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♯329

朝のバレー部との一件で気が重い千鶴は、昼休みに凛々子から文化祭の男装喫茶のことで意外な話を聞かされる。その話に、未乃梨は……?

「……はぁぁ」

 千鶴(ちづる)は、昼休みに暗澹たる気分でため息をつきながら、購買の自販機に並んでいた。

「あの女バレの先輩たち、ほんっと失礼よね。いきなり千鶴に男装喫茶のキャストをやれ、なんてさ」

 後ろに並んでいる未乃梨(みのり)が憤慨してくれたことは、千鶴には救いだった。彼女と高森(たかもり)が朝の音楽室にいなかったら、と思うと、千鶴は並の男子より高い自分の身長が縮みそうな思いすらしそうになってしまう。

 二人は冷えたペットボトルを手に、自販機の前の列から離れる。

「……ただ、高森先輩が気になることを言ってたんだよね」

「そういえば。……話だけなら聞くだけ聞く、みたいな」

「あら。お二人とも、ご機嫌よう」

 げっそりとしかける千鶴に、耳に馴染んだアルトの声が届いてくる。しょげて俯く千鶴の視界にも、緩くウェーブのかかった長い黒髪が入ってきた。その手には、購買で買ったらしい三角形のサンドイッチの包みがある。

 未乃梨はひそめていた眉をやや吊り上げて、語気を少し尖らせたソプラノでその声に返事をした。

凛々子(りりこ)さん。……こんにちは」

「未乃梨さん、今日も千鶴さんと一緒なのね? 随分怖い顔をなさっているようだけれど、何かあったの?」

 千鶴と未乃梨の表情に目を留めると、凛々子は穏やかに二人に尋ねる。

「凛々子さん。……実は、こういうことがあって」

 千鶴がほっとしたような顔で、まだ眼尻が吊り上がっている未乃梨に見られながら、凛々子に朝の音楽室での一件を話した。

「……って言う訳で、女バレから文化祭の男装喫茶に誘われちゃって」

「それで、先方のお話を今日の部活で聞くと。千鶴さん、他所の部活の女子にももてるのねえ?」

 凛々子は、その女子バレー部との一件を重く感じてはいない様子で千鶴の顔を見上げる。

「でも、楽しそうじゃない? 文化祭、って感じで」

「ちょっと凛々子さん、千鶴が変なことに巻き込まれてもいいんですか!?」

 突っかかる未乃梨を、凛々子はまるで風にそよぐ柳の枝のようにかわす。

「お話を聞く限り、よほど変な話なら高森さんが止めそうだし、千鶴さんが無理強いされることもなさそうではないかしら?」

「……だと、良いんですけどね」

 肩を落とす千鶴に、凛々子は柔らかに微笑む。

「その上で、だけれど。私としては、男装した千鶴さんにお給仕をしてもらってお茶を飲んでみたい気もするわね。未乃梨さんはどうかしら?」

「それは、その……っ……?」

 凛々子から微笑む顔を向けられて、未乃梨は落ち着きが消えたように目を泳がせた。その未乃梨に、凛々子は更に問いかける。

「去年もバレー部は男装喫茶をやっていたけれど、キャストさんたちの所作もお茶のクォリティもなかなかのものだったし、顧問の先生がしっかり監督してることもあって変な接客をさせられる感じではないのよね。流石はバレー部の伝統ってところかしら」

「……そ、そんなに?」

 凛々子の話に、未乃梨はたじろいで千鶴の顔を見上げる。千鶴も、やや怪訝な顔で凛々子の話を聞いていた。

 二人を前に、凛々子は続けた。

「男装してお給仕をするなら、昼の時間だしイギリスの執事さんみたいに後ろの長いモーニングコートか、カジュアルに行くならベストに長袖のちょっとかっちりしたシャツかしらね。千鶴さん、背も男の子より高くてスタイルも良いし、きっと素敵かも、ね?」

「それは、その……」

 未乃梨の目付きから鋭さと険しさが消えて、ソプラノの声の張りが和らいでいく。その未乃梨の顔に、千鶴は慌てた。

「あの、未乃梨? 何考えてるの?」

 腰が引けた未乃梨の肩に手を置く千鶴に、凛々子は更に付け足していく。

「あと。パンツスタイルなら、千鶴さんも抵抗がないのではなくて? 意外と気に入るかもしれないわよ?」

 凛々子の微笑みが、子猫を思わせるいたずらっぽさを帯びた。その表情が、未乃梨を支える千鶴を捉えて離さない。

「……もう。凛々子さんまでそう言わなくても」

「詳しいことは放課後に決まるんでしょう? それからよく考えれば良いのだし、心配はいらなさそうね? それじゃ、また」

 千鶴と未乃梨に会釈をすると、凛々子は悠然と去っていった。手の中のぬるくなりかけたペットボトルに気付いて、千鶴は未乃梨の肩をつつく。

「そろそろ、戻ろうか」

「いっけない。お昼の時間、なくなっちゃう。もう、凛々子さんが長話なんかするから」

 そう言う未乃梨の顔には、刺々しいものがすっかり抜けていた。



 その日の放課後、千鶴は音楽室に行く前に、自分のスマホの画面にメッセージの着信があったことに気付いた。

(あれ? 凛々子さんからだ)

 千鶴はアプリを開くと、中身を確認する。それは、意外なものだった。


 ――千鶴さん、この前の発表会はお疲れ様。今後のことだけれど、吉浦(よしうら)先生と本条(ほんじょう)先生はお二人とも千鶴さんに是非星の宮ユースに来てほしい、っておっしゃってたわ。オーディションは受けなきゃいけないけど、その辺りのこともまた相談しましょう。それじゃ、文化祭、楽しみにしてるわね


(私が、凛々子さんと同じオーケストラに……吉浦先生と本条先生も、そう言ってたんだ?)

 千鶴は、朝の女子バレー部との一件で砕け気味の腰をしっかりと直して、教室を出た。後から追ってくる未乃梨が、腕にすがってくる。

「千鶴、一緒に行こ!」

「うん。……今日は、楽器を弾けなさそうだね」

 やや困り顔になりつつ、千鶴は未乃梨と音楽室へと向かっていった。


(続く)

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