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♯52

少しずつ磨かれていく千鶴と未乃梨の演奏と、揺らいでいる未乃梨の心の奥。

凛々子たちとの本番を控える一方で、吹奏楽部でも新しい動きがありそうで……?

「G線上のアリア」に続いて、パッヘルベルの「カノン」と「主よ、人の望みの喜びよ」も、合わせの練習は問題なく通ったどころか、凛々子(りりこ)から見て千鶴(ちづる)未乃梨(みのり)も明らかに進歩があった。

 千鶴はまだ運弓に粗があるとはいえ、コントラバスを演奏している最中に楽器の構えがすっかり安定するようになっていた。千鶴はコントラバスのネックや胴体から左右の手が離れている時ですら、楽器が動かない瞬間があった。千鶴は明らかに、左の腰だけで左手に負担を掛けずにコントラバスを支える方法にたどり着いていたようだった。

 未乃梨はフルートの音の瑞々しさに磨きがかかっていた。本来はヴァイオリンが弾く「G線上のアリア」の主旋律を、フルートならではの音程ではなく音量が変化するヴィブラートを付けて歌い込むようになっていた。管楽器については素人の凛々子から見ても、明らかに体格からして力任せに吹くタイプではない未乃梨は、細かい表情付けで旋律を描き分けるのが得意なようだった。



 合わせの練習が終わると、凛々子は千鶴と未乃梨に次の練習について伝えた。

「次の練習だけど、前に来てもらったヴィオラの今井瑞香(いまいみずか)さんとチェロの浅井智花(あさいともか)さんの二人にまたうちの学校に来てもらいます。五人での合わせはまた来週で、ゴールデンウィークの本番前では最後の合わせになるわ」

「瑞香さんと智花さんが来るの、楽しみですね」

 屈託のない千鶴に、凛々子は微笑んで、未乃梨は微かに寂しさを滲ませた。

「そういえば、前の練習の休憩中に、智花さんと第九を弾いていたわね。また、色々と教わるといいわ。未乃梨さんも、ね」

「え、ええっ!?」

 急に凛々子に振られて、未乃梨は声を上擦らせた。

「どうしたの? 未乃梨?」

「何でも……ないわよっ」

 千鶴に問われて、未乃梨は決まりが悪そうに明後日の方向を向いた。

 ある意味ではいつも通りの二人に、凛々子は「もう、相変わらず仲良しさんなんだから」と微笑した。

「あとは五人での合わせと、本番を楽しむことね。特に千鶴さんは初めての人前での演奏だし、良いパフォーマンスになればいいわね」

 凛々子がそう言って千鶴に向ける視線に、未乃梨は心の奥に小さな棘が刺さるような、すぐに消えてしまいそうなほど小さな痛みを感じていた。未乃梨の脳裏に、瑞香の言葉が浮かんでいた。


 ――千鶴さんとどういう関係になりたいか、は少し考えてみてもいいんじゃない? 友達でいたいのか、千鶴さんのカノジョになりたいのか、ね


 その言葉は、未乃梨にはどこまでも割り切れなかった。

(千鶴と一緒に学校に行って、部活に出て、演奏して、お昼食べて、休みの日に遊びに行って……その、次は?)

 未乃梨は、不意に今まで自分がしてきたように、千鶴と凛々子が手をつないだり、一緒に昼食を取ったり、休みの日に出かけたりしている姿を思い浮かべた。目の前にいる千鶴と凛々子は、学年が違うこともあって一緒にいる機会は少ないはずなのに、その様子は未乃梨にはありありと容易に思い浮かべられてしまうものだった。

 未乃梨は、それを打ち消すように、すぐ行動に移した。

「……もう、言ったじゃないですか。千鶴は凛々子さんにはあげませんからね?」

 千鶴の右腕に、未乃梨はいつものように抱き着いた。

「あら、それじゃ今度借りようかしら。千鶴さん、今度お茶でも一緒にいかが?」

 凛々子がおどけて千鶴の左肩にそっと手を置いた。

「凛々子さん、今日という今日は――」

「あ、あのちょっと、未乃梨は落ち着いて、凛々子さんは面白がらないで、ね?」

 二人に右腕と左肩に同時に触れられて、千鶴は慌てた。

「未乃梨もそんなに怖い顔しないで、凛々子さんもその、擦り寄らないで、あの、当たってるから」

「何よ千鶴、私のじゃ不満なの!?」

「千鶴さん、未乃梨さんの触ったことあるの? 進んでるのね」

 目尻を吊り上げた未乃梨と、その未乃梨の様子を面白がる凛々子が、未乃梨は爪先立って強引に、凛々子はブレザーの袖に自分の襟元が触れる程度に、同時に千鶴の左右の二の腕に自分の身体を押し付けた。

「未乃梨、誤解されることは言わないで、ね? 凛々子さんも、私と未乃梨は別にそういうことしてるわけじゃ――」

「おー、お盛んだねえ。(れい)から話に聞いた以上だ」

江崎(えざき)さん、小阪(こさか)さんだけじゃなくて仙道(せんどう)さんともそういう関係だったの? やっぱりモテるんだね」

 未乃梨と凛々子に左右から挟まれて目を回す千鶴が、空き教室の外から聞こえてきた声に、千鶴は身体を硬直させた。

「た、高森(たかもり)先輩と、確かユーフォの」

「お、覚えててくれたみたいだね。私はユーフォの二年の植村祐希(うえむらゆき)。宜しく」

 未乃梨より明るい髪色の前下がりボブの、赤いリボンタイの二年生は、手をひらひらさせて空き教室に入ってきた。

「お楽しみのところごめんね。ちょっとお願いがあって」

「あの……何でしょうか」

 やっと未乃梨と凛々子から解放された千鶴に、今度は高森が答えた。

「忙しいところを悪いんだけど、朝っていつも音楽室に来てるよね?」

「あ……はい」

 千鶴は未乃梨と目を合わせてから、高森の顔を見直した。

 高森に代わって、植村が答えた。

「明日の朝、いつもより早めに来れるかな? 管の低音と弦バスだけでマーチを合わせてみようか、って玲と話しててね。あ、蘇我さんにも来てもらうよ」

「蘇我さんも……?」

 千鶴は、もう一度、今度は未乃梨の他に凛々子とも顔を見合わせた。


(続く)

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