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♯327

成功のうちに終わった発表会を、名残り惜しく感じる千鶴。

そんな彼女に、発表会の余韻を吹き消してしまいそうな出来事が……?

 発表会のプログラムの最後に置かれたチャイコフスキーの「セレナード」の「ワルツ」は、貴婦人のドレスの裾を思わせる第一ヴァイオリンがしなやかに昇るフレーズのあと、静かにステップを留めるように密やかに弦をはじく全パートのピッツィカートで幕を閉じた。

 客席から巻き起こる拍手に、千鶴(ちづる)はふうっと息をついた。

(初めての発表会で、初めてのピアノ伴奏のソロと弦楽器だけの合奏……何だか、終わっちゃうのがもったいないなあ)

 舞台の上の演奏者が客席に向かって各々の楽器を手に起立する中で、じわりと千鶴の身体に心地良い疲労が染み込んでくる。

 客席の拍手が止んで演奏者が舞台袖にはける前に、隣でコントラバスを弾いていた波多野(はたの)がにっこりと笑って千鶴に右手を差し出してきた。

江崎(えざき)さん、お疲れ様! 一緒に弾けて楽しかったよ」

「ありがとうございます」

 握手に応じる千鶴に、波多野は笑顔のままコントラバスを抱える。

「このあとロビーで記念撮影だってさ。袖で楽器を片付けたら、行こうか」

「はい!」

 千鶴もコントラバスを持ち上げると、軽やかな気持ち波多野に続いた。


 ロビーでの記念撮影で、千鶴は右の腕と、左肩を覆う程度のブラウスのフレンチスリーブを同時に引っ張られた。

「千鶴、お疲れ様!」

「初めて尽くしの発表会、お疲れ様」

 右腕に取りつく未乃梨(みのり)と、ブラウスのスリーブを離して左手を握ってくる凛々子(りりこ)に、千鶴は慌てる。

「あ、あの、二人とも?」

「もう! 凛々子さん、油断も隙もないんだから」

「あら、発表会に備えて千鶴さんの練習を見てあげたのは私よ?」

 未乃梨が千鶴の腕を取ったまま目尻を釣り上げた。凛々子はそれをものともせず、千鶴の左手を取ったまましなだれかかってみせる。

 三人の様子に、波多野が呆れたようにため息をついた。

「江崎さん、女の子に随分モテるんだねえ?」

「うちのコンミスと同級生を侍らせるなんて、欲張りなことで」

 智花(ともか)も、困惑する千鶴を明らかに面白がっている。

 その様子を遠巻きに見ていた真琴(まこと)に至っては、わざと千鶴に冷たく見える表情を作っていた。

「へえ? 千鶴ちゃん、女の子を二人もキープしておいて、夏休みに私にプールで声掛けてきたんだ?」

「ちょっと真琴さん? それは違いますからね!? 未乃梨も怖い顔をしないで、凛々子さんも面白がってないで何か言ってください!」

 左右から引っ張られる千鶴を他所に、ロビーに集まった発表会の出演者たちを指導者の吉浦(よしうら)が促す。

「はい、皆さん静粛に。もうすぐカメラマンがいらっしゃいますから、小学生の子は前に、中高生以上は後ろに並んで下さい」

「だってさ。千鶴、行きましょ」

「それじゃ、私も一緒ね」

「……あの、未乃梨も凛々子さんを睨まないでね? 凛々子さんも、あんまり未乃梨を煽らないでくださいね?」

 冷汗をかく千鶴からやっと手を離した凛々子を挟んだ、そのまた左隣に並んだ波多野が肩をすくめた。

「やれやれ。とんだ両手に花だね?」

 記念撮影の写真は、右腕を未乃梨に思いっきり引っ張られて顔を引きつらせた千鶴が写ってしまうことになった。


 その次の週、登校中の千鶴は、家の最寄り駅で上機嫌な未乃梨と待ち合わせた。

「千鶴、おっはよー! 吉浦先生から、発表会の画像届いた?」

 未乃梨の様子に、千鶴は困ったように笑う。

「あ、うん。届いたよ」

 二人はやっと涼しくなり始めた朝の風が通る駅のホームへと上がる。その間中、未乃梨は発表会のことをひっきりなしに話した。

「うちのお父さんがね、千鶴の演奏、凄く良かったって。それで今度うちに連れて来いってうるさくてさ」

「あはは。そんなに私のこと、気にかけてたんだ?」

「中学の時なんか、千鶴のことを男の子と間違えたくせにねえ? しかも凛々子さんもしっかりチェックしてて『あんな美人をお前も目指しなさい』とかムカつくこと言ってて。嫌になっちゃう」

 困り笑いのまま、千鶴は自分を見上げてくる未乃梨の笑顔を見た。凛々子のことも話すその表情には、屈折したものはなさそうだった。

(良かった。……未乃梨、凛々子さんのことを嫌ってなくて)

 足取りの軽い未乃梨に続いて、千鶴はホームに着いた学校に向かう電車に乗り込んだ。


 音楽室に着いた千鶴と未乃梨が朝練を始めようとそれぞれの楽器のケースを開けようとした時、不意に音楽室のドアが大きな音を立てて開かれた。

(誰だろ? ……えええ!?)

「吹部の朝練中に失礼。邪魔するよ」

 千鶴も、未乃梨も、音楽室を訪れた来訪者に目を丸くした。

 音楽室の戸口を塞ぐように立っているその来訪者は三人いた。

 いずれもベリーショートやボブの短い髪の女子生徒で、背丈は千鶴ほどではないものの女子としては高い方だろう。スカートから覗く両脚は三人ともすらりと引き締まりつつも筋肉質なラインで、襟元の赤いリボンタイは凛々子と同じ二年生であることを示している。

 千鶴は、いきなり現れた上級生を怪訝に思いつつ、会釈をした。

「……おはようございます。先輩たち、吹部に何か御用ですか?」

「ああ、挨拶はいいよ。吹部の一年で江崎っていうのは君かな?」

 三人のうち、真ん中のベリーショートの少女が音楽室の中に入って、千鶴に正面から近付いてきた。

「江崎は私ですが……何か?」

「ふむ、結城(ゆうき)から聞いた通りの上玉だね」

 ベリーショートの上級生の口から出た名前に、未乃梨は眉をしかめる。

「結城さんって、確かうちのクラスでバレー部の……先輩たち、部外者ですよね?」

 千鶴の前に出た未乃梨に、ベリーショートの少女の隣の日焼けしたボブの少女が手を振る。

「ああ、怖がらなくていいよ。用があるのはそっちの江崎さんだけだから」

 もう一人の、ボブの髪をショートテイルに引っ詰めた上級生が、千鶴の肩に手を回してきた。

「江崎さんだっけ、ちょっと放課後に顔を貸してくんない? 悪いようにはしないから、さ?」

「……未乃梨、どうしよう」

「……どうしようって、私に聞かれても」

 上級生に肩に手を置かれながら、千鶴は未乃梨をこわごわと顔を見合わせた。


(続く)


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