♯333
帰宅してから星の宮ユースオーケストラのオーディションの件を両親に話す千鶴。
一方で、未乃梨は文化祭で千鶴と一緒に演奏できるかもしれない期待でいっぱいで……?
帰宅して制服から着替えると、千鶴はリビングのカーペットに座って新聞を読んでいる父親に声を掛けた。
「父さん、ちょっといい?」
「なんじゃ?」
「相談があるの。これ見て欲しいんだけど」
千鶴は、学校で凛々子から渡された、書類の入ったクリアファイルを父に見せた。
「こないだの発表会に誘ってくれた、仙道凛々子さんっていううちの学校先輩から、オーケストラに誘われてさ。行ってみようと思うんだけど、良いかな」
父親は、千鶴から渡された書類をしげしげと読む。
「星の宮ユースオーケストラ……ふむふむ、お前さんが学校の部活でやっとるみたいな楽団か。楽器はどうするんだ?」
「個人の練習は学校でやって、合奏の練習とか本番はオーケストラで貸し出してくれるってさ」
「ふうむ。で、オーディションを通ったら晴れて団員、と。こいつはパス出来そうなのか?」
首を傾げる父親に、千鶴は「大丈夫」と言い切った。
「誘ってくれたその仙道って先輩も、発表会に来てたオーケストラの吉浦って先生も、発表会みたいに演奏できれば大丈夫、って」
「なるほど。しかし、お前さんがクラシックの楽団にねえ」
千鶴の父は、リビングのカーペットから立ち上がると台所に呼ばわった。
「ちょっと母さん、来てくれんか。千鶴が何とかいう楽団に誘われたんだと」
「まあ。そんなことがあったの?」
千鶴の母がエプロンで手を拭いながらリビングに現れると、千鶴が持ってきたクリアファイルを覗き込む。
「楽団っていうか、オーケストラね。誰かに誘われたの?」
「この前の発表会に誘ってくれた、仙道さんっていうヴァイオリンやってる先輩だよ」
千鶴の出した名前に、母親は「あら」と相好を崩す。
「確か、発表会で最後にソロを弾いてた子じゃない? 確かその子、合奏でもヴァイオリンの先頭で弾いてなかったかしら」
母親の言葉に、千鶴の父は「おお?」と目を丸くする。
「千鶴がそんな凄い子から楽団に誘われたんか?」
目をしばたたかせる父親に、母親は「もう、全然覚えてないんだから」と呆れた。
「それじゃ千鶴、このオーディションっていうの、頑張らなきゃね?」
「……それじゃ、オーケストラに入っていいの?」
恐る恐る尋ねる千鶴を、母親は励ました。
「何言ってるの。なかなかない機会だもの、行ってらっしゃいな。そういうのも、立派な勉強よ。父さんも良いわよね?」
「あ、うむ」
母親の鶴の一声に、父親はたじたじと頷いて引っ込む。母は、千鶴に明るい声で続けた。
「受かったら、演奏会とか聴きに行くわ。にしても、千鶴が音楽の習い事だなんて、お兄ちゃんが聞いたらびっくりしそうね?」
「……そりゃ、小さい頃は達にぃと一緒にしょっちゅう外で泥だらけになって遊んでたけど」
「お陰で、男の子みたいな服ばっかり家に増えたものねえ。あんたが中学に上がってセーラー服を初めて着たとき、どれだけ安心したやら」
母親の思い出話に、千鶴は父や兄の背丈をとっくに追い越した長身を、恥ずかしそうに縮こまらせた。
寝る前にベッドに横になってスマホを眺めていた未乃梨の目に、メッセージの着信を告げるアイコンが目に入った。
(あ、瑠衣さんだ)
その、織田から届いたメッセージには、動画サイトのアドレスが貼られている。
――未乃梨ちゃん、夜遅くにごめん。明日、今度の文化祭の練習で紫ヶ丘に顔を出そうと思ってるんだけど、明日って部活来るかな? この曲、やってみようかと思うんだけど
未乃梨はそのアドレスを開いた。女子バレー部の流山と顔合わせをした時に織田のギターと高森のアルトサックスで即席で合わせた、「マイ・フェイヴァリット・シングス」の、誰が演奏しているとも知れない録音につながる。
音量を絞ったスマホのスピーカーでその「マイ・フェイヴァリット・シングス」を聴きながら、未乃梨は織田に返事をした。
――明日は部活に出席します。この曲、私も参加して良いんですか?
――もちろん。何なら、千鶴ちゃんのベースも入れたアレンジを玲に頼もうかなって思ってる
画面に出た千鶴の名前に、未乃梨はベッドの上でふっと微笑む。織田が千鶴の演奏も計算に入れてくれているのが、未乃梨には自分のことのように嬉しい。
――お願いします。私も千鶴の弦バスと一緒に吹きたいので!
――可能なら、明日千鶴ちゃんも一緒にセッションに入ってもらえると嬉しいかも
――わかりました。千鶴に伝えておきますね
――よろしく。あと、この曲なんてどう?
織田から、もう一つ動画サイトのアドレスが送られてきた。そのタイトルに、未乃梨は目を惹かれる。
「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム……いつか王子様が、って曲?」
その曲のアドレスを開くと、音量を絞ったスマホのスピーカーからジャズに特有の小気味よい三拍子が流れ出す。未乃梨はベッドから起き上がると、机の上にあるイヤホンをスマホに繋いだ。
簡素で軽快なピアノとドラムとベースの上を、ミュートを着けたトランペットが夢見るように歌う。
未乃梨は、その旋律に耳を奪われそうになって、慌ててメッセージの返信をした。
――この曲、やりたいです! 千鶴と一緒に吹きたい!
――オッケー。千鶴ちゃん、未乃梨ちゃんの王子様だもんね? じゃ、こいつも候補に挙げとくよ
――お願いします!
未乃梨は返信を終えると、もう一度「サムデイ・マイ・プリンス・ウィル・カム」を聴いてみた。どこかで聴き覚えのある、夢見るような旋律がジャズの装いで未乃梨の耳にするりと入ってくる。
(千鶴が、私を迎えに来てくれる王子様、だったら……)
そんな空想を楽しみながら、未乃梨は少しだけ夜更かしをした。
(続く)




