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♯72

「あさがお園」での子供たちに親しまれている様子の凛々子と、演奏に招かれた経緯を知る千鶴と未乃梨。

千鶴も、子供たちから興味と親しみを持たれたようで……?

 生け垣の向こうの「あさがお園」の建物は、保育園と小学校の中間のような窓の多い造りをしていた。窓の向こうにはここで暮らしているらしい小学生ぐらいの子供たちの姿が垣間見えた。

「あさがお園」の生け垣に開いた門の向こうには、車が数台駐められるスペースがあり、ライトグリーンの軽自動車が施設の入口近くに横付けされていた。

 その軽自動車から智花(ともか)瑞香(みずか)がヴィオラやチェロのケースを運び出しているのを、子供たちが数人、珍しそうに遠巻きに見つめていた。

 凛々子は千鶴(ちづる)未乃梨(みのり)に振り向いた。

「智花さんの車にコントラバスも積んであるから、|千鶴さんは出してきて。未乃梨さんは中でセッティングを手伝ってちょうだい」

「了解です」

「分かりました」

 準備にかかる千鶴や未乃梨と入れ替わるように、凛々子(りりこ)を目ざとく見つけた子供たちが三人ほど近寄ってきて、「りりこおねーさん、こんにちはー!」と大きな声で挨拶をした。

「こんにちは。今日はよろしくね」

「はーい!」

 元気に返事をする子供たちの後ろから、中年の女性がやってきて凛々子に会釈をした。

仙道(せんどう)さん、お待ちしてました。辻井(つじい)先生からお話は伺っていますよ」

谷山(たにやま)先生、今日は大所帯ですが、こちらこそよろしくお願いします」

「みんな、今日は凛々子お姉さんが来るって、楽しみにしてたんですよ」

「まあ。ありがとうございます」

 谷山の話を聞きながら、凛々子は軽自動車からケースに収まったコントラバスを園の入口に運び込む千鶴に目をやった。子供たちはコントラバスを抱えた千鶴が珍しいのか、今度はそちらへと駆け寄っていった。



 千鶴と未乃梨も、施設の子供たち二人から大きな声で挨拶を受けていた。男の子と女の子で、未乃梨の肩口にやっと頭が届く背丈はおそらく小学校の低学年だろうか。

「おにーさんにおねーさん、こんにちは!」

 千鶴と未乃梨は苦笑いをした。コントラバスを抱えている千鶴に代わって、未乃梨が折りたたみの譜面台を持ったまま子供たちに合わせて屈み込んで、目線を合わせた。

「あのね、こっちのおっきなヴァイオリンを持ってる人は、女の人だからね? お兄さんじゃなくてお姉さんだよ」

 女の子の方が、急に納得したように大きな声を張り上げた。

「じゃ、おっきいおねーさんとちいさいおねーさん、こんにちはー!」

「こんにちはー!」

 男の子がその後に続くと、二人の子供たちはぱたぱたと急に足音を立てて走り去っていた。

「もう、千鶴がお兄さんだなんて」

「まあまあ、小さい子の言う事だし?」

 宥める千鶴に、未乃梨は少しだけむくれていた。

「……千鶴、スカート穿いてくれば良かったのに」

「……やっぱり、未乃梨に相談すれば良かったかな」

 立ち尽くす千鶴と未乃梨を他所に、走り去った子供たち二人を追いかけていたらしい、園の職員でエプロンを着けた若めの女性が、千鶴に頭を下げた。

「ああ、こら! すみません、後で言って聞かせますので。あ、演奏の場所はこっちです」

 千鶴と未乃梨が園の職員に通されたのは、普段は食堂として使われているらしい小学校の教室より一回り大きいぐらいの部屋だった。

 その中の半分は長いテーブルが二つ並んでいて、もう半分は何も置かずに空間を空けてあった。テーブルの近くの壁には子供向けの本が収まっており、子供たちの日常が肌で感じられそうだった。

 食堂の中では既に瑞香と智花がそれぞれヴィオラとチェロの調弦を初めていた。瑞香は春物のカーキ色のマキシワンピースで、智花も薄手のジャケットにロングのスカートを合わせている。智花は千鶴を見ると「こんにちは。お兄さん」と冗談めかした。

「やんちゃな子ばっかりだねえ。ま、それが救いかもしれないけど」

「救い? どうしてですか?」

「それってどういう……?」

 コントラバスをケースから出した千鶴と、譜面台を立てていた未乃梨が智花を見た。

「ここ、理由(わけ)あって親がいなかったり、親元を離れてたりする子が住んでるんだよ。でも、初めて合う人に挨拶ができるぐらいなら、ちょっと安心かな」

 瑞香も、譜面台を広げながら千鶴と未乃梨を見た。

「凛々子の習ってる先生がここの職員さんたちと古い知り合いで、凛々子もここでソロとかカルテットで何回か弾いてるんだって。管とコンバスを入れたのは初めてらしいけど」

「凛々子さん、そういう活動もやってたんですね」

 フルートを手にしたまま楽譜を出す未乃梨に、瑞香は「まあね」と答えた。

「うちのコンサートミストレス殿、ああ見えて子供好きだからねえ。でしょ?」

 瑞香の視線の先には、ちょうど食堂に入ってきた凛々子がいた。凛々子も、ヴァイオリンの調弦を手早く済ませると、くすりと笑った。

「未来の演奏会のお客様だもの。今日は、最高の演奏をしましょうね」

「そう、ですよね」

 千鶴は頷くと、いつも弾いている学校の備品とは違う、ニスの色が薄くてやや重く感じるコントラバスの調弦を始めた。弓が弦に少し触れただけですぐに反応して音が出ている気がした。園の来客用のスリッパ越しに感じる床の振動も明らかに力強い。

(この楽器……なんか、凄いかも)

 千鶴は智花が車でわざわざ運んで来てくれた楽器に、ひたすら驚嘆していた。



 五人が準備を済ませた辺りで、「あさがお園」の子供たちが十数人ほど食堂に入ってきた。

 いずれも小学生ぐらいと思われる子供たちは普段から食堂を遊戯室としても使っているらしく、千鶴や未乃梨たちのすぐ近くの床に普段からそうしている様子で座り込んだ。前の方では流石に体育座りかせいぜい胡座をかいている子がほとんどだったが、後ろの方では足を伸ばして長座りしたり、ほとんど寝そべるのに近い姿勢で壁に寄りかかっている子も見られて、千鶴は内心苦笑した。

 長座り子供たちは、千鶴のコントラバスが珍しいのか、「あのヴァイオリンでっけー」「ちがうよ、あれ、何とかばすって言うんだよ」などという声が聞こえてきて、千鶴を微笑ましい気持ちにさせた。

 床にめいめいに腰を落ち着けた子供たちから見て、千鶴たちは弧を描く形で並んでいた。子供たちから見て左から未乃梨、凛々子、瑞香、智花、千鶴と音域の高い楽器から低い楽器の順番に並んで、チェロを抱えて椅子に座る智花以外は全員が立って楽器を手にしている。

 先程凛々子と話していた谷山が現れて、食堂の床に座ってざわついていた子供たちが静かになるのを見計らうと、子供たちに向かって話し始めた。

「今日は凛々子お姉さんがお友達を沢山連れて皆さんのために演奏に来てくれました。それでは、演奏をお願いします」

 子供たちは、目を輝かせて一斉に拍手をした。


(続く)


 

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