♯354
初めてのオーケストラの練習で、早くも何かを見つけた千鶴。
それは、部活の吹奏楽の音と、どこか違って……?
千鶴がオーケストラのあちこちを見回しているうちに、この日の練習に参加するメンバーが揃ったようだった。
紫ヶ丘高校の音楽室よりずっと広いディアナホールの大練習室に半円状に並べられた席が埋まり、千鶴の隣でも床に寝かされたコントラバスを大学生ぐらいの男性が起こして手早く調弦を済ませる。
その男性は、千鶴の顔を見ると「ああ、今日から練習に参加する子だね」と気さくに声を掛けてきた。
「江崎です。その、よろしくお願いします」
「よろしく。それじゃ、波多野さんの隣で弾いてもらいますか。女の子同士の方がいいだろうし」
緊張気味の千鶴を気遣ってか、その男性はそれ以上話しかけてこなかった。波多野が千鶴を隣に呼び寄せて、背もたれのない座面の丸い高い椅子を勧める。
「今日は私と二人で同じ譜面台を見て、バス椅子に座って弾いてみようか。譜めくり、よろしくね」
「あ、はい」
千鶴が波多野の隣で初めてのバス椅子に腰掛けて、コントラバスを身体に立て掛けた辺りでそろそろ練習の開始時刻が迫っていた。
ディアナホールの大練習室に痩せた眼鏡の男性が現れて指揮台に上がると、音出しや調弦をしている星の宮ユースオーケストラのメンバー全員が一斉に静まる。
眼鏡の男性はオーケストラ全体を見回してから、チェロの席に座っている吉浦に一礼した。
「それでは、練習を始める前に。吉浦先生から、新入団員の紹介があるんでしたか」
吉浦はチェロを床に寝かせると、千鶴がいるコントラバスのパートを振り向く。
「はい。それでは、今日からオーケストラで一緒に演奏することになった、紫ヶ丘高校一年でコントラバスの江崎千鶴さん。皆さんにご挨拶をお願いします」
千鶴は、バス椅子から降りるとコントラバスを支えたままオーケストラ全体に向かって頭を下げる。
「江崎千鶴、です。よろしく、お願いします」
ぎこちなく途切れてしまった挨拶に、それでも拍手が海の波が岸に寄せてくるように千鶴に向けられた。千鶴はバス椅子に座りなおすと、改めてオーケストラ全体を見渡した。
(先生たち以外だと、中学生とか私と同じ高校生ぐらい……? みんな、小さい頃から楽器を習ってきた人ばっかりなんだろうな)
緊張が拭えない千鶴の視界に、ヴァイオリンの先頭で指揮台のすぐ側に座っている凛々子と、チェロとヴァイオリンの間の席でヴィオラを手にしている真琴が入ってくる。千鶴は、背筋を何とかしゃんと伸ばした。
(凛々子さんも、真琴さんもいるんだし、びびってもしょうがないよね。……堂々としてなきゃ)
ぎこちなさが抜けきらない千鶴をよそに、吉浦が指揮台の上の痩せた眼鏡の男性を促した。
「三浦先生、それではよろしくお願いします」
「では、早速始めましょう。『アルルの女』第二組曲を最初の『パストラール』から」
三浦というらしいその指揮者が指揮棒を掲げて、何十人といるオーケストラのメンバー全員が楽器を構える。それを見て、千鶴も弓を持ち直すとコントラバスを構えた。
そして、千鶴の初めてのオーケストラでの練習が始まった。
千鶴は、『パストラール』の最初の一音を弾いたときから不思議な感覚に襲われた。
管楽器のグループが組み合わさった和音と、千鶴を含む三人のコントラバスがゆっくりと歩み出ていく。その響きは、ほとんど管楽器しかいないにもかかわらず、部活で何度か参加した合奏の時とは何かが違っていた。
(あれ? 部活の合奏よりうるさく吹いてるわけじゃないのに、どのパートもはっきり聴こえるような?)
千鶴の戸惑いをよそに、チェロから上の弦楽器全体が、穏やかに流れる旋律を弾き始めた。その、コントラバス以外の大勢の弦楽器が一斉に奏でる旋律も、押し付けがましいような大きな音で弾いているわけでもないのに、千鶴にはその場で一緒に歌えてしまえそうなぐらい印象に残っていく。
(やっぱり、部活の合奏と何もかも違う……! 弦楽器以外は部活でしょっちゅう見たことのある楽器ばっかりなのに?)
コントラバスが休みに入った小節で、フルートが弦楽器の群から引き継いだ旋律をのどかに歌い始める。その響きも、千鶴が知るフルートとは何かが違った。
(……あれ? フルートってこんなゆったりした音がするの? ていうか、今のフルートを吹いてるのって、男の子?)
クラリネットとホルンによる素朴な和音に支えられて、フルートでのどかに旋律を歌っているのは千鶴と同じかともすると年下かもしれない、小柄な少年だった。
そのフルートが、今度はクラリネットやファゴットと小鳥がさえずり交わすように細かな音符を刻んでいく。
(未乃梨のフルートとやっぱり何か違うし、他の木管楽器もふんわり優しく聴こえる。吹奏楽とオーケストラで、同じ楽器でもこんなに違うの?)
千鶴はコントラバスが休む小節が続く間、オーケストラの他のパートを目に刻みつけようと他のパートの動向に目を配り始めていた。
(続く)




