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♯57

未乃梨に誘われて屋上で一緒に昼食を取る事になった千鶴。蘇我の一件を他人事に思えない、という未乃梨は……。

 その日の昼休み、千鶴(ちづる)未乃梨(みのり)に手を引かれて屋上に上がった。

 弁当箱と購買で買った飲み物を手にした二人は、よく晴れた青空の下で弁当箱を広げた。

「それにしても、驚いたよ。いきなり今日はここでお昼、なんてさ」

「今日は千鶴が朝早かったしね。それに、……忘れてないよね?」

 上目遣いで自分を見てくる未乃梨に、千鶴は箸を取り落としそうになった。

「え!? ここで!?」

「だめ?」

「だめじゃない、けど……」

「じゃ、後で、ね。頂きます」

 未乃梨は手を合わせると、千鶴の弁当に入っていたコロッケを取って、自分の弁当に入っていたブリの塩焼きを一切れ寄越した。千鶴も未乃梨の弁当から牛蒡巻きを取ると、自分の弁当からシュウマイを差し出した。

 食べながら、未乃梨は千鶴に尋ねた。

「ところで、今日の朝練、低音のセクション練習だったでしょ。どうだった?」

蘇我(そが)さん、すごく無理して大きい音で吹いてたみたいで、途中でバテちゃってた。なんか、顎を押さえてたね」

 未乃梨は、心配そうな顔をした。

「それ、ヤバいやつかも」

「ヤバいって、どういう――」

顎関節症(がくかんせつしょう)っていう、顎の病気みたいなやつかも、ってこと。中学の時に、吹部で無理して練習して、それが原因でしばらく楽器が吹けなくなった子とか、いたよ」

「それって……わりと大変なんじゃ?」

 未乃梨は、難しい顔をした。

「蘇我さん、テューバだし、顎周りの筋肉もいっぱい使わなきゃいけないから、顎に無理がかかってこの辺りの関節も傷めてるかも」

 未乃梨は箸を弁当の蓋に置くと、自分の顎の付け根を押さえてみせた。その場所は、蘇我が朝のセクション練習で押さえていたのと全く同じ、顎と頭骨のつながる耳のすぐ下辺りだった。

「そこ、管楽器やってる人が傷めたら大変な場所じゃない?」

「そうだよ。ひどい時には口を開けるだけで雑音が鳴ったりするし、最悪、固い食べ物も治るまで食べられなくなっちゃうの」

 未乃梨の話に、千鶴は青ざめた。

「蘇我さん、そんなになってまで、どうして……」

「中学から、元々練習熱心だったんだろうね。それで練習のし過ぎだったところに、好きだった先輩を奪った人とおんなじ楽器をやってる千鶴を見て、顎を壊しかけるぐらいめちゃくちゃな吹き方をしちゃったんだよ」

「楽器が吹けなくなるかもしれないのに?」

「そう。……あのね、千鶴。私、蘇我さんの気持ち、ちょっと分かるかもしれない」

「蘇我さんの気持ちが分かるって、どういうこと?」

「もし、千鶴が凛々子さんに練習を見てもらうようになってから、私と一緒に登校したり、一緒にお弁当食べたりしてくれなくなったら、って思ったの」

 千鶴は、ほとんど食べ終わった弁当を置いて、未乃梨の顔を見た。未乃梨は、意を決したような、それでも不安があるような、複雑な表情をしていた。

「そんな、……凛々子さんとは、そんなんじゃ」

「そう。千鶴はちゃんと凛々子さんに教わってること、ちゃんと話してくれたじゃない? もし、蘇我さんの中学の先輩が千鶴みたいに優しかったら、蘇我さんもあんなに引き摺って無茶な吹き方をしなかったんじゃないかな、って」

 未乃梨は、食べ終わった千鶴より一回り小さい弁当箱を仕舞って、ペットボトルのお茶を一口飲んだ。千鶴も、最後に残ったミニトマトを口に運ぶと、何も言えずに未乃梨から目を逸らして、屋上の外の景色に視線をやった。

(でも、未乃梨には、一度だけ凛々子さんに手を貸して階段を降りたことは言ってない。その後、校門まで凛々子さんの手を預かったまま歩いたことも)

 千鶴の胸の奥に、その時感じた小さくてもはっきりとした鼓動が蘇った。

(私、蘇我さんの中学時代の先輩と同じことをしてるんだろうか。そもそも、私と未乃梨とか凛々子さんって、そういう関係なんだろうか)

 不意に、未乃梨が千鶴の左隣に座った。未乃梨の小さな左手が、千鶴の並の男性より大きい右手に重なる。

「あの……未乃梨?」

「約束したでしょ。いい?」

「……いいよ」

 未乃梨は、思い詰めたように千鶴の顔を見つめてから、千鶴の肩に両方の手を回した。屋上のざらついたコンクリートの床に座っている千鶴のスカートの膝の上に、未乃梨がゆっくりと跨がる。未乃梨の身体の柔らかさと意外な軽さに、千鶴は思わず未乃梨の腰に両腕を回して支えた。

 未乃梨はそのまま、千鶴の腕の中に身体を預けた。未乃梨のリボンでハーフアップにまとめている、セミロングの細くて柔らかな髪が千鶴の顔に掛かって、甘酸っぱいような香りが千鶴の嗅覚をくすぐった。

 未乃梨が、千鶴のリボンでショートテイルに結った髪を触りながら、耳元で囁いた。

「今日も、リボンで結んできたんだね」

「結ばない方がいいなら、また短くしちゃうよ?」

「だめ。このまま伸ばして。私、格好いい千鶴も好きだけど、スカートとかワンピースも似合う千鶴も見たいの」

 千鶴の髪に触りながら、未乃梨は身体を千鶴に寄せた。未乃梨のふくらみが千鶴の胸元に押し付けられて、その弾力が千鶴に気まずさを感じさせた。未乃梨のスカートの裾が乱れそうになり、千鶴はそっとそれを整えた。

「ねえ、未乃梨の好きって……もしかして」

「うん、そうだよ。……私、千鶴のカノジョになりたい」

「え……?」

「それを言いたくて、お昼に屋上に呼んだの。すぐに返事しなくていいから、それだけ言わせて」

 未乃梨の腕が、千鶴の両膝に跨っていた身体が、ゆっくりと千鶴から離れた。未乃梨の身体の下で乱されて太ももが露わになりかけた千鶴のスカートの裾を、未乃梨が直した。

(未乃梨が私のこと……そんなに!?)

 千鶴は屋上のコンクリートの床に座り込んだまま、すぐ側にゆっくりと立ち上がった、目を潤ませて頬を紅潮させた未乃梨の顔を黙って見上げることしか、出来なかった。


(続く)

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