんだけど、ピアノの弾ける子は原曲も練習しておいて、って子安(こやす)先生から言われてて」

「でも、何だか素敵な曲だよね。朝に植村先輩とピアノで弾いたりしてたやつとか」

 千鶴の言葉に、未乃梨の表情は少し明るくなった。

「あの曲、『子守り唄』って曲なの。あの曲、優しくて私は好き。……千鶴も、弦バスでコンクールに出られたらいいのにね」

「しょうがないよ。私、コントラバス始めて一ヶ月ちょっとだし」

「来年はさ、一緒に出ようね。……千鶴の弦バス、もっと本番で一緒に聴きたいから」

「ありがと。凛々子さんに練習見てもらって、頑張るから」

 今度は、未乃梨が顔が小さく膨らませて千鶴を見上げて詰め寄った。

「もう。そこで他の女の子の名前出さないでよ。千鶴、結城(ゆうき)さんとか桃花(とうか)織田(おりた)先輩とか、すぐよその女の子と仲良くなってるんだから」

 むくれた未乃梨が千鶴に向ける声や表情には、毒気はなかった。

 千鶴と未乃梨は思わず顔を見合わせて笑顔になると、始業が迫る教室へ急いでいった。



 放課後、千鶴は音楽室で未乃梨と別れると、いつものように凛々子に連れられて空き教室にコントラバスを運び込んだ。

 凛々子は、肩から提げていたワインレッドのヴァイオリンケースから楽譜を取り出すと、千鶴に差し出した。

「秋の発表会、これを弦だけの合奏でやろうと思ってね。ヴィヴァルディの『調和の霊感』っていう曲よ」 

 見慣れないアルファベットが題に入った楽譜には、妙に動きの多い音符が並んでいた。

(何だろ? 「あさがお園」で弾いた曲とも、ちょっと違う感じ?)

 千鶴は、調号にシャープもフラットもつかない一見プレーンな楽譜に少しだけ見入った。


(続く)

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