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♯359

「マイスタージンガー」の練習の中で、銀色のテューバを吹く少女が気になる千鶴。

その少女、南野は千鶴と接点が少なからずあるようで……?

「マイスタージンガー」前奏曲の練習で、指揮者の三浦(みうら)は何度もオーケストラに注意をしていることがあった。

「よろしいですかな、皆さん。この曲はとにかく急がんように。特に、今日調子の良さそうな金管の諸君」

 三浦が見回すトランペットやホルン、トロンボーンといったパートの面々は、悪びれもせず、どこか生意気そうな笑みを浮かべている者すらいる。その中に、あの銀色のテューバを抱えた小柄な少女もいた。

 千鶴(ちづる)は、そろそろ座り慣れてきたバス椅子に腰を落ち着けながら、三浦の指示を受ける金管楽器の面々に視線を向ける。

 (あのテューバの子もだけど、みんな私と同じくらいか下手したら中学生ぐらいの子までいるのに……何だか、しっかり演奏出来てて、凄いな)

 テューバの少女は、三浦の指示に頷きながら楽譜に軽く書き込みをしていた。その表情には、ともすると千鶴よりずっと年下なのではないかと思ってしまうあどけなさすら感じる。

 波多野(はたの)が、千鶴に小声で囁いてきた。

「今日の金管、勢いが良すぎるから江崎(えざき)さんも引っ張られないでね。さっきみたいに、多めに弓の幅を使えるぐらいのテンポで感じてくれればいいから」

「……了解です」

 千鶴は波多野に頷くと、もう一度金管楽器の方に目をやった。

 銀色のテューバの少女は、柔らかそうなセミロングの髪を掻き上げると、隣のバストロンボーンの少年と何か相談をしている。その笑顔は、千鶴には見覚えのある明るさがあった。

(あんな感じの笑顔、何だか未乃梨(みのり)みたい)

 思わずテューバの少女に視線を向けてしまう千鶴に、波多野がもう一度囁く。

「テューバの南野(みなみの)さん、凄いでしょ? 流石はブリティッシュ仕込みってとこか」

「ブリティッシュ? 何ですかそれ?」

「イギリス式の金管アンサンブルだよ。吹奏楽とは別に、そういう場で活躍してる人もいるんだよね」

「……色んな凄い人が集まってるんですね」

 千鶴は、目を丸くしてその南野という少女をもう一度見た。千鶴には遥かに小さな体格で、膝に抱えた銀色のテューバを吹きこなしているのがにわかに信じがたい。

 その南野を含む金管楽器の面々が、指揮者の三浦から「……そういう訳だから、今日はその音を維持しながらテンポだけは落ち着いて吹いてほしいのだよ。調子に乗るとこないだの私みたいに本番ですっ転ぶからな」と言われてくすくす笑うのを見て、千鶴はむしろ背筋を正す。

(ここには、凛々子(りりこ)さんや真琴(まこと)さんみたいに小さい頃から音楽を勉強してきた人たちとか、波多野さんとかあの南野さんみたいに学校の外で活動してきた人だっている)

 下はともすると大勢いるヴァイオリンに二人ほど混ざっている小学生ぐらいの年齢から、成人では賛助で弾きに来ているハープの速水(はやみ)や、指導者としてチェロの席に座るかなり年配の吉浦(よしうら)まで、幅広い年齢の人間が、別々の背景を持ってこの場に演奏に来ているのだった。

(オーケストラって、こんな風に色んな人が集まる場所なの? そんな中に私みたいなコントラバスを高校に入ってから始めたばっかりなのが来て、良かったんだろうか)

 竦みかける千鶴の背筋が、三浦のしゃがれ声でびくりと伸びる。

「では、もう一度さっきの練習番号から。その前に、言い忘れておったが、コントラバスの諸君」

 千鶴は今度は反射的に出そうになる声を抑えると、コントラバスの弓を下ろして三浦を見た。

 三浦は、ふむふむと頷きながら波多野や千鶴たちコントラバスの三人に身体を向ける。

「君たち、今日は人数が少なくて大変だが、その調子でみんなを支えるように。あとルーキーの彼女、バス弾きらしく肝が座った音が出ておるからそうビビらんようにな」

「は、はい」

 恥ずかしそうに小声で返事をすると、千鶴は指揮棒を掲げる三浦に合わせてコントラバスを構える。隣の席から、波多野が小声で千鶴に告げた。

「褒められてるよ。凄いじゃん?」

「……そ、そんな」

 面映ゆく思いながら、千鶴はオーケストラ全体を見回した。コンサートミストレスの席にいる凛々子は少し得意そうに口角を上げているし、ヴィオラの席の真琴も低音のパートに満足そうな表情を向けている。あの南野というテューバの少女に至っては、千鶴と目が合うと片目をつむって見せてきた。

(やば、みんなに注目されてる……! その分、頑張らなきゃ)

 そうして、「マイスタージンガー」前奏曲の練習が、堂々たる響きの中で再び始まった。


「マイスタージンガー」前奏曲の練習後に入った休憩で、テューバの南野がコントラバスパートに声をかけにやって来た。南野は、屈託のなさそうな笑顔で千鶴に話しかけてくる。

「江崎さんだっけ、確か紫ヶ丘(ゆかりがおか)高校だよね? 私、一年の南野里穂(りほ)。宜しくね!」

「あ、宜しくお願いします。……そういえば」

 千鶴は、ふと浮かんだ疑問を南野に尋ねる。

「南野さん、吹部じゃないんだ?」

「うん。小学校から学校の外で金管バンドやってて、そこの先生に勧められて星の宮ユースに吹きに来たの」

「私もいつもは吹部なんだけど……そっちには入らなかったの?」

「吹奏楽も興味はあったし、子安先生も前から知ってたから入ろうかと思ってたんだけどね。結局、学校外だけで吹くことにしちゃったの」

「そうなんだ? 子安先生を前から知ってた、っていうのは?」

 不思議そうな顔をする千鶴に、南野は意外なことを告げた。

「子安先生、今はすっごく優しい先生なんだよね? それなら、入ってもいいかな、って最初は思ってたんだけど」

「ええっ?」

 千鶴は、南野の言葉に目を丸くした。


(続く)

 

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