♯40
未乃梨とお揃いのリボンを着けて登校する千鶴。
その千鶴に、音楽のこと以外でも接近していく、凛々子は……。
次の日から、千鶴は伸びかけたボブを、未乃梨にもらったリボンで低い位置のショートテイルに結って登校するようになった。
真っ先に千鶴のリボンに気付いたのは、結城志之だった。志之は、休み時間に千鶴と未乃梨の髪をしげしげと見比べながら、感心したように漏らした。
「あれ? 千鶴っち、ボーイッシュ路線やめたの?」
「いやその、せっかくだし伸ばしてみようかな、って」
「にしても、お揃いのリボンとはねえ。みのりんが着けさせたの?」
「そこ! 勝手なあだ名禁止!」
未乃梨は志之に目尻を吊り上げた。志之は全く意に介さずに、肩をすくめた。
「それじゃ、やってることがますます面倒臭いカノジョじゃないか。千鶴っちも、ヘアゴムとかピンとか好きなの着けなよ?」
「ま、まあ。このリボン、着け心地はいいから結構気に入ってるよ。ありがと、未乃梨」
千鶴になだめられて、未乃梨の目尻の角度がようやく元に戻った。
「今度、ヘアゴムとかバレッタとか買いに行こっか? 伸ばしたらシャンプーとかも気を使わなきゃいけないし」
「そうだね。伸ばすの初めてだし、色々教えてね」
「……うん。いいわよ」
千鶴に穏やかに申し出られて、未乃梨は頬を染めかけて、志之の言葉で一瞬のうちに元に戻った。
「なー千鶴っち、髪を伸ばすんなら、いっそのこと仙道先輩に相談したら? あの人、ロングだし色々面倒見てくれそうじゃね?」
「なんで今その名前を出すの! 凛々子さんは色々ややこしくなるからダメ!」
未乃梨は結局、次の授業が始まるまでの数十秒ほどを、目尻を吊り上げたまま過ごした。
リボンを着けた千鶴には、凛々子も目を丸くした。
放課後に、千鶴のコントラバスの練習を見に来た凛々子は、千鶴のリボンで結った髪を見て「まあ」と声を上げた。
「可愛いリボン持ってたのね? 似合うわよ」
「これ、未乃梨にもらったんです。伸ばすんなら結ぶなりした方がいい、って」
未乃梨の名前を聞いて、凛々子は「ふむ」と短く頷いた。
「ヘアアレンジも覚えると楽しいものね。千鶴さん、伸ばしたら綺麗なストレートになりそうね?」
「ちゃんと手入れしないと、ですね」
千鶴は、ふと凛々子の髪に目を止めた。緩くウェーブの掛かった艶めいた長い黒髪には、凛々子と毎回会うたびに目が行った。
「凛々子さんのロングヘア、やっぱり特別なこととかしてるんですか?」
「ドライヤーを当て過ぎないこととか、寝る時は身体の下にならないようにまとめたりとか、色々あるわね。伸びたら、また教えてあげる」
凛々子は、そう言って嫣然と微笑んだ。
練習が終わる少し前に、千鶴のスマホにメッセージが入った。
――ごめん。コンクールメンバーだけ残る用事があるから、先に帰ってて
スマホを仕舞う千鶴に、凛々子が尋ねた。
「今の、未乃梨さん?」
「はい。コンクールに出る部員だけ、残らなきゃいけないみたいで」
ヴァイオリンを片付けながら、凛々子は教室の窓の外に広がる夕空を見上げた。
「……そう。じゃ、校門まで、一緒に帰りましょうか」
「それじゃ、私、楽器を音楽室に返して来ますね」
コントラバスを返却しに行った千鶴を見送ると、凛々子は赤みを増しはじめた空を、もう一度見上げた。
部活が終わる時間は、校舎の中は場所によっては薄暗くなっていた。昇降口へ続く階段に差し掛かると、千鶴は後ろの凛々子を振り返った。
「あ、ここの階段、結構暗いんで気を付けて。凛々子さん、ヴァイオリン持ってますし」
「ありがとう。……ねえ、千鶴さん」
凛々子は、千鶴の顔を見上げた。
「足元も暗がりだし、手を貸して下さる?」
「あ、どうぞ」
差し出された千鶴の大きな右の手に、凛々子は左手を置いた。大きさだけなら男性と間違えそうになるその千鶴の手は、それ以外はすらりと指の伸びた女性らしい手だと、凛々子は改めて気付いた。
千鶴に左手を預けて、凛々子はゆっくりと階段を下りた。見上げると、隣を歩く千鶴の後ろ髪を結ったリボンが目に入る。その元の持ち主の知らないところで、千鶴に手を預けて階段を下りるのは、凛々子には少しばかり胸が高鳴った。見上げる先の凛々子より顔ひとつとちょっと背の高い千鶴は、妙に緊張した面持ちで凛々子の手を取っていた。
千鶴は、未乃梨以外の女の子の手を引いている事実に、少なからず緊張を覚えていた。折れそうに細長い指も、意外に冷たいその手も、しょっちゅう手をつないだり腕を組んだりしている未乃梨とは全く違った。
昇降口を通って、校舎を出てからも、凛々子は千鶴に手を預けたままだった。夕風で凛々子の緩くウェーブの掛かった長い髪が揺らいで、うっすらと甘い香りが千鶴の嗅覚をくすぐる。結局、校門まで凛々子は千鶴に手を取らせたまま歩いた。
「エスコートありがとう。では、また明日ね」
凛々子の左手が千鶴の右手からふわりと離れて、凛々子が小さく会釈して千鶴からバス停に向かって離れていく。
その後ろ姿を見送りながら、千鶴は未乃梨といる時には感じたことのなかった、小さくはっきりとした胸の奥の鼓動を感じていた。
(続く)




