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♯5

授業の始まったクラスとそろそろ本格的な練習が始まる吹奏楽部。千鶴と未乃梨を取り巻く環境も、中学とはちょっとずつ変わり始めて……。

 千鶴(ちづる)は、朝の駅の改札前で未乃梨(みのり)を待ちながら、自分のスマホを見ていた。

 着信だけが入った昨日初めて見る番号や、そこから届いた「仙道凛々子(せんどうりりこ)」という名前だけが書かれたメッセージが、昨日の放課後に凛々子と会ったことを未乃梨につい隠してしまったことと合わせて何故だか後ろめたい。

 昨日の夜に家に帰ってからスマホの連絡先に凛々子の番号を登録したら、フルネームで入れた未乃梨と凛々子の名前が近い順番に入ってしまったのも千鶴の後ろめたさを強めていた。

(別に、あの仙道って先輩とどうにかなるわけじゃないし、楽器を教わることだって未乃梨に関係ないし……)

 胸の奥に薄く湧き出てくる、誰に対してかもよく分からない言い訳を揉み消そうとしている千鶴の耳に、朝の駅の雑踏を掻き分けるようにしてよく通るソプラノの声が届いた。

「千鶴、おはよ」

「あ、おはよう、未乃梨」

「じゃ、行きましょ」

 いつもと変わらない様子で、未乃梨は千鶴の腕を取って改札を通った。千鶴は、つなぎ慣れているはずの未乃梨の小さな手や中学時代から何度も組んでいる細い腕の感触が、ホームでも電車の中でも微かに気まずかった。


 その日の午前中最後の授業は体育で、早速クラスの中でチームを組んでバレーボールをすることになった。未乃梨は千鶴と別のチームで、コートに入っている千鶴は観戦している未乃梨に軽く手を振ると、相手チームのサーブを待ち構えた。

 千鶴は何度も相手チームのサーブやスパイクを打ち返した。男子ですら及ばない高身長の千鶴がボールを捌くたびに、コートの外の女子たちから歓声が上がる。その歓声の中に、千鶴の耳に馴染んだよく通るソプラノが混じっていた。

 相手チームのポニーテールの少女が放った、間に合わないかと思われた鋭いスパイクを千鶴が滑り込んでレシーブでつないだ時には、両チームのコートからもどよめきが上がるほどだった。

 授業終わって更衣室に入った千鶴に、未乃梨がタオルを手渡した。

「お疲れ様。凄かったよ」

「ありがと。でも、相手チームのバレー部の結城(ゆうき)さん、スパイク速かったし返せないかと思ったよ」

「良く言うよ。あれ、決まったと思ったのになあ?」

 未乃梨の後ろで着替えていたポニーテールの少女が、白い歯を見せて千鶴と未乃梨に笑いかけた。半袖のウェアを脱いで、素肌にグレーのハーフトップを着けた引き締まった上半身にブラウスを羽織りながら見せる結城の笑顔は、むしろ千鶴のプレーに喜んでいるようだった。

「江崎さん、今からでも女バレに入んなよ。あたしより十センチぐらい身長高いんだしさ」

「今日のはまぐれだよ。あんなスパイク、毎回受けられないって」

「結城さん、駄目よ。千鶴は吹部なんだから」

 千鶴の肩に手を回して勧誘し始めた結城に、未乃梨がリボンを結んだハーフアップの髪を翻して割り込んだ。制汗スプレーの甘酸っぱい香りと、リボンタイを着けておらず開いたままの襟元から除く淡いグリーンのストラップに、千鶴は少したじろいだ。

 結城は「やれやれ」と頭を掻いた。

「仕方ないなあ。江崎さんのカノジョがそう言うんなら諦めるしかないか」

「結城さん、あの、それは、ちょっと」

 制服のスカートを穿こうとしていた千鶴が、思わずスカートを床に落としかけた。淡いブルーの布地が千鶴の腰から微かに見えかけたところで、未乃梨がスカートを押さえてホックを留めると、そのまま千鶴の右腕に取り付いた。

「千鶴は運動部にはあげないんだからね。高校は吹部一本だって言ってたもんね?」

「ラブラブじゃん。やっぱり付き合ってたの?」

 にやにや笑う結城に、千鶴は「あの、そういうんじゃなくて」と取り繕って、「えー、江崎さんと小阪さんってお似合いじゃん?」「クラスの男子とくっつくよりずっと良いって」とかえって周りを騒がせた。

 更衣室の中は、そんな喧騒で少しの間満たされた。未乃梨も、ばつの悪そうな千鶴も、その騒ぎ声がやはり心地良かった。


 放課後になって、千鶴は未乃梨に手を引かれて音楽室へと向かった。「んじゃ、お二人さん、吹部頑張ってね」と気持ち良く言い残して早足で追い越していく結城に手を振ると、二人は手をつないで音楽室へと向かった。

「今日はフルートの初心者の子に色々教えなきゃなんだよね。ま、昨日みたいにほとんどお遊びだけど。千鶴は?」

「今日は……面倒を見てくれる先輩がいないから、一人で練習かな」

「そうなんだ。弦バス、意外と弾ける人っていないもんね」

 音楽室に着くと、未乃梨はピアノの前に座って楽譜を前に置いた。フルートのパート員らしい部員がピアノの周りに集まってくる。

「未乃梨、今日はピアノも弾くの?」

「うん。ピアノ弾きながら初心者の子に教えたり、先輩と合わせたりするの」

「そういや、中学の合唱でピアノ伴奏してたっけね。んじゃ、後でね」

 千鶴はピアノの周りから離れると、音楽室の壁際に寝かされているコントラバスを起こした。昨日は気づかなかった、平べったくて細長い箱がケースに収まったコントラバスの陰に置かれているのを見て、千鶴はそれを手に取った。

「あれ? こんなのあったっけ?」

 細長い箱の中には、昨日凛々子がヴァイオリンを弾くのに使っていたのとちょっと似た、無骨で太い弓が入っていた。白っぽい弓の毛は少し頼りなく緩められている。箱にはチャックの付いた物入れがあり、中にはチョコレートのような、飴のような丸くて黒い何かが入っていた。

(まあいっか。仙道先輩なら、何か知ってるかも)


 大きな楽器本体と弓の入った細い箱を抱えて、千鶴はピアノやフルートの音が流れ出した音楽室を出た。待ち構えていたように、音楽室のすぐ近くまで、あのワインレッドのヴァイオリンケースを肩に提げた凛々子が来ていた。

「大変でしょう、弓ケースとかは私が持つわ。さ、行きましょうか。こっちよ」

 千鶴を促して細かい荷物をいくつか預かると、凛々子は緩くウェーブの掛かった長い黒髪を揺らして千鶴を空き教室に誘った。

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