♯351
夜に未乃梨とメッセージのやり取りをしながら千鶴。その千鶴に、未乃梨は相談したい思い付きがあったようで……!?
翌朝、機嫌がやや斜めの未乃梨が朝の駅で千鶴を待っていた。
「おはよ。よく眠れた?」
「未乃梨、……ごめん。途中で寝落ちしちゃって」
千鶴は昨晩を思い出して、済まなさそうに片手拝みで頭を下げる。毛先が少し肩に届きつつある、長さが未乃梨のセミロングの髪に近づいてきたストレートの黒髪がばさりと揺れた。
未乃梨は、千鶴の顔を見上げて「もう」と呆れたようにむくれ顔をする。
「髪、またノーセットなの? せめて結ぶとかしたらいいのに」
「……ちょっと寝坊しそうになってて、慌てて出てきちゃって。そういえば未乃梨」
千鶴は、昨晩のメッセージのやり取りを思い出す。千鶴の寝しなに、未乃梨からはスマホにこんな文面が続いて送られてきていた。
――瑠衣さん、アレンジも作れてギターもあんなに上手いし、凄いね。私も頑張らなきゃ。ところでさ
――あれ? 千鶴?
――おーい
――寝ちゃった?
「何か私に相談でもあった? 何か、聞きたそうな感じだったけど」
「ああ、あれね。今度の文化祭でさ、――」
未乃梨が口にしたことに、千鶴は驚いて未乃梨の顔を何度か見直した。
紫ヶ丘高校の音楽室で、高森は先に朝練に来ていた一年生二人を見て、「おや?」と眉を上げた。
先に来ていた二人は千鶴と未乃梨で、昨日練習した「マイ・フェイヴァリット・シングス」をコントラバスとフルートだけで合わせながら、何やら相談をしている様子ではあった。
(早速二人で仲良く昨日の復習、ってとこか)
高森は大して気にもせず、練習中の二人に軽く手を上げて肩から提げたケースを音楽室の机に置いて、中からサックスを出そうとした。
未乃梨のフルートが千鶴のコントラバスの最後のピッツィカートに乗って伸びて、「マイ・フェイヴァリット・シングス」がエンディングを締めくくったあとで、未乃梨が妙なことを口走る。
「吹き終わった後でお辞儀とかするじゃん? その時にスカートをつまんで、とかどうかな」
「ちょっと、さっきの話、本気なの? 私が男装喫茶でキャストやるからって、何も未乃梨まで」
「別にいいでしょ? 一緒に演奏するんだしさ」
「そんな、私が執事服だからって」
何やら言い合いを始めた二人に、高森はサックスをケースに置いて二人に割って入る。
「全く、朝から何を痴話喧嘩してるの。」
「あ、高森先輩! 相談したいことがあるんですけど!」
「ええ? いきなり何?」
未乃梨が急に目を輝かせて、高森にずいっと進み出る。
「あのですね、実は! ――」
高森は、鼻息の荒い未乃梨の話に、苦笑しながら困り顔の千鶴と顔を見合わせた。
次に未乃梨の思い付きを聞かされたのは、女子バレー部の流山だった。
流山は音楽室に顔を出すと、高森に声を掛けてきた。
「お疲れさん。そっちの練習は順調?」
「ま、悪くないよ。あの調子さ」
高森が親指で指す先で合わせ練習をする千鶴と未乃梨と織田を見て、流山は「へえ?」と相好を崩す。楽しさに上品さも感じさせる仕上がりになりつつあるジャズワルツが、三人によって繰り広げられていた。
「こいつを聴きながらキャストにお茶を出してもらうのか。いいねえ」
流山は他校から来ている織田を気にする様子もなく、千鶴たちの練習に耳を傾ける。
「そういや江崎さんがキャストと演奏も兼任だけど、他の吹部のメンバーは衣装どうする? 何か必要なら女バレで用意するけど」
「それがねえ。……今練習してる一年生でフルート吹いてる子がちょっと妙なことを思いついてさ」
「妙なこと? 何だよそれ」
「まあ聞いてよ。――」
高森の話に、流山はいっとき表情の動きを止めると、手で口を覆って吹き出すのを押さえる。流山は、面白そうな笑顔で未乃梨に目をやった。
「悪い、そいつは予想外だった」
「流山さん、どうする? そっちに負担掛けるのも何だし、無理ならこっちからもよく言って聞かせておくけど」
困った顔の高森に、流山は笑顔を崩さずに顎に手をやった。千鶴たち三人の練習は、音が止まってちょうど一区切り付くところだ。
「いや、それはそれでアリよりのアリだな。キャストに演劇部員もいるし、そっちに色々頼んでみるかな」
「悪いね。江崎さんたち、ちょっと」
高森は、演奏が止まった千鶴と未乃梨と織田に声を掛けた。
「文化祭当日の衣装だけど、江崎は男装喫茶のキャストのままで、他は希望すれば女バレに用意してもらえそうです」
譜面に何か書いていた未乃梨がフルートを手にしたまま、目を輝かせる。
「本当ですか? じゃあ私も」
織田がギターを抱えながらやや怪訝な顔を未乃梨に向ける。
「未乃梨ちゃん、文化祭で何か着たいの?」
「もちろんです! 千鶴が執事服なら――」
流山は再び吹き出すのをこらえながら、未乃梨と千鶴を順番に見回す。
「江崎さんとそっちの子、確かに並んだら絵になるよねえ。ふーむ、執事がいるならメイドさんがいても良いか」
「あの、未乃梨? 何考えてるの?」
「いいじゃん? 執事さんとメイドがくっついたって」
困り顔の千鶴に迫る未乃梨を遠巻きに見ながら、織田は高森に声をひそめる。
「……玲、今日の未乃梨ちゃん攻めてるね?」
高森も、千鶴のように困り顔になって笑っていた。
「……まあ、文化祭の間は気が済むまでやらせてあげようかな、って」
(続く)




