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♯321

凛々子が弾くブラームスの協奏曲に圧倒される千鶴と未乃梨。二人の中で互いと凛々子を含めた関係に、何か変化がやってきそうで……?

 凛々子(りりこ)が弾くピアノで伴奏されたブラームスのヴァイオリン協奏曲の第三楽章は、ひたすらに力強く進んでいく。

 和音の厚いピアノ伴奏に押されるどころかむしろ堂々と乗りこなす凛々子のヴァイオリンに、千鶴(ちづる)は先ほどから舞台袖から聴いていてずっと惹き込まれてしまっていた。

(あの、いつも放課後で私のコントラバスの練習を見てくれてる凛々子さんが、こんな演奏をできる人だったなんて)

 舞台で黒い飾り気のないワンピースに身を包んでヴァイオリンを弾いている凛々子は、千鶴のよく知るいつもの制服姿の凛々子とは何かが違うような気さえした。

 凛々子の緩くウェーブの掛かった背中に流れる長い黒髪は、よく見ると髪に紛れた小さな黒いリボンの付いたカチューシャで演奏の邪魔にならないように最低限まとめられていた。丈の長い黒いワンピースの裾から見える脚も黒いストッキングで肌を隠して、かかとの高くない爪先がやや尖り気味の黒いローファーで固めている。

 そんなほとんど無彩色に近い凛々子の装いが、千鶴にはこの上なく華やかで、太陽の光の下で咲き誇るたくさんの花でも見ているような生き生きとした力強さすら感じてしまう。

(この人が、……凛々子さんが、ずっと私のコントラバスの練習を見てくれて、私の目の前で演奏もしてくれて……)

 凛々子のブラームスの協奏曲は、ピアノに主題を受け渡してから、瑞々しく転がるようなパッセージをいくつも重ねて、もう一度最初の力強い主題に戻っていく。

 その凛々子の姿が、ブラームスの協奏曲を聴いている千鶴の中に、いつの間にかしっかりと居場所を定めていた。

(……そして、未乃梨(みのり)とのことを知った上で私に「好きだ」って言ってくれて……あれ?)

 千鶴は先程からずっと自分の腕に手を添えている未乃梨を横目で見ようとして、視線を凛々子から逸らすことすらできなかった。ピアノ伴奏者が主題を受け持っている時に、凛々子がいっときだけヴァイオリンを顎に挟んだまま弓を下ろしているその姿すら、千鶴は目を離せなくなっている。

(隣に未乃梨がいるのに……そんな!?)

 凛々子がピアノが休止する中で、複数のヴァイオリンの弦を鳴らす伴奏のないソロに入っていく。その静まった一瞬、千鶴は舞台袖にいる自分を凛々子が見ているような気がした。

(……でも、凛々子さん、私が未乃梨と手を繋いでたり、腕を組んだりしてるのを見ても変わらずに接してくれて、その上で私のことを好きだって言ってくれてる。多分、演奏が終わってこの後に未乃梨と一緒にいる時に顔を合わせても。それって……)

 千鶴の中で、釣り合った天秤のように同じ大きさで居場所を占めていたはずの、未乃梨と凛々子のバランスが揺らぐ。高鳴っていく胸の鼓動を、千鶴は抑えられないまま凛々子の演奏を聴き続けた。


 未乃梨は、隣に立っている千鶴の腕に手を添えながら、舞台袖で凛々子の演奏を聴いていた。

(こんなスケールの大きな演奏、私のフルートじゃ無理だ。凛々子さんなら、このブラームスの協奏曲をオーケストラの前でも十分に弾けるんじゃ? ……ここにたどり着くまで、凛々子さんはどんなことをやってきたの……!?)

 聴きながら、未乃梨は凛々子の中で育まれてきたものの大きさと豊かさを垣間見た気がした。

(……私じゃ、凛々子さんに太刀打ち出来ないのかな。私じゃ、千鶴に振り向いてもらえないのかな)

 千鶴の腕に添えた手に力が入りそうになって、未乃梨は思いとどまる。オーケストラを思わせる重厚なピアノの伴奏と合わせてなお、未乃梨の耳に届いてくる凛々子のヴァイオリンは、少なくともある一点において未乃梨のフルートには絶対にできないことを、容易く成し遂げていた。

(……もしかして、ヴァイオリンってフルートと違って低い音が苦手じゃないのかな。凛々子さん、どんな音域でも苦しそうな顔なんてしないし……ちょっと待って、この音……?)

 未乃梨は、凛々子の弓さばきが大胆に動く分散和音のパッセージで、気付いたことがあった。

(今の分散和音(アルペジオ)の一番低い音、多分、フルートじゃ出せない(ツェー)とか(ハー)より低い音……? そんな!?)

 その、凛々子がヴァイオリンで弾く分散和音に混ざったフルートでは吹けない音が、自分と凛々子を隔てるようにすら思えて、未乃梨は息を飲んだ。


 千鶴や未乃梨から離れた場所で、真琴(まこと)は凛々子のブラームスを聴いていた。

 喜び勇むように上がるテンポの中で、冒頭の決然とした主題を回想しながら協奏曲の締めくくりに入る凛々子を遠目に見ながら、真琴は舞台袖にいる誰にも知られないように小さく口角を上げた。

(最初から最後まで、本当にブラームスらしい堅実で骨太な仕上がり……凛々子らしいよ。私じゃ、君よりずっと派手なテクニックがあるはずなのにこんな風には弾けないや)

 その真琴の耳に、凛々子の演奏にとある変化が聴き取れた。

(ヴァイオリンで一番低くて太い(ゲー)線を弾いてるときの凛々子の音、凄くタフで頑丈だ……まるで、低音楽器、それもチェロとかコントラバスみたいな……まさか、ね)

 真琴は、自分よりずっと舞台に近い袖の入り口で、隠れるようにして凛々子の演奏を聴いている千鶴と未乃梨を見た。

 並の十代の男子よりずっと背の高い千鶴が、顔ひとつ背の低い未乃梨に腕にすがるように寄り添われているのを見て、真琴は嘆息する。

(……このまま、千鶴ちゃんが未乃梨ちゃんとくっついてくれたら、なんて思ってたけど、そうもいかないみたいね。……まさか、凛々子の音に千鶴ちゃんを感じる部分が、ほんの少しだけど混ざってるなんて)


(続く)

 


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