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♯307

駅まで凛々子をエスコートしながら家路につく千鶴と、波多野と彼女のコントラバスを送る智花。

智花や波多野には、とある期待があって……?

 千鶴(ちづる)凛々子(りりこ)を連れて電車に乗り込むと、空いている席に凛々子を座らせた。電車の中はやや混んでいて、荷物が少ない千鶴は立っていた方がよさそうだ。

「凛々子さん、こっち空いてます」

「千鶴さんはいいの?」

「私の荷物、楽譜とコントラバスの弓だけですし。凛々子さんは今日ヴァイオリンパートの先頭で弾いてて大変だったと思うので」

「ありがとう、ナイトさん」

 千鶴にねぎらわれて、凛々子はワインレッドのヴァイオリンケースを抱えながら電車の座席に腰を下ろす。街中へと向かう路線なこともあってか、休日の夕方とはいえ。車内は少しずつ混んできた。

 座席に座る凛々子が、前で立っている千鶴を見上げる。

「今日の千鶴さん、本当に素敵だったわよ。演奏も、コーデも」

「……正直、両方ともあんまり自信ないです」

 はにかんで笑う千鶴の、伸びかけのストレートの黒髪が揺れた。ボブというよりはそろそろセミロングまであと一歩といったところで、ダークブラウンのスカートと相まって今日の千鶴の印象を随分と女性らしく見せている。

「髪もいい具合に伸びてきたし、ヘアアレンジも楽しめそうね?」

「ここまで伸ばしたの、実は初めてなんですけどね。中学まで男の子よりちょっと長いぐらいだったし」

「このまま伸ばすといいわ。きっと綺麗なロングになるわよ」

 電車が減速して、アナウンスが次の駅名を告げた。乗り換えの駅まであとひと駅に迫っている。

 凛々子が、やや真面目な顔でもう一度千鶴を見上げる。

「千鶴さん。乗り換えの駅で、ちょっとお時間いいかしら」

「……はい」

 凛々子からの申し出が何なのかを分かりかねて、千鶴はためらってから返事をした。


 智花(ともか)の運転するミニバンの助手席で、波多野(はたの)は「うーん」と伸びをした。

「今日の合奏、楽しかったですね。やっぱ、コンバスが二人いると弦だけでも厚みが増えるし」

「これでヴィオラに瑞香(みずか)がいたら最高なんだけどね。にしても、今日の千鶴ちゃん、良かったよね」

 運転しながら、智花はピアノ伴奏合わせや合奏での千鶴を思い返していた。

「オンブラ・マイ・フ」をソロで弾いていた時も、合奏でヴィヴァルディやチャイコフスキーを弾いていた時も、千鶴は不十分ながら全てを出し切って演奏していたように、智花には思える。

「ソロは、千鶴ちゃんがヴィブラートを掛けられるようになったらまた聴いてみたいかな。合奏は……本条(ほんじょう)先生に教わったらすっごく上達しそう」

 智花の口から出た名前に、波多野は「いいですね、それ」と笑う。

「でも、本条先生が指導するのって……江崎(えざき)さん、直接レッスンに行くか星の宮ユースに入らないと」

「多分、後者になりそうかな。今日の合奏中の吉浦(よしうら)先生、見た?」

「あー。何か渋い顔はしてたけど、何か機嫌は良さそうでしたね。ヴィヴァルディの後でわざわざ江崎さんに直接指導してたし」

 夕暮れに沈みつつある車の外の街を見ていた波多野は、座っている助手席の後ろを振り返った。

 ケースに収まった波多野のコントラバスと智花のチェロが寝かされているフラットに倒したミニバンのシートには、先ほどまでもう一台コントラバスが置いてあった空間が空いている。

「凛々子さんが何考えてるか知らないけど、江崎さんが来てくれるなら、当てにしたいかな」

「同感。今日の合奏で、私の後ろで縮こまって弾いてたチェロの男の子よりはよっぽどいいよね」

「あはは、同感。また、このミニバンの出番、増えそうだね?」

「うちの父親から借り出すの、大変だったんだよ? 全く」

 苦労を口にする割には、運転している智花の口振りはどこか楽しそうだった。


 紫ヶ丘(ゆかりがおか)高校や千鶴の家に向かう路線のホームに入ると、凛々子は電光掲示板を見上げた。

「十分ほど時間があるわね。千鶴さん、何か飲んでいかない? 奢るわ」

「いいんですか? ……それじゃ」

 千鶴をベンチに座らせると、凛々子は近くの自販機で飲み物を買ってきた。冷たいミルクティのペットボトルを千鶴に渡してから、凛々子は隣に腰を下ろす。

「今日の弦楽合奏、千鶴さんとしてはどうだったかしら?」

「ええっと……何とかついていけたっていうか。ヴィヴァルディはとにかく夢中で、チャイコフスキーは踊ってる感じを思い出して弾いてて」

「その様子だと、今日は楽しんでくれたようね?」

「……そういえば」

 千鶴は、ヴィヴァルディの「調和の霊感」第八番の第二楽章で長い休みに入ってから欠伸を漏らしたことを思い出した。退屈だったその箇所でさえ、千鶴はヴィヴァルディの音楽に対する興味が途切れずに、波多野の説明を聞いていたのだった。

(今日の合奏、少なくとも音を出している間は退屈しなかったし、でも演奏以外のことは全然考えてる余裕なんかなくて……?)

 今日の合奏練習を思い出す千鶴に、凛々子が小振りの缶のコーヒーをひと口飲んでから改めて告げる。

「千鶴さん、オーケストラで弾いてみない? 私がコンサートミストレスをやってる、星の宮ユースオーケストラで」


(続く)

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