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♯336

高森や織田とのセッションで、不慣れなジャズの演奏の糸口を見つける未乃梨。

一方で、千鶴は凛々子の手ほどきで「マイスタージンガー」の音楽を少しずつ読み解いていって……?

 未乃梨(みのり)が呆然と横で見ている中を、高森(たかもり)のサックスは息をするようにフレーズを紡いでいく。それがひと区切り付きそうな辺りで、ギターでバッキングを弾いている織田(おりた)が未乃梨の顔を見た。

「未乃梨ちゃん、テーマに戻るよ」

 織田はワンレングスボブの髪が揺れるぐらいに頭を軽く振って未乃梨と高森に合図を送る。

瑠衣(るい)さんが弾いてるギターの音、多分曲の最初につながる流れのやつ……!)

 未乃梨は、織田が弾くギターの和音が「マイ・フェイヴァリット・シングス」の最初に弾いたものだと辺りを着けて、楽譜に書かれたフレーズをフルートで吹き始めた。

 未乃梨はフルートを吹きながら、織田がギターで弾いているバッキングが何となく見えてきたような気がした。それは、明らかに小節を跨いだ大きな流れで伴奏を作っている。

(三拍子でも「いちにいさん」の一小節三つじゃ細かすぎてフレーズにならない……でも)

 未乃梨は、千鶴(ちづる)と一緒に演奏した「主よ、人の望みの喜びよ」を思い出した。

(あの曲は九拍子だけど、一小節の中で九つも刻んだら吹けなかった。じゃあ、この曲なら)

 織田が弾くギターの音に、未乃梨は耳をすませた。ギターの和音の中で一番低い音が、何かの低音楽器のようにフレーズの力点にだけ鳴っている。

 それは、ほとんど三拍子を二小節ごとに分けた単位の頭の拍と重なっていて、織田のギターは聴きようによってはゆっくりとした二拍子か四拍子を形作っているとも取れる動きをしていた。

(やっぱり。……それが分かれば!)

 未乃梨はほとんど初見の楽譜を視界の端に入れながら、織田の挙動を見つつフルートで「マイ・フェイヴァリット・シングス」を吹いていく。未乃梨の音は、曲の始めに比べれば別人のようにクラシックとは勝手の違う三拍子に絡めるようになっていた。

 高森のサックスが、織田のギターに紛れ込ませる形で小さく短い音を吹いてバッキングの音を混ぜ込んでいく。その高森の音も、よく聞けば二小節か四小節の長めのスパンでフレーズを感じていた。

「マイ・フェイヴァリット・シングス」をなんとか吹き終えると、未乃梨はフルートから唇を離してハンカチで顔の汗を拭った。

「未乃梨ちゃん、今の良かったよ。ところで」

 まるで疲れた様子の見えない織田が、ギターでたった今弾いていたのと同じバッキングのフレーズを弾いてみせる。

「今の、ギターでベースの音も作って一緒に弾いてたの、気付いてくれたかな?」

「……あ!」

 織田がギターで弾くフレーズの中で、小節の頭に現れる音は確かに何か低い音の楽器で演奏しそうな、明確なリズムを持っている。

「……もしかして、その音って千鶴が弦バスで弾く音、ってことですか?」

「正解。(れい)にアレンジを全部やらせるのもなんだし、弾きながら大体のアイデアも出してみたつもりだけど、上手くいきそうだね?」

 ギターを弾きながら未乃梨に説明する織田に、高森が「こいつは楽が出来そうかな」ととぼけ笑いを見せる。

「瑠衣が率先してサウンドを作ってくれるんなら、仕事が減って有り難いや」

「ま、あたしのギターにかかればこんなもんよ。アレンジが完成して千鶴ちゃんのベース入ったら、未乃梨ちゃんはそっちを聴きながら吹いてみるのもいいかもね」

 織田は、高森に自慢げに片目をつむってから未乃梨を振り返る。

(千鶴を聴きながら吹く、か……それってもしかして!?)

 文化祭では、千鶴は男装喫茶の接客の合間に演奏に参加することを思い出して、未乃梨は赤面しそうになる。

(ベストとかスーツ姿の千鶴を見ながらフルートを吹くの……!?)

「あれ? 未乃梨ちゃん?」

「……江崎(えざき)さんのこと想像してショートしてるっぽいね」

 織田と高森が呆れて自分を見ていることに気付くまで、未乃梨は五秒ほどの時間を要した。


 千鶴が凛々子(りりこ)と一緒に「マイスタージンガー」の主人公のテーマの部分を区切れそうなところまで弾き終わると、凛々子がヴァイオリンの弓を止めた。

「ここまでが『マイスタージンガー』の主人公のテーマと、お話の中で出てくる愛のテーマが重なる場所よ。こんな風に、音楽のパートが劇の登場人物みたいに重なって出てくるから、そういうことも少しは知っておいた方がいいかしらね」

「えっと……前にやった『カノン』みたいに、全員が主役、みたいな?」

「そう考えても間違いとは言い切れないわ。同じメロディをずらして重ねるか、別のメロディを重ねるかの違いはあるけれどね」

「あと、愛のテーマって? 『マイスタージンガー』って、そういう話でしたっけ?」

 コントラバスを支えながら小首を傾げる千鶴に、凛々子はヴァイオリンを顎に挟んだまま口角を上げる。

「そうであるとも、ないとも言えるわね。主人公のハンス・ザックスが歌合戦に出る若者の恋愛を助けるって感じだから」

「そういえば……?」

 千鶴は、以前に「マイスタージンガー」について軽くスマホで調べたことを思い出す。

(女の子にプロポーズしようとする若者ヴァルターと、それを助けようとする主人公のザックスと、そこに邪魔をしようとするペックメッサーと……)

 千鶴はコントラバスをその並の男子を超える長身に立てかけたまま、小さく身震いをしてしまった。「マイスタージンガー」の内容が、色々なことが同時に起こっている現実と、どこか似ているように千鶴には思えてならなかった。


(続く)


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