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♯65

屋上で未乃梨に声を掛けてきたのは、様子のおかしい未乃梨を見かけた凛々子だった。

何も話しかけてこない凛々子に、未乃梨は更に思い悩んで……。

 屋上で弁当のおかずの小さく切ったウィンナーを口に運びながら、未乃梨(みのり)は横目で自分の右隣に腰を下ろした凛々子(りりこ)を見た。

 サンドイッチを口に運ぶ所作も上品で、買ったばかりでそれなりに熱いはずのボトル缶のコーヒーを飲む時も音すら立てない凛々子は、自分より一歳年上なだけの同じ高校生には思えなかった。

 未乃梨は隣に座ってサンドイッチとコーヒーだけの簡単な昼食を取っている凛々子と何も話さずにいることが、じわじわと気まずくなり始めていた。いくら今日が雲ひとつない快晴だとは言っても、一人で屋上に来て弁当を食べている理由にはちょっと弱すぎた。

(ここで私、前に千鶴(ちづる)に告白して、ハグまでねだって抱きついたんだっけ……。今日の朝の練習で千鶴のコントラバス、すごく良くなってたのに何か凛々子さんみたいな弾き方してるのがどうしても気になっちゃって……)

 未乃梨は、どうにもまとまらない気持ちを持て余していた。加えて、ここ最近の千鶴に影響を与えている張本人の年上の少女が、屋上に上がってきてすぐ右隣に座って昼食を取っているこの状況が、未乃梨には想定外だった。

 ふと、穏やかな風が二人の座っている屋上を渡っていった。凛々子の緩くウェーブの掛かった長い黒髪が小さくなびいて、何かの花を思わせる甘い香りを立てて、未乃梨の嗅覚をくすぐった。

(千鶴、部活はしょっちゅう部外者の凛々子さんに練習を見てもらってるんだよね。……こんな、綺麗な人が千鶴の間近にいるなんて)

 凛々子の大人びた雰囲気や容貌は、未乃梨すら見入りそうになってしまっていた。それを思うと、未乃梨は凛々子と二人きりで屋上にいるというこの状況すら、落ち着いて過ごす自信が無くなりつつあった。

 ふと、凛々子がボトル缶のコーヒーを手にしたまま、顔だけを未乃梨にゆっくりと向けた。未乃梨は、頭の中を覗かれたように感じて小さくびくりと背筋を震わせた。

 凛々子が、未乃梨とは正反対の落ち着きを保ったまま口を開いた。

「未乃梨さん、今日はお日様の下でお昼を食べたかったの?」

「たまには、一人で食べたいって、思っただけです」

「一人で、ねぇ。そんなこともあるわよね。ところで」

 凛々子は未乃梨の途切れがちな言葉に微かに眉を動かしつつ、話題を変えた。

「放課後、お時間取れそうかしら。できれば、未乃梨さんと千鶴さんと私で、もう一度合わせたいのだけど」

「行きます。三人で合わせたいので」

 間髪入れずに返事をした未乃梨に、凛々子は「まあ」と微笑した。

「分かったわ。では、放課後に宜しくね。あと、来週に瑞香(みずか)さんと智花(ともか)さんも入れた五人で最後の合わせと、ゴールデンウィークの本番の詳しいことも説明するから、宜しくね」

 落ち着きを保つのがやっとの未乃梨を凛々子は妙に思うこともなく、空になったボトル缶とサンドイッチのパッケージを手にして屋上の床から立ち上がった。腰を下ろしていた場所に敷いていたハンカチを畳んでスカートのポケットに仕舞うと、凛々子は雲ひとつない真昼の青空を見上げた。

「では、そろそろ失礼するわ。せっかくのお天気だし、千鶴さんも一緒だったら良かったわね」

 未乃梨は、ほとんど食べ終えていた弁当の蓋を締めるのも忘れて、屋上から校舎に戻っていく凛々子の後ろ姿を無言で見送ると、午後の授業の時間が迫っていることを思い出して、ペットボトルのお茶の最後のひと口を飲み干した。



 教室に戻ってからも、未乃梨の胸中は穏やかではなかった。

(わざわざ千鶴の名前を出したってことは、……凛々子さんに私が千鶴のことをどう思ってるか、気付かれちゃったってこと?)

 そもそも、なぜ凛々子が昼休みに、二人分の飲み物を手に屋上に来たのかが謎だった。

(もしかして凛々子さん、購買に行く途中に私を見かけたとか……私、そんな変な様子だったのかな)

 屋上にいる間、凛々子は未乃梨に積極的に何かを聞いて来ることをほとんどしなかった。そのことも、未乃梨には不思議だった。

(……私と千鶴の間に何かあったって、思われちゃったかな。実際、そうなんだけどさ)

 未乃梨は、放課後まであまり落ち着いて授業を受けられなかった。



 放課後になって、未乃梨はいつものように千鶴と音楽室に向かった。音楽室の入口近くには既にワインレッドのヴァイオリンケースを肩に提げた凛々子が待っていた。

 空き教室に入ってそれぞれの楽器の準備をしている千鶴と未乃梨に、ヴァイオリンを調弦していた凛々子が声を掛けた。

「それじゃ、今日と来週で三曲とも仕上げちゃいましょう」

「あ、凛々子さん。『G線上のアリア』なんですけど」

 コントラバスを調弦し終えた千鶴が、凛々子に向き直る。

「こんな風に弾いてみようかって、思うんですけど」

 未乃梨がフルートのチューニングをしている間、千鶴が「G線上のアリア」のピッツィカートで弾く伴奏を、朝にやっていたように弦を押さえる手を小さく揺らしながら弾いてみせた。

 凛々子が、千鶴の側に寄って楽譜を見ながら千鶴の演奏を何小節か聴いてから、千鶴を止めさせた。

「もっとゆっくりのテンポならいいけれど、今回千鶴さんが作ろうとしてるテンポには合わないかしら」

「じゃあ、左手は何もしない方が、ってことですか?」

「そうね。ピッツィカートだし……」

 未乃梨は、いつしか相談をしている二人に背を向けて、フルートの音出しをしていた。未乃梨の中で、薄暗い思いが渦巻き始めていた。

(千鶴……私のこと、見てくれないの?)

 

(続く)


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