♯332
文化祭が楽しみになってきた未乃梨と、学校外での活動に千鶴と一緒に演奏する機会ができそうな凛々子。
千鶴を挟んだ二人の少女は、それぞれのことを思って。
その日の部活を終えて、千鶴は|コントラバスを抱えて凛々子と一緒に音楽室に向かった。
「じゃ、楽器を返してきますね」
「ええ、行ってらっしゃい」
千鶴が凛々子を戸口に待たせて入った音楽室では、高森がサックスを手にトロンボーンやトランペットのパート員と何やら文化祭の打ち合わせらしいことをしている。その中に、フルートを手にした未乃梨もいた。
どうやら文化祭の打ち合わせはちょうど終わるところらしく、高森が音楽室の時計を見上げる。
「おっし、もう部活も終わりの時間だし、今日はここまで。みんな、お疲れ様」
コントラバスを音楽室の奥の倉庫に仕舞ってきた千鶴を、フルートを片付けている未乃梨が見つける。
「千鶴、今から帰りでしょ? ちょっと待ってて」
「うん。廊下にいるからね」
「すぐ行くから」
音楽室の戸口を一瞬見た未乃梨が、少し複雑そうな顔をしたように、千鶴には思えた。それでも、未乃梨はいつも通りの様子で、他の部員や高森と軽く談笑しながら片付けを勧めている。
音楽室から紫ヶ丘高校の最寄りの駅まで、千鶴は凛々子や未乃梨と一緒に歩いた。三人の話題は主に文化祭のことで持ちきりになった。
未乃梨が、歩きながら伸びをする。
「んーっ、疲れたっ」
「高森さんが中心ということは、ジャズとかポップスかしら? 楽しそうね」
沈むのが早まり出している夕陽に照らされながら、凛々子が未乃梨を振り返る。
「リズムの取り方とか結構難しいですけど、面白いですよ。私のやる曲、千鶴の弦バスを入れたアレンジを作るって高森先輩が言ってましたし」
未乃梨は得意気に胸を張った。千鶴が、夕風に吹かれたそろそろ肩に届きそうな髪を手で押さえる。
「ジャズかあ。ずっとピッツィカートだし、指にマメとかできそう」
「高森先輩のアレンジ、近いうちに出来上がるって。千鶴、手のケアもちゃんやってよ? カフェの接客もあるんだから」
そう言って、未乃梨は千鶴の顔を見上げて笑う。リボンで結った未乃梨のハーフアップの髪が、夕陽に当てられて明るくきらめいた。
「千鶴さん、大忙しね。文化祭は接客も演奏もだなんて」
凛々子も、緩くウェーブのかかった長い髪を風に遊ばせて微笑んだ。
凛々子と駅前で別れてからも、未乃梨は駅のホームや電車の中で千鶴と喋った。
未乃梨が、千鶴の髪に目を向ける。
「そういえば、千鶴って結構髪伸びたよね? 文化祭はこのままでいくの?」
「せっかくだし、このまま伸ばそうかな、って思って。発表会でも、長いの似合うって父さんと母さんも言ってたし」
「それじゃ、メンズコーデに合わせて髪型も考えなきゃだね?」
未乃梨は文化祭が楽しみになってきたらしく、少しはしゃいでいるようだった。
「……私、接客とかできるかなあ?」
「ここまで来たら、もうやるしかないんじゃない? 衣装合わせとか今週でしょ?」
「そういうのもあるんだったなあ……。うーん。にしても、未乃梨、何か乗り気じゃない? 女バレと男装喫茶なんて、って感じだったのに?」
「そりゃそうでしょ。女バレの人たち、いかがわしいお店みたいなことはしない、ってはっきり言ってたもん」
未乃梨は、文化祭のことを話すときの表情がすっかり明るくなっている。
「千鶴も接客で変なことをさせられたりしなさそうだし、私も千鶴と一緒に演奏できそうだし、文化祭が楽しみになってきちゃったかな」
電車はそろそろ千鶴と未乃梨の家の最寄り駅に近付いている。未乃梨は、千鶴の左腕に自分の手を絡ませてきた。
「ねえ、千鶴。途中まで一緒に帰ろ?」
「……もう。エスコートしてほしいの?」
困り笑いをする千鶴に、未乃梨は無邪気に笑って見せた。
帰宅して自室でヴァイオリンのケースを机に置くと、凛々子は制服のままベッドに腰を下ろして本棚に収まっている楽譜を見上げた。
「……千鶴さん、これから忙しくなるわね。レッスンとオケの両方をやってる私みたいに」
凛々子の視線の先には、本棚に収まったいくつかのオーケストラの総譜がある。そのいくつかは、そう遠くない時期に凛々子が千鶴と一緒に演奏するかもしれないものになるだろう。
(未乃梨さんは文化祭で、私は学校の外で。……これからずっと、千鶴さんと一緒に演奏していくことになるのは、未乃梨さんと私のどちらかしら)
凛々子は、文化祭のことを楽しそうに話す未乃梨のことが思い出されてならない。その可愛らしい笑顔に、凛々子は微かに嫉妬すらしそうになってしまう。
(……でも、千鶴さんと一緒に演奏できるかもしれないって思ったら、あんな風にはしゃいでしまいたくもなるわね。……だって、千鶴さんだもの)
凛々子はスマホの画像ファイルを開いた。中には、先日の発表会で撮った演奏中の画像や、ロビーで集まったときの記念撮影が入っている。
未乃梨のピアノ伴奏でコントラバスを弾く千鶴や、弦楽合奏で波多野や智花や吉浦と低音セクションとして演奏に参加する千鶴や、記念撮影で自分と未乃梨に挟まれる形で写っている千鶴を、凛々子は何度も見返す。
(ステージでスカートを穿いて演奏する千鶴さんも素敵だったけれど、カフェでメンズコーデの千鶴さんもきっと素敵よね。……やっぱり、未乃梨さんが羨ましくなってきてしまうわ)
そう苦笑して、凛々子はスマホの画像フォルダを閉じた。
(続く)




