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♯64

朝の練習で、千鶴のコントラバスに凛々子の影響を感じて疎外感を覚える未乃梨。昼休みに一人で屋上に上がった未乃梨は、思いがけない相手に声を掛けられて……?

 一限目の授業の開始が近付いて、未乃梨(みのり)は言葉少なにフルートを片付けた。

 コントラバスの弦を拭いたり、弓の毛を緩めて松脂を払い落としたりしていた千鶴ちづるは片付けを終えると、未乃梨に全く屈託のない様子で声をかけてきた。

「そろそろ行こうか。授業、遅れちゃう」

「……うん」

「どうしたの? 体調、良くないの?」

「……何でもないよ。……やっぱり、ちょっと眠たい、かも」

 未乃梨は何とか、千鶴に笑って応えてみせた。笑顔になるには、ほんの少しだけ無理が必要だった。

「大丈夫? 気分が悪いなら保険室に連れてってあげようか?」

「いつも通り元気よ。急ごう、千鶴」

「あ、ちょっと、未乃梨? 廊下は走っちゃダメだよ?」

 もう一度笑顔を見せてから廊下に出ると、急に未乃梨は千鶴を振り返りもせずに駆け出した。

 中学時代に運動部の助っ人をやれるだけの体力と、自分よりずっと大きい歩幅の千鶴なら簡単に追いつかれそうで、未乃梨は全速力で走った。

 未乃梨が教室にたどり着いて数秒後に、千鶴が息すら切らさずに追いついていた。

「もう、未乃梨ったら――」

「おはようさん。朝から元気だねえ」

 教室の戸口で、千鶴がバレー部の結城志之(ゆうきしの)と話しているのが聞こえる。その様子を、未乃梨は正視することが出来なかった。

「千鶴っち、走ってるみのりんに涼しい顔で追いついてたね?」

「急に走って行っちゃったからびっくりしちゃったよ。廊下を走ったのって小学校以来かなあ」

 授業が始まる前のざわついた朝の教室の中で話す男子より長身の千鶴のリボンで結んだ伸びかけのボブと、そこまでではないもののバレー部らしく未乃梨よりは顔半分は背が高い志之のポニーテールが、未乃梨には妙に遠く感じられた。

(千鶴、結城さんと普通に話してるだけなのに、見てられない……ああ、もう)

 未乃梨はうつむきかけて、千鶴が自分を見たことに気付いた。

 千鶴は自分の席について、未乃梨が顔を上げてから周りに気付かれないように小さく手を振っていた。


 その日は、部活が始まるまで千鶴は未乃梨と目を合わせられなかった。

 昼休みに一緒に弁当を食べようと誘った千鶴を、未乃梨は済まなさそうに断った。

「千鶴、ごめん。私、パートの先輩たちとコンクールのことで用事あるから!」

 未乃梨はそう言って千鶴に片手拝みをすると、弁当の包みを手に急ぎ足で教室を出ていった。

「……昼休みに用事って、そんなのあったんだ?」

 小首をかしげて未乃梨の後ろ姿を見送る千鶴の肩を、志之がぽんと叩いた。

「千鶴っち、みのりんと喧嘩でもしたの?」

「いや、朝は普通に音楽室で一緒に練習してたんだけど」

「まあ、険悪そうな感じじゃなかったけど……倦怠期?」

「別に、私は未乃梨と付き合ってるわけじゃないんだけど?」

 困った顔で頭を掻く千鶴の脇腹を、志之は「ふーん?」とつついた。

「しっかし千鶴っちもモテるよなあ? みのりんに仙道(せんどう)先輩に女バレとか女バスの連中にさ」

「……え、何それ。後半の話、初耳なんだけど」

 怪訝な顔をしかけた千鶴のブレザーの袖を、志之は引っ張った。

「ま、お昼食べながらゆっくり話してあげようじゃないの。とりま飲み物買いに行こうぜ」

 面白そうに笑う志之に引っ張られて、千鶴は購買へと連れて行かれた。



 午前中の授業を終えて購買に出かけた凛々子(りりこ)は、途中で階段を急ぎ足で上がっていく未乃梨を見かけた。

(お弁当を持ってる……あの階段の先は屋上だけど、誰かとお昼なのかしら……あら?)

 凛々子は思い詰めたような、悩んでいるような未乃梨の表情にふと気がついた。

(ちょっと、気になるわね。様子、見に行った方がいいかもしれないわ)

 凛々子はいつも買うミックスサンドに加えて飲み物を二本買うと、屋上に続く階段を上がっていった。



 未乃梨は屋上に出て出入り口の近くに座り込むと、持ってきた弁当も広げずに空を見上げた。

 朝の練習で千鶴に凛々子の影を感じただけで、ここまで自分が落ち着いてはいられなくなるのが、未乃梨には不思議でもあり、ある意味当然でもあった。

(私、やっぱり凛々子さんに嫉妬しちゃってるんだ。千鶴と凛々子さんは何でもない関係で、……私は千鶴のカノジョになれてもいないのに)

 そこまで考えて、未乃梨はやっと弁当を広げた。弁当の中のピーマンの肉詰めやポテトサラダに目を落として、未乃梨は箸を止めた。

(千鶴、今日一緒にお昼を食べてたら、ピーマンの肉詰めを何と交換してくれたのかな)

 未乃梨は思いを巡らすだけで、何も答えを見つけ出せずにいた。

 その未乃梨の後ろから、思いがけない声が聞こえた。

「ご機嫌よう。いいお天気ね」

 未乃梨は弾かれたように後ろを振り向いた。そこには、ある意味で未乃梨があまり顔を見たくない、緩くウェーブの掛かった長い黒髪の二年生がいた。

「あ、……凛々子さん」

「良かったら、飲み物どうぞ。好きな方を選んでちょうだい」

 凛々子はオレンジ色のキャップがついたペットボトルのコーヒーとお茶を未乃梨に差し出した。ホットの飲み物を持ってきてくれたことに、未乃梨は凛々子に対する棘のある気持ちが消えていった。

「……じゃ、お茶もらいます」

「どうぞ。お隣、失礼するわね」

 凛々子はスカートのポケットからハンカチを取り出すと、未乃梨の右隣に敷いて、腰を下ろした。


(続く)


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