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♯357

練習の休憩時間に、ハープの速水に呼び出される千鶴。そこで速水から受けた指摘は、千鶴に色々な学びをもたらしそうで……?

「……あら?」

 凛々子(りりこ)は、星の宮ユースオーケストラの練習が休憩時間に入ってすぐにコントラバスを抱えた千鶴(ちづる)が第一ヴァイオリンの真後ろへと向かって行くのを見て小首を傾げた。

(ハープの速水(はやみ)先生のところに……ああ、なるほどね)

 凛々子は、先ほどの「アルルの女」の「メヌエット」で、千鶴がコントラバスのピッツィカートを弾き損じたことを思い出して、小さく溜め息をつく。

(初めてオーケストラの練習で、千鶴さんに気負わせちゃったかしら)

 隣の席の少女がヴァイオリンで次に練習する曲をさらっているのを耳に入れながら、凛々子はそれとなくずっと後ろにいる千鶴に横目を向ける。千鶴は、コントラバスを抱えたまま速水にひたすら恐縮しているような様子だ。

 ハープの席のあたりを気にしてしまう凛々子の前に、明るめのストレートの髪をロングにした少女が、すっと現れる。

「お疲れ様。凛々子、気になる?」

真琴(まこと)。あなた、ヴィオラの練習はしなくていいの?」

「ばっちり仕上げてあるから大丈夫。それより」

 真琴は、第一ヴァイオリンの後ろの方をあごでしゃくってみせた。そこでは、速水が千鶴にコントラバスを持って来させて何やら話し込んでいる。

 凛々子は、真琴の示した方を正視すると、「ああ」と納得したような、安心したような表情になった。きらきらとつま弾かれるハープに、コントラバスのピッツィカートの音が重なっているのが、凛々子と千鶴がいる場所まで小さく聴こえてくる。

「あの様子なら、大丈夫でしょう。うちのオケに千鶴さんを誘って良かったわ」

「何だか、ちょっとしたレッスンみたいだねえ。他の楽器の専門家から教わってるなんて、千鶴ちゃんが羨ましいなあ」

 真琴が何かを含ませたような微笑を自分に向けているのを見て、凛々子は素っ気なく顔を横に振る。

「コンクールで何度も賞を取ってるような人に、私が今更何か構ってあげる必要があるかしら?」

「つれないねえ、凛々子ったら」

 懲りた様子もなく、真琴は凛々子に手を振ってからヴィオラパートの自分の席に戻っていった。


 速水は、初めて間近で見るハープや見慣れない他のパートの楽譜に戸惑っている千鶴に、意外に穏やかに接してきた。

 何本かごとに色が違うたくさんの弦や、その弦を留める楽器の上部にあるこれまた数多くのピンのようなものや、ハープの柱や胴体に彫り込まれた装飾に、千鶴は目を泳がせてしまう。

「ええっと……へ音記号の方、ですよね?」

 千鶴は、速水が指差しているハープのパート譜の、見慣れたへ音記号が書かれている場所を何とか目で拾う。

「ええ。ハープの左手のパートを、最初の音だけでいいから弾いて下さいね。では、(アン)(ドゥ)(トロワ)

 ゆっくりとした、聞いたことのない言葉での速水のカウントに戸惑いながら、千鶴は反射的に息を吸った。

 千鶴がはじくコントラバスの弦の音が、速水のカウントにしっかりと合って、大きすぎない音で折り目正しく響く。その千鶴の音に、速水がハープで弾くアルペジオを軽やかに纏わせた。

 今度は、千鶴は先ほどの練習のようにぎこちない所作をしたり、指先をコントラバスの弦に掠って鳴り損ないの音を立てたりということはなくなっていた。

 速水は、ハープを弾く手を止めると、千鶴を安心させるように微笑む。

「素晴らしいわ。今の演奏、どうして上手くいったか分かるかしら?」

「……そういえば、さっきはちゃんと弾けなかったのに? あれ?」

 自分でも不思議に思う千鶴に、思い当たることがあった。

「えっと……弾きはじめる前の、ブレス、でしょうか?」

「正解よ。管楽器や歌だけじゃなく、弦楽器やピアノを弾くときにもブレスは大事なの。それが出来てれば、さっきみたいに慌てて弾こうとして身体強張ってしまうこともなくなるんじゃないかしら?」

 速水の言葉に、千鶴は内心で頷いた。

(さっきの私のミスは、未乃梨(みのり)のことを考えちゃってしてしまったことだけど……でも、発表会でできてたブレスのことを忘れちゃダメだ……!)

 そこまで考えて、千鶴は速水に頭を下げる。

「ご指摘、ありがとうございました」

「いいえ。それより、コントラバスはオーケストラの中で沢山の楽器と関わり合うパートってことも、忘れないでね。それが分かれば、オーケストラの練習がとっても楽しくなるわよ」

 そろそろ、休憩時間の終わりが近づいてきていた。千鶴は改めて速水に一礼すると、コントラバスを抱えて自分の席に戻っていく。

 戻ってきた千鶴を、「お帰り」と波多野(はたの)が出迎えた。

「次、『マイスタージンガー』だよ。準備はいい?」

「はい。凛々子さんに、しっかり見てもらいましたから」

「じゃ、安心だね。そうそう、今度の演奏会、テューバの賛助に紫ヶ丘(ゆかりがおか)の子が吹きに来てるんだけど。知ってる子?」

「え? うちの高校からですか?」

 千鶴は、妙に思って金管楽器の方を見た。トロンボーンの隣に、ユーフォニアムをひと回りかふた回りほど大きくしたような銀色の楽器を抱えた小柄な少女が座っている。

「誰だろ? 吹部の子じゃないし」

 千鶴は、その少女をもう一度見た。屈託のない表情で、ピストンを備えた銀色の大きな楽器を抱えながら他の金管楽器のパートと談笑する姿は、吹奏楽部で以前千鶴に突っかかってきた蘇我(そが)とは似ても似つかない。

 そうこうするうちにオーボエが吹く(アー)の音が大練習室に鳴り響いて、千鶴は慌ててコントラバス調弦し直し始めた。


(続く)



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