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♯296

初めての弦楽合奏で、勝手も分からないまま波多野の隣で一緒にコントラバスを弾く千鶴。

そんな彼女はやはり周囲からを注目されているようで……。

 波多野(はたの)の後ろに続いてコントラバスを抱えて舞台の上に出た千鶴(ちづる)は、部活の合奏とは違う引き締まった雰囲気に、思わず周りを見回した。

 三々五々に集まってきてヴァイオリンやヴィオラの席に座る演奏者は、千鶴より年下の中学生か、ともすると小学生ぐらいの年齢の少年少女が主のようだった。ヴァイオリンだけで凛々子入れて十人、ヴィオラは三人とそこそこの人数がいる。

 千鶴より上の年齢といえば、ヴァイオリンの先頭に座る凛々子(りりこ)や、チェロの最前で智花(ともか)とその右手側に座る吉浦(よしうら)ぐらいだろうか。

 その吉浦は、チェロを手に舞台に入ってくると真っ先に千鶴に声を掛けてきた。

「コントラバスの江崎(えざき)さんね。今日は、宜しくお願いします」

 ゆっくりと話す、痩せた体格で白髪混じりの長い髪をひっつめた吉浦に、千鶴はびくりと背筋を伸ばすと、コントラバスを支えたまま深々とお辞儀を返す。

「こ、こちらこそ宜しくお願いします」

「先ほどの『オンブラ・マイ・フ』、悪くありませんでしたよ。合奏でもしっかりね」

 釘を差しながらもどこか言葉の柔らかい吉浦に、チェロを調弦していた智花が小さくくすくすと笑う。一方で、吉浦や智花の後ろに座っているのは明らかに千鶴より年下のチェロが大きく見える中学生ぐらいの少年で、緊張した面持ちで指遣いや弓の上げ下げを確認していた。

 隣でコントラバスを手に立っている、千鶴より顔ひとつほど小柄な波多野が面白そうに笑みを浮かべた。

「吹奏楽部と全然違うでしょ?」

「ええ、まあ。……ヴァイオリンとかチェロの人たちって、やっぱり小さい頃からずっと楽器を習ってる感じですかね? 私、大丈夫かなあ」

 小声になる千鶴を、波多野はまるで変わらない様子で話す。

「同じ場所で一緒に弾く以上は関係ないよ。いつも通りに弾いて、何か指摘されたら直せばいい」

 何事もなくシンプルに答える波多野は、ずっと年長の吉浦がすぐ前に座っていてもまるで萎縮する様子がなかった。

「おっと。そろそろ始まるかな」

 全員の前にヴァイオリンを手にした中学生ぐらいの、少年と少女が歩いてくる。

 吉浦がチェロを置いて席を立つと、舞台の上にいる面々を見回した。

「それでは皆さん、今から発表会の合奏の練習を始めます。では、ヴィヴァルディから。ソリストの樋口(ひぐち)さんと内村(うちむら)くん、宜しくお願いします」

 ソロヴァイオリンを担当する、髪をツインテールに結んだ樋口とやや長めのスポーツ刈りの内村の二人を簡潔に吉浦が紹介して、合奏練習が始まった。


 凛々子が音叉で取ってヴァイオリンで弾く(アー)の音に合わせて全員が調弦をするところから、練習は始まった。

 千鶴は自分が手にしている借り物のコントラバスの調弦が狂っていないことを小さな音で急いで確認すると、少し緊張した面持ちでもう一度周りを見回す。調弦に手間取っている者は誰ひとりいないようで、舞台の上の空気の緊張感が高まっていく。

 ヴィヴァルディの「調和の霊感」第八番は、千鶴が思っていたより遅いテンポで始まった。

 冒頭からの、ソロを担当する樋口という少女や内村というピアノ合わせでベートーヴェンの「春」を弾いていた少年の二人も含めた、全体でテーマを演奏するところで、千鶴は早くも冷汗をかいた。

 自分の弾くコントラバスの最初の一音が、周りの弦楽器に比べて、どう聴いても明らかに大き過ぎた。

(……しまった! 落とさなきゃ)

 自分の音で周りの音を塗りつぶしかけたことに気付いて、次の小節で千鶴は右手の力を抜いて音符ごとに動かす弓の幅を減らす。急に合奏の風通しが良くなって、ヴァイオリンの群が弾く細い糸で刺繍をするような十六分音符のフレーズがはっきりと浮かび上がった。

 軽やかに弾むような付点の付いた音符で始まる樋口と内村のソロに差し掛かって、チェロとコントラバスが休みに入る。波多野がコントラバスを支えながら、弓を持ったままの右手を差し出した。波多野の右手は、親指を立てていた。

「……さっき音量を落とせたの、良かったよ。その調子」

 小声で千鶴に伝えると、波多野はすぐにソロの二人に向き直る。千鶴も、休符が続く小節が終わるのを察してコントラバスを構え直した。智花の隣でチェロを構えている吉浦が一瞬自分の方を向いた気がしたが、千鶴は萎縮する暇もなかった。

(多分、びびってたら余計にまずいことになりそう。ちゃんと入らなきゃ)

 二人のソロが終わって全体のトゥッティに入るところで、千鶴はとちらずに入ることができた。先ほどより更に弦に弓を当てる場所を上げて、指板の上にやや重なる辺りで千鶴はチェロとオクターブ違いの低音のパートを波多野と一緒に弾いていく。

 弾き方を改めて見えてきた自分のパートの躍り出すようなフレーズに、千鶴は妙に興味を惹かれていた。


 凛々子は、ヴァイオリンの先頭の席で演奏しながらチェロとコントラバスの方を見た。舞台の上で一際背の高い千鶴は、波多野と一緒に同じ一本の譜面台を共有しながら危なげなくコントラバスを弾いている。

(出だしはちょっとびっくりしたけど……すぐ修正できたようね。とりあえずは安心、かな。でも)

 第一ヴァイオリンの先頭で弾きながら、凛々子は物足りなさを感じてしまう。凛々子の後ろで弾いている、四人いる第一ヴァイオリンパートの面々は、合奏に不慣れな中学生や小学生が混ざっていて、普段弾いている星の宮ユースオーケストラのようなしっかりとした音量は望むべくもない。

 同様に五人いる第二ヴァイオリンや三人いるヴィオラのパートも、凛々子としては物足りない音量で弾いているのは明白だった。

(本当は低音が大きいのではなくてこちらが大人しすぎるのだけど……さて)

 凛々子は、千鶴や波多野から、その前に座っているチェロに視線を移した。


 吉浦は、自分の弾くチェロに後ろで鳴っているオクターブの低い低音がしっかり噛み合っているのを聴き取っていた。弾きながら、吉浦は横目で後ろに目をやった。

 緊張して音量が尻すぼみに下がっていくチェロの少年の後ろで、波多野と一緒に堂々とコントラバスを弾いている千鶴が、吉浦には少しばかり気にかかる。

(チェロの子はまあいいとして……コントラバスの江崎さん、最初にバランスを読み間違えてしまっただけのようね)

 それでも、千鶴の弓遣いは経験が足りないなりに何とか音量を修正しようとしているようだった。吉浦は視線を凛々子の後ろで弾く第一ヴァイオリンのメンバーに据える。

(……これだけのフォルテを出せるなら、江崎さんにちょっと一働きしてもらおうかしら)

 はっきりと音量の落ちた後ろのコントラバスを聴きながら、吉浦は思案を巡らせた。


(続く)


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