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♯295

ピアノ合わせが終わったあとの休憩で、波多野や智花から興味を惹かれる話を聞く千鶴。

その千鶴が参加する初めての弦楽合奏は、未乃梨にとっても忘れられないものになりそうで……?

 セシリアホールでの希望者のためののピアノ伴奏合わせが終わると、合奏練習の前に休憩時間が設けられた。

 コントラバスと弓を舞台袖に置いてきた千鶴(ちづる)と未乃梨はロビーで一息入れることにした。ロビーには見知った先客がちらほらといた。

 自販機で紙コップの飲み物を買っていたチェロの智花(ともか)にベンチに座ってくつろいでいるコントラバスの波多野(はたの)、その二人と談笑をしていた凛々子(りりこ)が、千鶴と未乃梨に軽く会釈をする。

 智花が、千鶴に向かって手を振ってきた。

「お疲れ様。ヘンデル、良かったよ。しっかり歌えてたね」

「智花さんも。ヴィオラの何とかって曲、素敵でした。あんな曲があったんですね?」

 曲名がうろ覚えな千鶴に、智花が「ふふん」と得意気な顔をしてみせた。

「バッハの『ヴィオラ・ダ・ガンバソナタ』ね。あれ、実は夏休みに瑞香(みずか)が勉強の気分転換にヴィオラで弾いててさ。チェロでも弾けそうだったんで、やってみたんだ」

 瑞香の名前を聞いて、未乃梨が目をぱちくりと瞬かせる。

「瑞香さん、お元気ですか?」

「うん。今度の発表会で未乃梨ちゃんが千鶴ちゃんの伴奏をやるって伝えたら、頑張ってって言ってた。時々一日中ヴィオラを弾いてたりするけど、まあ勉強は順調かな」

 凛々子が飲んでいたペットボトルの緑茶から唇を離すと、「まあ」と目を丸くする。

「瑞香さん、オーケストラで弾きたくてしょうがないでしょうね。受験、上手くいくといいけど」

 ロビーのベンチに座っている波多野が、チノパンを穿いた脚をやんちゃに組み直した。

「あーあ、私も来年受験かあ。どっか面白いオケのある大学に行きたいよねえ」

 自販機で紙コップのコーヒーを二つ買ってきた千鶴が、波多野に不思議そうな顔をした。

「大学でオーケストラ……? 部活で、ってことですか?」

「高校までの部活とはちょっと違うかな。インカレのオケもあるし」

 千鶴からコーヒーの片方を受け取りながら、未乃梨が波多野の聞き慣れない言葉にまた瞬きをした。

「インカレ? 何ですかそれ?」

 智花が飲み終えた紙コップをゴミ箱に捨ててから、波多野の説明を引き継ぐ。

「インターカレッジって言って、複数の大学が合同で活動してるサークルのことだよ。体育会とかも多いけど、人数を集めたいオーケストラも結構あるかな。うちの大学からも、そういうインカレのオケに参加してる学生っているしね」

 千鶴はミルクを多めにしたコーヒーを一口飲んでから、波多野や智花の話に耳を傾けた。

(大学でも、「あさがお園」とか連合演奏会の時みたいな楽しい本番があったり、凛々子さんみたいに専門で楽器やってる人に教わったり、出来るのかな)

 ぼんやりと、曖昧な想像をする千鶴を他所に、凛々子がスマホの画面に目を落とす。

「休憩はそろそろ終わりね。さ、今日の合奏は楽しみましょうか」

「ヴィヴァルディとチャイコフスキーだもんね。江崎(えざき)さん、コントラバスは立ち位置とか色々あるから、早めに戻ろうか」

 波多野に促されて、千鶴は慌ててぬるくなった紙コップのコーヒーを流し込む。冷めたせいか、コーヒーは妙に甘く感じられた。


 舞台袖で張り直した弓に松脂を塗りながら、千鶴は波多野から説明を受けた。

「弦楽合奏は初めてだったっけ? ま、今日は難しく構えないで、リラックスして弾いてね」

 波多野は何処からか取り出した音叉をチノパンの膝で叩くと、音叉を耳に当てて手早く自分のコントラバスの調弦を済ませた。

 もう一度音叉を膝で叩くと、波多野は音叉の取っ手のようなところの丸い部分を自分のコントラバスの胴体に当てた。どこまでも残るトライアングルに似ているようで少し違う高い音が、波多野のコントラバスの胴体で共鳴して聴こえてくる。

「江崎さん、とりあえずこの音に合わせて調弦してみて」

「あ、はい」

 音叉の音に合わせて(アー)から調弦するのは、何故か千鶴にはチューナーで合わせるよりスムーズに進んだ。教わったばかりの、隣あったコントラバスの弦から同じ高さの倍音を取り出して合わせていく調弦は、さっきより簡単に進められている。

 千鶴が調弦を済ませると、波多野は「じゃ、行こうか」とコントラバスを抱えて先に舞台へと出て行った。


 客席で、舞台の上に大小の弦楽器の演奏者が集まるのを、未乃梨は不思議な気持ちで見ていた。

(弦楽器って、大きさが違うだけでみんなほとんど同じ形なんだね。オーケストラもそうだけど、やっぱり吹奏楽と全然違う)

 舞台の右側の、智花を含む三人のチェロの演奏者の後ろにいる大きなコントラバスを手にした二人の片方に、未乃梨は視線を向けずにいられなかった。

(千鶴、周りが初めて一緒に演奏する人たちばっかりなのに、堂々としてる。……何か、格好いいな)

 客席の未乃梨から見て右隣りにいるニットのカーディガンにチノパンの小柄な波多野と二人で一本の譜面台を見ながら音出しをする、半袖の前開きのシャツに長いフレアスカートの千鶴のコントラバスは、部活で聴くより数段大きく、力強く響いているように未乃梨は思えた。

(これが、千鶴の音……? 客席だと、こんな風に聴こえるの?)

 近くに波多野やチェロの智花といった知っている面々がいるせいか、千鶴は初めて顔を合わせる弦楽器奏者の集団の中にいても落ち着いている。チェロの先頭に座る、未乃梨の母親より年上に見える厳しそうな顔立ちの女性にも、千鶴は気後れした様子は見せていない。

(あれ? 千鶴、初めての場所でもうこんなに馴染んでる。吹部の合奏に初めて参加した時みたい)

 見ず知らずの弦楽器の輪の中で堂々と振る舞う千鶴の姿に、未乃梨の胸はいつしか高鳴り始めていた。


(続く)

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