♯42
千鶴が吹奏楽部で参加した初めての全体合奏。それは、千鶴や未乃梨が思っても見なかった波乱の中で始まって……!?
合奏が始まる前に、千鶴は音楽室を見回した。
音楽室の中はざわついていて、チューニングをしていたり、指遣いを確認したり、はたまた談笑をしたりと配置についた吹奏楽部員が楽器を手にめいめいに過ごしていた。
千鶴のすぐ近くの、ユーフォニアムやテューバの部員はというと、大きな金管楽器を手にしつつ、していることは私語だった。ただ一人、制服のリボンタイが千鶴と同じ青色の、眼鏡にベリーショートの少女だけは別で、しかめっ面をしながらテューバの音出しを一人で続けていた。
舞台上では下手にあたる、指揮台に座る子安から見て左手側のやや奥にいる未乃梨を含めたフルートパートは、千鶴からは随分遠く感じた。それもそのはずで、ステージ上では前半分に陣取る木管楽器の後ろに、前回の分奏にはいなかった金管楽器セクションがずらりと並んでいる。
その木管楽器も、前回の分奏とは少しだけ配置が異なっており、指揮台の周りをクラリネットが半円状に囲み、その次に下手側からフルートとオーボエとサックスがまた半円状に並んで、三周目の半円に下手側からホルンとユーフォニアムとテューバに続いて千鶴ひとりのコントラバスが位置し、最後列には下手から打楽器とトランペットとトロンボーンが並んでいるという形だった。
コントラバスを何とか調弦し終わった千鶴に、青いリボンタイに眼鏡にベリーショートの、女子としては中背の少女がテューバを抱えて座ったまま話しかけてきた。
「弦バスの江崎さんだっけ、よろしく」
その少女のあまりの仏頂面に、千鶴は一瞬竦みかけて、返事が遅れた。隣にテューバを膝に置いて座っていた、スポーツ刈りでネクタイが凛々子と同じ赤色の、肩幅の広い男子生徒がその少女をなだめた。
「おい蘇我、初心者を睨むんじゃない。ああ、江崎さん、ごめん。この子経験者なんだけどちょっと気張り過ぎててさ」
スポーツ刈りの男子生徒に、金色のユーフォニアムを抱えた緑色のネクタイを締めた小太りの男子生徒が、隣に座る赤いリボンタイで明るめの髪色を前下がりボブにした、銀色のユーフォニアムを抱えた女子生徒にため息をついた。
「蘇我さん、弦バスを目の敵にすんのよしなよ。中学で何があったか知らないけどさ」
「ほんと。あんた、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、ってことわざ、知ってる?」
前下がりボブのユーフォニアムの女子生徒は蘇我と呼ばれた一年生の女子に釘を差すと、千鶴の方を向いて楽器を抱えたまま片手拝みをした。
「ごめんね、江崎さん。この子、弦バス弾く人に当たりが強くて」
「それは、その……どうか、お気遣いなく」
千鶴がユーフォニアムの女子生徒に会釈をすると、蘇我は憮然として、千鶴の方を向かずにぼそりと言い放った。
「私は何も間違ってません。弦楽器のくせに何で吹部にあるんですか」
蘇我という少女は、なかなか千鶴を正視しようとしなかった。ひたすら苦虫を噛み潰したような顔でテューバを抱えたまま、千鶴から顔を逸らしている。
(うわあ、何この子……。なんで初対面の私のことをここまで目の敵にしてるんだろ)
千鶴は助けを求めるように木管パートを見回した。
フルートパートに座る未乃梨は様子を見ていたのか困り笑いをしており、千鶴の右斜め前に座ってアルトサックスを膝に置いている高森も、やはり困ったような顔で右手の人差し指と中指を交差させたサインを作って、千鶴に掲げて見せた。
全体合奏は、以前に千鶴が参加した木管分奏のように、指揮台に座った子安が上機嫌そうに「それじゃ、始めましょうか」と挨拶をして始まった。流石に、席を起立して大きな声で挨拶をする部員はいなかった。
テューバを抱えた蘇我は、仏頂面で座ったまま、子安に小さく礼をしていた。
子安の指揮棒が下りて、「スプリング・グリーン・マーチ」の合奏が始まった。合奏練習が始まってすぐ、千鶴は前に未乃梨や凛々子他の五人で「カノン」や「G線上のアリア」を合わせたときとは真逆の、居心地の悪さを浴びせられていた。
千鶴の右側に陣取るテューバとユーフォニアムの音量は、千鶴のコントラバスとは比べ物にならないほど音量が大きかった。遠くのフルートパートも何人か引いた顔をしていたし、アルトサックスを吹いていた高森も、自分が休止符の時に後ろを振り向いてスポーツ刈りのテューバの男子に何か目配せをしていた。ユーフォニアムの二人も片方ずつ交代で休んで明らかに音量を落としていた。それでも、金管の低音の音量は過剰なままだった。
原因は明白だった。蘇我だけが、明白に合奏全体のバランスを考えずにフォルティシモで吹き続けていた。蘇我は、吹いているテューバをやや左に傾けて、明らかに楽器のベルが千鶴に向くように楽器を構えていた。
(え!? 蘇我さん、何でまたこんなことを!?)
右耳の鼓膜に危険を感じつつ、千鶴はそのまま演奏を続けようとした。
ふと、子安の指揮棒が動きを止めた。全員の演奏が一斉に止まり、音楽室が静寂に包まれた。
全員が静かになるまで二秒ほど待ってから、子安は千鶴のいる辺りを向いた。
「ちょっとすみません。最初から、ユーフォニアムとテューバとコントラバスだけで、お願いします」
ざわつく他の低音楽器のパート員の中で、蘇我はひとり黙ったまま、千鶴を横目で睨んでいた。
(続く)




