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♯44

離れた場所で聴いた凛々子ですら気付いた吹奏楽部の合奏の齟齬。その原因の蘇我は、何故か千鶴へ敵意を向けたままで……。

 再び、部員全員での「スプリング・グリーン・マーチ」の合奏が始まった。千鶴(ちづる)の隣に座る蘇我(そが)は仏頂面のまま、音量を落としてテューバを吹いた。一聴して、合奏全体のバランスは良くなったかに感じられた。

 クラリネットから回ってくる軽やかな主旋律をフルートで吹きながら、未乃梨(みのり)は低音パートの方を見た。

 コントラバスを立って弾いている千鶴も、他のユーフォニアムやテューバの上級生も、特におかしな様子は聴こえては来なかった。ただ、千鶴の隣でテューバを吹いている、蘇我というベリーショートの髪に眼鏡の同学年らしい女子は、音量こそ落としたものの、吹き始めがまるで鉈で薪を割るような、荒く攻撃的な硬い音で演奏していた。

 マーチの軽やかで陽射しの中を歩むような健康的な主旋律に、蘇我の他の低音パートを邪魔しにかかるような音は明らかに合っていなかった。未乃梨は、「スプリング・グリーン・マーチ」の中間部にあるフルートソロを吹く前に、気が重くなり始めた。

 未乃梨の不安は杞憂に終わった。「スプリング・グリーン・マーチ」が中間部に入る前に、子安(こやす)が合奏を止めた。

 子安はつとめて穏やかに語りかけた。

「ところで皆さん。うちの吹奏楽部はいろんなパートがあります。特に、低音パートは今年は色んなパートに新入部員が入ってくれましたね。今年入ってくれた低音の子は挙手して下さい」

 コントラバスを身体に立て掛けた千鶴と、その千鶴を横目で相変わらず睨んでいた蘇我が挙手をした。

 続いて、二人いるファゴットの片方のサイドテールの女子や、大勢いるクラリネットの後ろに座るバスクラリネットの坊主頭の男子や、サックスパートで高森(たかもり)の一人置いて左隣に座るバリトンサックスの三つ編みの女子が手を上げた。トロンボーンの上手側の端に座る、バストロンボーンを持ったツーブロックの髪の男子が少し迷って手を上げた。

 挙手した面々を見回して、子安は「ありがとうございます。手を下ろして下さい」と頷いた。

「低音楽器だけの新入生だけでこれだけ、上級生も入れたらもっといますね。つまり、この中の誰かが、無理に自分一人だけで低音パートを演奏しなくてもいいのです。色んな楽器の音色が混ざり合ってこその吹奏楽で、それを皆さんにまずは体験してもらわないことには、音楽が成り立たないのです」

 子安はあくまで穏やかに、部員全員に向けて語りかけていた。

 未乃梨は千鶴と、その隣にいる蘇我から目を離せなかった。フルートパートの二年生が、未乃梨の左肩をつついた。

「……ねえ、小阪(こさか)さん。あんたの友達の弦バスの子、隣のテューバの一年生にガン飛ばされてない?」

 上級生のひそひそ声に、未乃梨も声を抑えて応えた。

「……さっきからおかしな吹き方してるの、あのテューバの子ですよね。何であんなことを」

 子安は穏やかに話し続けた。

「いいですか、皆さん。合奏練習は一人で演奏をする場ではありません。練習ですから失敗をしてもいいんです。その代わり、周りからどんな音が聴こえるか、他のパートと自分のパートがどう関わり合って音楽が出来ていくか、それを勉強していく場にして下さい」

 低音楽器のパートが集まっている辺りから遠く離れたフルートパートにいる未乃梨にすら、蘇我の表情は憤懣遣る方無いといった風に見えた。隣でやや困った顔をしながらコントラバスを身体に立て掛けて立っている千鶴が、未乃梨には心配になってきていた。

 子安は話し終わると、指揮棒を構え直した。

「それでは、今お話したことを踏まえて、中間部から皆さんでお願いします」

 未乃梨は、不安を抱えたままフルートを構えた。

 木管分奏で聴いた、コントラバスの弦を直接指ではじくたっぷり響きを含んだピッツィカートが現れて、未乃梨は安心して伸びやかにソロを吹いた。

 ピッツィカートでコントラバスを弾く千鶴はいつにもまして堂々としていた。一緒に伴奏に入るバスクラリネットやバリトンサックスも、木管分奏のときより遥かに響きが柔らかい。その響きに、ユーフォニアムとテューバもよく聴くと加わっていて、コーヒーゼリーに乗ったスプーン一杯のホイップクリームのようなまろやかさを伴奏の響きに与えていた。

 未乃梨はそれでも、不安を拭えなかった。

 千鶴の隣に座る蘇我は、よく聴くとテューバを構えたまま吹いていなかった。大きな真鍮の楽器に半分ほど隠れた顔はやはり仏頂面のままで、マウスピースに口すら付けていないのは叱られて拗ねた小さな子供のようなわがままな振る舞いにすら見えた。

(何なのよ、あの子……。千鶴とか、他の低音の子とかを邪魔したり、子安先生がみんなに話したあとで急に吹かなくなったり)

 未乃梨の蘇我に対する困惑は、嫌悪感の直前にまで変わりつつあった。前半よりはつつがなく進んだ合奏が終わるまで、その困惑は未乃梨にこびりついたままだった。



 合奏練習が終わって、フルートを片付けた未乃梨はコントラバスを返却した千鶴の手を引いて、一緒に音楽室を出た。

「千鶴。今日は何か、色々大変だったね」

「まあ、ね。せめて、蘇我さんが何を考えてたか分かればいいんだけど」

 困り笑いをしながら昇降口を出る二人を、よく知る上級生の声が呼び止めた。

「部活、お疲れ様。何だか大変だったようね」

 未乃梨は、このときばかりは声をかけてきた相手に安堵を覚えた。放課後にどこかでヴァイオリンを練習していたらしい、凛々子が二人に向けて手を振っていた。

「凛々子さん、お疲れ様です。実は――」

 そこまで言いかけた千鶴に、不機嫌な声が投げかけられた。

「ふん、ちょっと演奏が上手くいったからっていい気になって」

 ベリーショートに眼鏡の女子生徒が、昇降口から出てきて千鶴たち三人を睨んでいた。

「しかも、女の子を二人も侍らせてるなんて良いご身分ね。……あんたみたいな奴と演奏したくないわ」

 蘇我はそう吐き捨てると、苛立ったようにローファーで地面を踏みつけて立ち去っていった。


(続く)

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