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♯290

発表会の合奏練習とピアノ合わせの日、千鶴は母親に勧められたブラウンのロングスカートを身に着けて会場に向かう。

それは、未乃梨や凛々子に少なからず何かを思わせたようで……?

 その週の日曜日、出かける準備をする千鶴(ちづる)を、母親が呼び止めた。

「ちょっと千鶴。あんた、今日は発表会の練習よね?」

「そうだけど? 母さん、何?」

「どうせなら、これ穿いて行きなさいな。発表会も当日ロングスカートでしょ?」

 母親が手渡してきたのは、秋物と思われるダークブラウンのスカートだった。フレア仕立てで、長さは長身の千鶴でも足首近くまで隠れるマキシ丈だろうか。フリルなどの装飾が付いていないやや厚い生地は、千鶴が穿くには少々大人向け過ぎるように思えなくもない。

「これ? 私に似合うかなあ」

「あんた、大人になったらスカートを穿く機会なんか嫌でも増えるんだからね。制服と発表会のと未乃梨(みのり)ちゃんと買いに行ったあれの三枚だけって訳にもいかないわよ」

「はーい……」

 千鶴は渋々その長いスカートを受け取ると、自室に引っ込んだ。

 しばらくして、千鶴は楽譜の入った鞄と学校から借り出した弓ケースを手にして、居間にいる両親に声を掛けた。

「行ってきまーす」

「行ってらっしゃい。遅くなるようなら電話しなさいね。未乃梨(みのり)ちゃんにもよろしくお伝えするのよ」

「はーい」

 玄関から出ていく千鶴の後ろ姿に、千鶴の父親はカーペットに直に腰を下ろして読んでいた新聞から顔を上げると長々と溜め息をついた。

「うーむ。ついこないだまでうちは息子二人いるみたいだったのに、変わるもんだ」

「何言ってるの。千鶴も立派な女の子ですよ?」

「……まあ、あの図体と腕力以外は随分と娘らしくなったわなあ」

 父親は、先程から自分に刺さる視線に気付かない振りをしながら、読みかけた新聞の紙面に隠れて薄くなった頭を掻いた。


 いつもの家の最寄り駅の前で、千鶴は未乃梨とちょうど落ち合った。未乃梨は、千鶴の姿を見て目を丸くした。

「おはよ、未乃梨」

「千鶴、そういうスカート持ってたんだ?」

「実は今日、母さんにこれ穿いてけって渡されてさ。……変、かな」

 千鶴はブラウンの長いスカートに合わせたベージュの半袖の前開きシャツの裾をつまんで、自分と未乃梨を見比べた。

 今日の未乃梨は膝上丈のグレーのプリーツスカートにくすんだピンクの薄手の長袖のブラウスと女の子らしいコーデで、それに比べると千鶴の服装は随分と渋い気がする。

 そんな千鶴の薄い気まずさを、未乃梨はある意味で吹き飛ばした。

「そういう大人っぽいコーデ、誰に教わったのよ?」

「しょうがないじゃん? 母さんにスカートに慣れろって言われて、合いそうな服選ぶのに悩んだんだから」

「本当? 誰かさんの真似じゃないでしょうね」

「もう、待ってよ未乃梨」

 むくれた顔で駅の改札を先に通っていく未乃梨を、千鶴は生地が少しばかり重く感じるスカートをつまんで追いかけた。

 ディアナホールの最寄り駅に着くと、未乃梨のむくれ顔は更に不機嫌さを増したように、千鶴には思われた。

「お二人ともお待たせ。あら、今日の千鶴さん、いい感じに決まってるじゃない? その長いスカート、似合うわよ」

 駅の改札を通ってきた凛々子(りりこ)は、千鶴のフレアスカートほど長くはないものの、膝下まで隠れる紺のワンピースだった。ウエストを絞る生成りの細いベルトやいつものワインレッドのヴァイオリンケースと相まって、凛々子の大人っぽさは制服のとき以上に引き立っているように思われた。

 千鶴は、凛々子ほど着慣れていない長いスカートをつまみながら、ノーセットの肩に届きかけているストレートの黒髪を掻いた。

「……色々あって、母さんにスカート穿いてけって言われちゃいまして」

「未乃梨さんが可愛らしいコーデだから、並ぶと映えるわね?」

 隣にいる未乃梨の眉が吊り上がったような気がして、千鶴は力なく笑う。どうにも、今日大人っぽいスカートのコーデで来たのが失敗だったようにすら千鶴に思えてくる。

 未乃梨はつんと千鶴から目を逸らすと、すたすたと歩き出した。

「セシリアホール、この駅で乗り換えでしょ。さっさと行くわよ」

「あ、待ってよ未乃梨」

 追いかける千鶴についていきながら、凛々子は小声で千鶴に尋ねる。

「……今日は、ちょっと不機嫌みたいね?」

「……私が大人っぽい服だと、凛々子さんと合わせてるみたいになって嫌なのかなあ」

「……ずいぶん可愛い理由で怒るのね? 私、未乃梨さんのことも好きになってしまいそうだわ」

 声を抑えて笑う凛々子に、千鶴はますます気まずくなっていくのだった。


 セシリアホールのロビーに着くと、よく見知った顔が千鶴たち三人を出迎えた。

「お久しぶり。千鶴ちゃん、調子はどう?」

智花(ともか)さん、お久しぶりです。ソロは初めてなんで心配ですけど、頑張ります」

 半袖のラフなシャツにカプリパンツの智花は、謙遜する千鶴に片目をつむってみせた。

「ま、合奏は私も入るから楽しんでいきましょ。千鶴ちゃんが弾くコントラバス、舞台袖に運び込んであるから、伴奏合わせまでに準備しといてね」

「ありがとうございます。未乃梨、行こうか」

「……うん」

 舞台袖に向かう千鶴の右腕に、むくれ気味の未乃梨がすがり付くように腕を組んできた。そのまま準備に向かう二人を、智花が「おやおや」と見送る。

「未乃梨ちゃん、嫉妬モード入ってるね?」

「彼女、ああいうところも含めて可愛いのよね。今日の伴奏合わせ、ますます楽しみだわ」

 面白そうに二人の後ろ姿を見る凛々子に、智花は「全く、うちのコンミス殿は」と苦笑した。


(続く)


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