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♯325

演奏の中で気付きを得ていく千鶴。そして、千鶴の音に改めて光るものを見出す指導者の吉浦。一方で、客席で聴いている未乃梨は……。

 ヴィヴァルディの「調和の霊感」第八番の第二楽章に入っても、千鶴(ちづる)は危なげなくコントラバスを弾いた。

 最初のゆっくりと歩みを進めて降りていく全合奏での主題を弾ききってから、千鶴は弓を下ろしてコントラバスを左手と左腰で支えて立ったまま、ソロヴァイオリンの樋口(ひぐち)内村(うちむら)がなだらかに紡ぐ二人の音を身動きもせずに耳で追う。

(最初と最後は私たち低音は休み……練習の時はつい欠伸なんかしそうになったけど、本番でお客さんの前でそんなみっともないことはできないし、それに)

 千鶴は、ソロの樋口と内村や、ヴァイオリンの先頭で極力音を弱めたピアニッシモで主題とよく似たゆっくり歩みを進める主題を弾く凛々子(りりこ)に、千鶴は視線を向ける。

(樋口さんに内村君だっけ。まだ中学生なのにこんなに立派にソロを弾けるんだから、凄いよ。凛々子さんとか真琴(まこと)さんも、昔はこんな感じだったのかな)

 静かに進む二人のヴァイオリンソロは、以前の合奏練習よりずっと研ぎ澄まされていた。それを聴きながら、千鶴は今舞台の上にいない同級生のことを思い返す。

未乃梨(みのり)も、夏にこのセシリアホールで、コンクールの曲でフルートのソロを吹いてたんだよね。……私の周り、本当に凄い人たちばっかりなのかもしれない)

 樋口と内村が歌い交わすソロが終わる頃に、千鶴は弓を構え直した。それは、隣でコントラバスを手に立っている波多野(はたの)や、前に座っているチェロの智花(ともか)吉浦(よしうら)とも同じタイミングだった。吉浦と千鶴たちコントラバスパートに挟まれた場所で縮こまってチェロを抱えている名前も知らない少年も、慌てて弓を持ち直す。

 千鶴は、もう一度ヴァイオリンの先頭の席に座っている凛々子を見た。第二楽章の最後に置かれた、最初と同じ全合奏の主題に備えて、凛々子の唇が微かに開く。考える前に、千鶴も全く同じように唇を小さく開いて息を吸った。

(今、周りにいる人たちに追いつくのはまだ無理でも。今日は私ができる限りのことをコントラバスでやろう)

 最初に全合奏で示された、ゆっくりと歩みながら降りていく主題がもう一度ヴァイオリンからコントラバスまでを含む全員の音で再現される。それは、全く乱れずに第二楽章を締めくくった。


 吉浦はヴィヴァルディが第三楽章に入る前に、後ろから聴こえてくるコントラバスの音に、振り返ることもせず小さく頷いた。

(二人で弾いているコントラバスにずれがない……江崎(えざき)さん、よそ見をして慌てたり、練習の時のように欠伸をしたりしてはいないようね)

 強い音を弾く時にノイズが混ざったり、長い音でヴィブラートを掛けられなかったりと、吉浦から見れば千鶴のコントラバスはまだまだ未完成な部分は多いと言わざるを得ない。

(まだまだ未熟でも、江崎さんの出す音はもう一端のバス弾きさんといったところかしら)

 それなりに多い人数のこの場の合奏を波多野と一緒に支えられるだけの音を、千鶴はコントラバスでしっかり鳴らせている。それだけでも、吉浦にとって千鶴は評価できた。

(江崎さんを最初に教えた仙道(せんどう)さんも、良い指導ができたようね。……これで本条(ほんじょう)先生にみっちり仕込まれたら、どう仕上がるかしら)

 ソロを担当する樋口と内村が凛々子と何か目配せをして、凛々子がヴァイオリンの弓を構える。吉浦がチェロの弓を構える後ろで、ヴィヴァルディの最後の楽章に入ろうと準備する気配が感じられた。


 僅かな間を置いて、ヴィヴァルディの「調和の霊感」第八番の最終楽章が始まった。

 第一ヴァイオリンから第二ヴァイオリン、そしてヴィオラへと雪崩込むように降りていくイ短調の音階をチェロとコントラバスが受けて区切りの和音へと導いていく。上のパートから降りてくる音階を引き継いだ波多野と千鶴が弾くコントラバスは、乱れずに力強い響きを生んだ。

 その様子は、客席で聴いている未乃梨には信じ難かった。

(千鶴、弦バスでもうあんなことができるの……? 今の、隣で一緒に弾いてる波多野さんとか、前に座ってるチェロの智花さんにも負けてない……!)

 休符の多かった第二楽章とは打って変わって、ヴィヴァルディの最終楽章ではコントラバスの出番は多いようだった。それが単純な小節の頭に入るリズム打ちであっても、千鶴の弾くコントラバスの力強さはしっかりと伝わってくる。

(この音……連合演奏会とか、「あさがお園」で一緒に演奏した千鶴の音だ。私が、夏のコンクールで一緒に吹きたかった、千鶴の弦バスの音だ……!)

 先ほどまで、千鶴が凛々子に影響を受けていることに打ちひしがれていた未乃梨の胸の奥が、千鶴の音を聴いて明るく立ち直っていく。

(私、千鶴に言ったはずじゃない。凛々子さんに沢山教わって、弦バスを上手くなって来年のコンクールで一緒に演奏しようね、って。そうよ、この千鶴の音を、凛々子さんだけに独り占めなんてさせないんだから……!)

 ヴィヴァルディは緊迫感をはらんだソロと、力強く動き回る全合奏が交代して現れては盛り上がっていく。弦楽器だけの合奏のフォルティッシモに力強い響きを与えている千鶴の音に、未乃梨は伏し賀ちだった目をもう一度見開いていった。


(続く)

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