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353/363

♯353

凛々子と一緒に、初めてのオーケストラの練習に臨む千鶴。そこでは、未知のことがたくさん起こりそうで……?

 何度も訪れたことのあるディアナホールに、千鶴(ちづる)はやや気後れしながら足を踏み入れた。

 星の宮ユースオーケストラが使う大練習室の入り口で、千鶴はつい足を止める。

「何か、緊張しますね」

 ホールに入るまでずっと、千鶴に左手を預けたままだった凛々子(りりこ)は、大練習室の扉を開けると、そのまま千鶴の右手を取って引いていく。

「千鶴さん、今日からあなたもオーケストラの一員よ。遠慮しないで」

 重そうな扉の向こうからは、様々な楽器を練習する音が雑然と、しかし賑やかな活気を帯びて千鶴と凛々子に向かって流れてくる。

「それじゃ、お願いします」

 部活の吹奏楽部では決して聴くことのない、コントラバスより小さな弦楽器の音が多分に混ざった練習室の中へと、千鶴は凛々子に手を引かれて踏み込んでいった。

 凛々子は、練習が始まる前でメンバーがそろそろ八割ほど集まっている大練習室の中を通って、舞台でいえば上手側にあたるチェロやコントラバスの席へと千鶴を連れて行った。

 チェロパートの先頭では、千鶴もすっかり顔馴染みになった指導者の吉浦(よしうら)と「あさがお園」や発表会で一緒に演奏した智花(ともか)が既に座っている。

 千鶴は緊張した面持ちで、吉浦に頭を下げた。

「今日から、よろしくお願いします」

江崎(えざき)さん、こちらこそよろしく。今日弾いてもらう楽器は波多野(はたの)さんに出してもらってるから、もう準備を始めてね」

「は、はい」

 千鶴は、吉浦にもう一度頭を下げると、コントラバスを調弦している波多野の方へと小走りで向かっていった。

 凛々子はその千鶴の後ろ姿を見送ると、吉浦に一礼する。

「吉浦先生、今日から千鶴さんをよろしくお願いします」

「あの子、オーケストラにはすぐ馴染めそうね。波多野さんとももう顔見知りだし」

 吉浦の隣でチェロの弓に松脂を塗っていた智花も、コントラバスの準備に取り掛かる千鶴を遠目に見ながら口角を上げる。

「ま、千鶴ちゃんなら大丈夫でしょう。発表会でもそうだったし」

「チェロのお二人にそう言って下さると心強いですわ。それではまた」

 凛々子は吉浦と智花にもう一度頭を下げると、自分が座る第一ヴァイオリンの席の先頭に向かおうとした。その凛々子を、呼び止める者があった。

「凛々子、おはよう。千鶴ちゃん、オーディションに通ったんだね?」

真琴(まこと)。あなた、千鶴さんのことを気にしてたのね?」

 凛々子は、わざわざヴィオラを手にしたまま自分を呼び止めた真琴に、いたずらっぽく笑ってみせる。

 真琴は、手にしたヴィオラに目を落とすと「そりゃあそうでしょ?」と凛々子に返す。

「今度の本番でこいつを弾く以上は、低音との絡みも増えるからね」

「まあ。でも、心配は要らないわよ? 今日はいらっしゃらないけれど、本番はコントラバスのトップに本条(ほんじょう)先生が座って下さるんですもの」

 凛々子は、真琴からコントラバスを支えている千鶴と波多野に目をやった。今日はコントラバスのメンバーの集まりが良くない日らしく、二人のほかは誰も手を触れていない巨大な弦楽器が大練習室の床に横倒しに寝かされている。

「ま、今日はお手並み拝見ってとこかな。四月にコントラバスを始めて夏休み明けに発表会でソロを弾いた子って、なかなかいないしね」

 真琴はそう言ってヴィオラの自分の席に戻っていく。凛々子も、第一ヴァイオリンの先頭の席に座ると、チェロの後ろに座を占めるコントラバスに改めて視線を向けた。

 小柄な波多野の隣でコントラバスを支える、高校生の女子としては破格に背が高い千鶴は、早くも周囲の注目を集めつつあるようだった。


 千鶴は、波多野が出してくれていたコントラバスの調弦を済ませると、落ち着かない様子で周りを見回した。

「オーケストラって、何か吹奏楽と色々違いますね」

「そうだね。半分以上は弦楽器だし、管とかも色々見慣れないのがいるかもね。ほら、ヴァイオリンの向こうとか」

 波多野は、千鶴にヴァイオリンが大勢座っているその奥を示す。そこには、千鶴に見覚えのある穏やかそうな女性が、装飾が細かに施された大きな竪琴のような楽器を身体にもたせかけて座っている。

「あれ? あの女の人、オーディションの時にいたような?」

「江崎さん、速水(はやみ)先生がオーディションの時にいたんだ? うちにたまに来てくれるハープの先生だけど」

 不思議そうな顔をする波多野に、千鶴は目を丸くする。

「ハープの先生だったんですか? 私、オーディションであの先生にピアノ伴奏をぶっつけでやってもらったんですけど」

「ああ、そういうことね。速水先生、ピアノも上手いし伴奏も得意だからなあ」

 当たり前のことのようにハープの置いてあるあたりに目をやる波多野から目を離すと、千鶴は管楽器の奏者が集まる舞台の奥にあたる席を見回した。

(……部活で見たことがある楽器ばっかりなのに、何か初めて見るみたい)

 合奏の開始が迫って、引き潮のように治まっていく管楽器と弦楽器の混ざった音が、初めてオーケストラの練習に参加する千鶴の緊張を少しずつ強めていた。


(続く)



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