♯348
高森や織田に、千鶴もコントラバスで加わって始まった文化祭の曲の合わせ練習。
練習が始まる前から浮き立つ未乃梨の一方で……?
放課後になって、未乃梨は暗く落ち込んだ気持ちがやっと上向いた。
千鶴と一緒に音楽室を訪れた未乃梨を出迎えたのは、紫ヶ丘高校の制服ではない半袖のセーラーブラウス姿で肩からギターケースとミニアンプを提げた織田だった。
「おっはよー。千鶴ちゃんに未乃梨ちゃん、今日の合わせよろしくね」
織田の元気のいい挨拶に、未乃梨の表情が明るくなる。「おっはよー」という、午後には似つかわしくない挨拶すら、未乃梨には心地良い。
「瑠衣さん、よろしくお願いします。今日は千鶴の弦バスも入れて合わせるんですよね?」
「そうだよー。千鶴ちゃんのベースパートも書いてきたから、初見でできるとこだけでも、やっちゃおうかね」
千鶴はちょっと不安そうな顔をした。
「私、ついていけるかなあ」
「千鶴ちゃんなら大丈夫でしょ。そんなに速いテンポじゃないしね」
千鶴の顔を見上げる織田の気持ちのいいほど明るい表情に、未乃梨の気持ちは更に上向いていく。千鶴に笑いかけているのが凛々子ではなく織田だということも、未乃梨はどこか安心してしまうのだった。
織田は早速他の部員たちが集まりだしている音楽室に入ると、ギターのチューニングを始める。倉庫からコントラバスを持ち出して用意をする千鶴と織田が何やら話している様子は、いっそ微笑ましい。
(……瑠衣さんなら、千鶴の近くにいても平気かな。凛々子さんだったら、そんなことは思わないのに)
そう考えてしまう未乃梨に、音楽室に高森と一緒にやってきた植村が手を挙げて挨拶をする。
「お疲れ様。小阪さん、なんかご機嫌そうだね?」
「あ、お疲れ様です。別に、そういうわけじゃ」
どこかいそいそとフルートを組み立てる未乃梨に、今度はサックスのケースを音楽室の机に置いた高森が面白そうに笑う。
「今日は待望の江崎さんのベースも入れた合わせだもんね? しかも本番は江崎さんは執事服着るんだっけ」
「あー、江崎さんって女バレのキャストもやるんだもんね。あたしは文化祭はほとんど校舎の外だけど」
音楽室の机にスクールバッグを置いて軽く肩を回す植村に、未乃梨が小首を傾げた。
「あれ? 植村先輩って男装喫茶でピアノ弾いたりしないんですか?」
「ジャズピアノは流石に専門外でね。だから、外で他の金管パートと一緒に吹いて宣伝しようかな、って」
「外で演奏? 宣伝って?」
更に不可解そうな顔をする未乃梨に、高森がサックスにマウスピースを取り付けながら代わりに答える。
「金管の面子は、文化祭は屋外でディキシーランドやりたいって話になってさ。ついでに女バレと吹部が合同でやる男装喫茶の宣伝も、ってね」
倉庫からユーフォニアムを取ってきた植村が、軽く音出しを始める。数音で留めると、植村は高森に軽く手を上げた。
「それじゃ、外で吹いてくるね。おーし、やりますか」
植村と一緒に、音楽室にいた他の金管楽器の部員たちもトランペットやトロンボーンを手にして外に出ていく。その中に、テューバを抱えた蘇我もトロンボーンのパート員に引きずられるように連れていかれるのが見えた。
「んじゃ、そろそろ私らも始めようか」
「オッケー。じゃ、『マイ・フェイヴァリット・シングス』から。千鶴ちゃん、準備はいい?」
高森に促されて、すっかりギターの準備が整った織田がコントラバスを支えている千鶴を見上げる。
千鶴は、譜面台に置いた織田が書いてきた楽譜から顔を上げると、しっかりと頷いた。
「大丈夫です。よろしくお願いします」
その頼もしい表情を嬉しく感じながら、未乃梨も譜面台の「マイ・フェイヴァリット・シングス」の楽譜に目をやった。
「千鶴、カッコよく弾いてよ?」
「……うん、頑張る」
高森が軽く「ワン、ツー、ワン、ツー」と三拍子の一拍目だけを抜き出して数小節カウントしてから、ややゆっくりめのジャズワルツが始まった。
空き教室で、凛々子はヴァイオリンを弾く手を止めると外から聴こえる賑やかな金管楽器に耳を傾けた。
(あら、「聖者が街にやってくる」ね。……吹奏楽部、文化祭でジャズをやるのかしら)
その響きは凛々子のいる空き教室からは見えない場所で演奏しているらしく、くぐもって聴こえるもののどこか楽しげだ。凛々子はヴァイオリンを顎に挟んだまま口角を上げる。
(そういえば、千鶴さんもジャズをやるって言ってたかしら。……あら?)
今度は、金管楽器の集まった響きとは違う方向から微かにクラシックとは違う流れ方の三拍子が聴こえてくる。
要所でわざと軸になるリズムがずれて遊ぶようなリズムが生まれているそのゆっくりとしたワルツは、凛々子の耳を引いた。その上に澄んだフルートの主旋律が浮かんで、その軸にうっすらと低い音でややぎこちないビートが置かれているのが聴こえる。
「……未乃梨さんかしら。ちょっと、羨ましいかもしれないわ」
思わず出てしまった自分の言葉に、凛々子は苦笑した。
(続く)




