♯92
たくさんの音楽的な好奇心や疑問を持ち帰った千鶴。
未乃梨のことも気になりつつ、もう一つ大きな動きがありそうで……。
連合演奏会から学校に戻ってからも、帰宅途中の電車の中でも、千鶴は会場で聴いた演奏のことが頭を巡っていた。
硬質な音で近付き難い印象の清鹿学園。少人数でも引き込まれる演奏をした付属高校。そして、本格的なビッグバンドジャズで他の高校とは一線を画す桃花高校。
予想を超えて方向性の異なる様々な演奏や、高森を通して知り合った桃花高校のギター弾きの織田瑠衣の存在は、あまりに広い世界を千鶴の前に見せていた。
密度の濃かった一日に胸を躍らせる一方で、千鶴はバスの中で未乃梨が沈んた顔を見せていた事が、少し引っ掛かっていた。
電車を降りてから、千鶴は未乃梨に尋ねた。
「ねえ。……中学で一緒に吹部やってた子と、会いたかった?」
「……うん。クラリネットやってた子でね、清鹿に行って頑張るんだ、って行ってて。どんなことやってるか、話してみたかったかな」
未乃梨は少し寂しそうな顔をしつつ、顔を横に振った。
「千鶴、気にしてくれて、ありがとね」
なんとか明るい表情を取り戻すと、未乃梨は千鶴に手を振った。
帰宅して入浴と夕飯を済ませた千鶴が自室に引っ込むと、スマホにいくつかメッセージが届いていた。
一つは連合演奏会で知り合った織田で、連合演奏会の会場で撮った沢山の画像に加えて、どうやら桃花高校の校舎に戻ってから撮ったらしい画像が一枚添付されていた。
――千鶴ちゃん、今日はお疲れ様! うちがライブやる時は聴きに来てね
織田の賑やかな口調が浮かぶ文面と一緒に一枚追加で送られてきたのは、校舎の中で同じセーラージャケットの制服を着た数人の少女たちと一緒の織田だった。
(瑠衣さんの学校、楽しそうだなぁ)
微笑ましく思いながら「その時は呼んで下さい」と返信をして、千鶴は他に届いていたメッセージを見た。
メッセージは凛々子からも届いていた。
――連合演奏会、お疲れ様。どうだった?
――しっかり弾いてきました。他の人たちが気持ち良く吹けてたらいいな、って
――大丈夫よ。この前のあさがお園でも立派に演奏できてたもの。ところで
そこで文面が一度途切れて、凛々子が改めてメッセージを送ってきた。
――前に言った発表会だけど、あさがお園のときみたく何人かで一緒に演奏してみようと思うのだけど、興味はあるかしら? こういう曲、一緒にやってみない?
凛々子のメッセージには、何かの動画のアドレスが貼られていた。
(なんだろう、これ)
千鶴は、スマホにイヤホンを繋いだ。そのアドレスから飛べる動画では、どこかの海外のコンサートホールで弦楽器だけのグループがきびきびと演奏をしている様子が流れている。千鶴は、十といくつかある動画のチャプターをつまみ食いのように再生してみた。
動画のタイトルには「L’estro Armonico」という曲目らしきものや、作曲者の名前らしい「Vivaldi」という単語が、どこの国の言語でどう読むのか千鶴には皆目見当もつかないアルファベットの並びの中に見えた。
その演奏は、以前に「あさがお園」で弾いたバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」やパッヘルベルの「カノン」とも違う、別種の闊達さが感じられた。
(こんな風に弾けたら、楽しそう。ジャンルが違うけど、瑠衣さんもこんな風にギター弾いてたっけ)
ジャズとクラシックでは単純に比べられないことは千鶴にもわかっていた。それでも、今日のステージの上でギターを弾いていた織田と、動画の中で演奏している弦楽器奏者はどちらも果てしなく楽しそうに弾いているように、千鶴には思えた。
千鶴は早速、凛々子にメッセージで返事をした。
――この曲、楽しそうですね。ちょっと弾いてみたいかも
凛々子からの返事は早かった。数分経たずに、メッセージの返事が来た。
――千鶴さんなら弾けるわよ。前回よりちょっと人数は多いけど、チェロは智花さんも来るから、安心していいわ
――この曲、やるとしたらまた放課後に練習見てくれますか?
――もちろんよ。その件なんだけど
再び、そこで凛々子の文面が途切れた。
――どこかの週末で、土曜日に予定の空いてる日ってあるかしら? 打ち合わせをしたいのだけれど
――いいですよ。いつにします?
――六月の最初の土曜日はどう?
――わかりました。場所はどこですか?
――ディアナホールよ。私が入っている星の宮ユースオーケストラの練習があるの。ついでにうちの練習も見てく? コントラバスも何人か来るわ
――良いんですか? それじゃ、お願いします
――詳しいことは明日の放課後にでも。じゃ、また頑張りましょうね
凛々子とのやり取りはそこで一旦区切りがついた。
(また頑張りましょうね、か……凛々子さんが練習に付き合ってくれるんなら、きっと、大丈夫かな)
千鶴は、スマホを置くと伸びと大きな欠伸を一回ずつして、ベッドにぐったりと倒れ込むように横になった。
(続く)




