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♯314

本番前のひと時に、楽屋で一息をつく千鶴と未乃梨。

未乃梨から見れば、色々と無頓着な千鶴は気にかかることが多いようで……。

 弦楽合奏のリハーサルを終えてから、千鶴(ちづる)未乃梨(みのり)凛々子(りりこ)にセシリアホールの舞台袖から近い、広い楽屋に通された。

「高校生と大学生の女性の楽屋はここよ。着替えとかはここでね」

 壁際に鏡のある化粧台がいくつも並び、奥には姿見のあるカーテンで囲える更衣ブースが用意されている、まだ他に誰もいない小綺麗な広い楽屋のあちこちを千鶴は珍しそうに見回す。

「こんな場所があったんですね。未乃梨、ここってコンクールの地区大会で使ったの?」

「まさか。紫ヶ丘(ゆかりがおか)もだけど半分以上の学校は制服で演奏してたし、たくさんの学校の吹部が出るから楽屋なんて使わないって」

 それでも、未乃梨は慣れた様子で壁際の化粧台の一つに衣装の入った平たいケースを置いた。

 凛々子は、化粧台の一つの前に早速座を占めた未乃梨の傍らで所在なさげに立ち尽くす千鶴に声を掛けた。

「楽屋で何か分からないことがあったら未乃梨さんに聞いてね。それじゃ、私はお二人の分のお昼を貰ってくるから、ちょっと待っててちょうだい」

 凛々子がそう言い残して楽屋を出て行くと、未乃梨は千鶴を促した。

「千鶴、とりあえず座ったら?」

「あ、……うん」

 千鶴は恐る恐る、未乃梨の隣の化粧台の前に置かれた丸くて背もたれのない椅子に腰を下ろす。毛足の長い絨毯のような生地に覆われたふかふかの座面が、千鶴には妙に座りが悪い。

「ここ、使っちゃって良いのかな。私、メイクとかしないし」

「良いんじゃないの? ……何なら、せめてファンデーションだけでもしてみる?」

「……慣れてないし、やめとく」

「そう。……勿体ないなあ」

 面映ゆさに目を逸らす千鶴に、未乃梨は少し残念そうに溜め息をついた。

「千鶴、中学のにしょっちゅう日焼けしてた割には肌綺麗なのに」

「……でも、メイクなんて考えたことなかったし、そんなの見せる相手なんか――」

「私は、メイクして綺麗になった千鶴、見たいよ?」

「えっ!?」

 いきなり未乃梨が自分に向き直ってきて、千鶴はどぎまぎと身を竦めた。

「あ、あの、未乃梨?」

「私、千鶴が色んな女の子に注目されるのはいいけど……せめて綺麗な姿にみんなに注目されてほしいの」

「注目って、私なんて別に大した事ないし、背だってでっかくて女の子っぽくないし、コントラバスだって始めたばっかりだし」

 千鶴のその言葉に、未乃梨が柳眉をやや吊り上げて丸い椅子からすっくと立ち上がる。

「だからって何にも気にしなさすぎるのもダメでしょ? スカートだって、どうせ今日のそれと春に買ったレイヤードと衣装の黒いやつしか持ってないくせに」

「あ、あの、未乃梨?」

 目の前に立った未乃梨に両肩に手を置かれて、千鶴がびくりと背筋を伸ばしたその時、がらりと楽屋のドアが開いた。

「なんだか賑やかだと思ったら……お楽しみタイムだった?」

 敢えてすっとぼけた表情を作る智花(ともか)が、チェロケースを抱えて楽屋に入ってきて、未乃梨に両肩を押さえられてのけぞりそうになっている千鶴を見ていた。

「二人っきりになって盛り上がっちゃいそうになるのは分かるけど、その、一応、公共の場だってことはわきまえようね?」

 明らかに笑いをこらえている智花に、未乃梨は真っ赤になって化粧台の椅子に戻ってソプラノの声を更に上擦らせた。

「べ、別にそんなんじゃなくて! 千鶴がステージに上がるのに何にもメイクとかしないって言うから――」

「お? どうしたの? 痴話喧嘩でもしてた?」

 未乃梨の甲高い声をくぐってくるように、のんびりとした声が智花の後ろから楽屋の中に届いてきた。今度は、お茶のペットボトルが入った小さな段ボール箱を持った波多野(はたの)が、ひょっこりと顔を見せる。

「みんなリラックスしてるねえ。江崎さん、お茶どうぞ」

「ありがとうございます。……助かりました」

 千鶴は襟元を波多野からペットボトルを受け取ると、丸椅子にぐったりと座り直した。

「さっきの未乃梨、流石にちょっと怖かったよ?」

「千鶴までそんなこと言わないでよ。……肩まで掴んだのは悪かったけど」

 決まりの悪そうな未乃梨と面白そうに笑う智花にもペットボトルを渡しながら、波多野は形だけ呆れてみせる。

「その様子なら、江崎(えざき)さんのソロは大丈夫そうかな。喧嘩するほど仲が良いっていうし」

「まあ。千鶴さんと未乃梨さん、喧嘩してたの? それは大変ね」

 波多野に続いて、凛々子が底の広い大きな紙袋を手に楽屋に戻ってきた。

「賑やかになったところで、お昼にしましょうか。今日のお昼、ここの近くのレストランが特別に作ってくれたサンドイッチのセットよ」

 凛々子が楽屋のテーブルに置いた紙袋には、厚い紙の平たいランチボックスが重ねられて入っていた。まだ温かいそれを受け取ると、ぐったりしていた千鶴が蓋を開ける前からしゃんと姿勢を正す。

「すっごい良い匂い……カツサンドかな?」

「当たりよ。それは千鶴さん用。バス弾きさんはいっぱい食べたいだろうからって、吉浦(よしうら)先生が頼んでくれたんですって」

「わーい。頂きます」

 目を輝かせる千鶴の隣で、未乃梨はミックスサンドのボックスを凛々子から受け取ると、複雑な表情で溜め息をついた。


(続く)

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